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目が覚めたら……

更新します。

「……ん?」


 最初に目を覚ましたのは、カップルの彼氏だった。

 石の床に背中を押しつけられ、不快そうに呻きながら目を開ける。

 寝ぼけ眼を擦り、そろそろと上体を起こして周囲を見渡した瞬間――彼の瞳は驚愕と困惑に満ち、これ以上ないほど大きく見開かれた。


「……な、何だよ? どうなってんだ? ここ、どこだよ?」


 恐る恐る声を漏らし、尻もちをついたまま後退る。

 すると手に柔らかな感触があり、視線を向けると、そこには静かに横たわる彼女の姿があった。


「お、おいっ! 栞、起きろっ!! おい、起きろってば!!」


 強く揺さぶられれば、どれほど呑気な性格でも眠っていられない。

 不機嫌そうにうーんと唸りながら、彼女はゆっくりと目を開けた。


「何よ、正義……もう朝なの?」

「寝惚けてる場合か! いいから、周りを見てみろ!」

「えっ? 何よ、うるさいわ――ね?」


 促されるままに周囲を見渡した瞬間、彼女も一気に目を覚ます。


「……何これ? どういうこと? 私たち、さっきまでカフェにいたよね?」

「俺にも分からない。でも、何かとんでもないことに巻き込まれたのは間違いなさそうだ」


 彼らの記憶では、つい先ほどまで洒落たカフェのテラス席にいたはずだった。

 だが今、彼らがいるのは石造りの壁と床、そして天井に囲まれた密室。

 壁に掛けられた明かりのおかげで視界は確保できるが、窓一つない地下室のような空間は不気味で、背筋が寒くなる。

 自分たちの意思で来るような場所ではない。もちろん、ここへ足を運んだ記憶もない。

 混乱する頭で思い出すのは、あの奇妙な幾何学模様――テラス席で突如光り輝いたそれを最後に、記憶が途切れている。

 さてこの状況、2020年代を生きる日本の若者ならば、あるフィクションの定番現象が嫌でも頭を過るだろう。そしてそれは、この二人とて例外ではない。


「これって……まさか、異世界召喚ってやつじゃ――」

「――いやいやいや! ないない、そんなのあるわけないでしょ。ファンタジーじゃあるまいし」


 引き攣った顔で呟く正義に、栞はすかさず食い気味で被せる。

 そんな必死の否定に、正義はどこか胸を撫で下ろす。


「そ、そうだよな……そんなこと、あるわけ――」

「異世界召喚? それは何だ?」


 すると、背後から落ち着いた男の声が割り込む。

 振り返ると、そこには薄暗い中でもはっきりと見える黒い瞳の青年が立っていた。

 年齢は二人と同じか少し上だろうか。だが、白髪混じりの傷んだ黒髪と、怜悧で退廃的な雰囲気のせいで、ずっと年上の成熟した大人のようにも見える。


「あ、あの……どちら様ですか?」

「……ちっ」

「えっ? 舌打ち?」

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗るのが礼儀だろう?」


 まさかの返答に正義は硬直するが、言っていることは道理にかなっている。

 咳払いして笑顔を浮かべながら、彼は名乗った。


「すみません。僕は水鏡正義、で、こちらは葉月栞。クラスメイトで、恋人です」

「よ、よろしくお願いします」


 礼儀正しい挨拶に対し、青年は冷淡に返す。


「あぁ、そう。水鏡正義に葉月栞ね。覚えておこう」


 ――別に興味ないけど。

 そう言いたげな態度に、正義と栞は引き攣った笑顔を浮かべる。


「それで……貴方のお名前は?」

「そんなことはどうでもいい」

「えっ? どうでもいいって……」

「それより、“異世界召喚”って何だ?」

「いや、詳しいわけじゃないですけど、そういう作品が人気でして。『リ〇ロ』とか『こ〇すば』とか、聞いたことありませんか?」


 青年は思案顔を浮かべるが――


「……聞いたことはない。“作品”というからには、絵画か何かか?」


 予想外すぎる回答に、二人は目を見開いた。


「絵画!? 違います、アニメですよ! 海外にもファンがいるくらい人気で……」

「元はライトノベルっていう小説なんですけど、それが漫画化されてアニメに……」

「ちょっと黙ってて? 話がややこしくなるから」

「……はい」

「アニメ? らのべ? ますます分からん。で? それが今の状況と、どう関係している?」

「それは分かりませんけど……」

「ただ、今の状況が“異世界転移”そのものだなぁと思いまして」

「なるほど。つまり、お前たちも何も知らないってことか。話を聞いて損した」


 舌打ちしながら言い放つ青年の態度に、さすがの正義と栞も苛立ちを隠せない。


「さっきから何なんですか、貴方は!」

「そうですよ! 質問してきたくせに、興味なさそうな反応ばっかりで!」

「キャンキャン喚くな、壁に響いてうるさい。全く、細かいことをガタガタと面倒な奴らだ」

「――なっ!? 面倒ですって?」

「面倒なのは貴方の方です! こっちの質問は無視して、自分は聞いてばかり!」

「質問? お前たち、俺に何か聞いていたか?」

「名前ですよ! 僕たち、貴方の名前すら聞いていません!」

「名前? あぁ、そうだったな。分かったよ……じゃあ、そうだなぁ……」

「えっ? 今『そうだなぁ』って言いましたよね?」

「……阿保らしい。まぁ、狩野刹那でいいか。そういうことだ。これで満足か?」


 その言い回しからして、即興の偽名なのは明白。これでは、引き下がれるワケがない。


「えっ? いやいやいや! そこは偽名じゃなくて、本名を名乗ってくださいよ」

「おいおい、勝手に偽名だと決めつけるなよ」

「いやいやいや、決めつけていないですよ!? 今のは明らかに即興の偽名でしょ?」

「やかましい。じゃあ聞くが、“本名”の定義とは何だ?」

「……………………へっ?」

「て、定義ですか?」

「あぁ、そうだ。百歩譲って今名乗った名前が偽名だとしよう」

「百歩譲られなくても偽名だと思いますけどね」

「うるさいぞ。話の腰を折るな。さて、お前たちは何をもって俺の名前を偽名と判断し、逆に何をもって本名と判断するんだ?」

「…………えっ?」


 まさかの問いに、正義も栞も言葉を失う。

 顔を見合わせ、小首を傾げながらしばし思案する。


「ええっと……そうだ、身分証! 身分証に書いてある名前は本名でしょう?」

「で? その身分証が本物かどうか、お前たちは正確に判別できるのか? それ以前に、身分証を持っていない人間の本名はどうやって判断する?」

「……そ、それは……」

「加えて、俺はお前たちの身分証を見ていない。だから、お前たちが名乗った名前が本名かどうかも判断できない。それは今のお前たちと何が違う?」

「「……………………」」

「要するに、名前なんて所詮は識別の記号に過ぎない。呼べれば何でもよくて、真偽など大した問題ではない――違うか?」


 正論だった。

 正義も栞も口には出さないが、内心では認めざるを得ない。

 反論の余地なく論破され、二人は悔しそうに顔をしかめる。

 そんな二人に、刹那は「やれやれ」と嘆息しながら言葉を続ける。


「俺の本名なんてくだらないことより、先に気にするべきことがあるだろう?」

「……何のことですか?」

「そこで呑気に寝息を立てて転がっている二人だ。彼らはお前たちの知り合いか?」


 刹那が指差した先には、見覚えのある二人――特に一人は見間違えるはずのない、恰幅の良い友人が寝転がっていた。

 その姿を見た途端、正義と栞は血相を変えて駆け寄る。


「お、おい! 大地、しっかりしろ! おいっ!」

「ねぇ、この女の人って、確か……」

「あぁ、間違いない。あの時、カフェで隣の席にいた人だ」

「この人まで……ってことは、やっぱりあの赤く光る魔法陣のせい?」

「そう考えるしかない。あの魔法陣に囲まれて、俺たちは全員ここへ飛ばされたんだ」

「じゃあ、刹那さんも? 刹那さんも、あの赤い魔法陣に?」


 栞が振り返って問うと、刹那は眉間に皺を寄せて思案する。


「赤い魔法陣? ……あぁ、あれか。確かに、俺にも覚えはある。あの光に呑まれて、気づけばここにいた」

「やっぱり。じゃあ、刹那さんもあのカフェのテラス席に?」

「カフェの……テラス席だと?」


 怪訝な表情を浮かべた刹那は、すぐにそれを引っ込めて目を伏せる。


「……さぁて、どうだったかな」


 曖昧な返答に、正義は歯を食いしばって睨みつける。


「また煙に巻くつもりですか? 大事なことなんです。真面目に答えてください」

「そうカリカリするなよ。せっかくの爽やかな美男子ぶりが台無しだぞ?」

「……また! どれだけバカにすれば気が済むんですか?」

「バカにはしていないさ。揶揄ってるだけだ。お前、なかなか反応が面白いな」

「――なっ!? こ、このっ――」

「むぅ? 何よ、うるさいわねぇ……耳元で騒がないでよ」


 正義の怒声に耐えかねたのか、女性がそろそろと目を覚ます。

 暫し寝ぼけ眼で周囲を確認し、そしてハッと目を見開くと――


「…………はっ? えっ? ちょっと、何これ? どういうことよ?」


 案の定、状況を理解できずに狼狽し始めた。

 すかさず栞が宥めようとするが、彼女のパニックは収まらない。


「何よこれ!? 一体どうなってんのよ! ていうか、アンタたち誰!? アタシをこんな場所に連れ込んで、何するつもりなの!?」

「違います、私たちが連れてきたわけじゃありません。私たちも困っているんです」

「はっ? 何その見え透いた嘘? アンタたちじゃなかったら、誰がアタシをこんな場所に連れ込んだっていうのよ?」

「それは、分かりませんけど……」

「ていうか待って! うわっ! あのカフェでこっちをジロジロ見てたデブじゃん! そんなヤツと一緒に寝かされるとか、冗談じゃないわ! アンタたち、覚悟しときなさいよ!」


 話も聞かずにヒートアップする彼女に、正義も栞も困り果ててしまう。

 そうして女性がヒステリックを起こして埒が明かなくなった状況を一人離れて観察していた刹那は心底不快そうに眉を顰める。

 そして小さく舌打ちすると彼女の方へ歩き出し、その最中にポケットから水筒を取り出す。そうして手にした水筒を、そのまま彼女の頭上で容赦なく水筒をひっくり返した。


「きゃっ!?」


 桜色の髪に水が降り注ぎ、彼女は悲鳴を上げながらずぶ濡れになる。

 水音だけが虚しく響く中、刹那は水筒を振って最後の一滴まで浴びせ、空になった水筒を適当に放り投げた。


「さて、少しは落ち着いたか? あぁ、安心しろ。中身はただの飲料水だ」

「……………………はぁ?」


 間の抜けた声を漏らす彼女。

 だが、状況を理解した途端、呆けた表情から一転して鋭い目つきで刹那を睨みつけた。


「ちょっと、アンタ何すんのよ!? 人の頭に水かけるとか、頭おかしいじゃないの!? ていうか、待って……うわっ、化粧が台無しじゃん! どうしてくれんのよっ!」


 烈火の如く怒りを爆発させる彼女に対して、刹那は怯むことなく、寧ろ鼻で笑ってみせた。


「うるさい奴だな。少しは頭が冷えただろう? 感謝される覚えはあっても、文句を言われる筋合いはないぞ?」

「何言ってんのよ!? 感謝ぁ? 冗談じゃないわ! バカじゃないの?」

「冗談を言ってるのもバカなのもお前の方だ。大体、この状況で化粧なんぞ気にしてる場合か?」

「はぁ!? アンタ、ほんっとムカつく! マジでウザいんだけど!?」

「頭の悪さが透けて見える物言いだな。もう少しまともな言葉は使えないのか?」

「何よアンタ、マジで何様? あぁ、もう覚悟しなさいよ? アンタなんか、SNSに晒して社会的に抹殺してやるから! ついでに他の奴らも誘拐で通報してやるんだから!」


 三人をギロリと睨みつけた彼女は、怒りのままにスマートフォンを操作し始める。

 だが、慣れた手つきでスマホを操作する彼女の表情は、次第に凍りついていった。


「……えっ? 何で? 更新できない……って、嘘!? 電波届いてない?」


 その叫びに、正義も栞もハッとしたようにスマホを取り出す。

 だが、結果は同じ。圏外表示が出たまま、ネットも緊急通報も繋がらない。

 しかもここは、窓のない地下室。これでは衛星通信すら期待できないだろう。


「……ウソでしょ? ホント、どうなってんのよ……アタシ、これからどうなんのよ……」


 ようやく状況を理解した彼女は、がっくりと肩を落とし、絶望の色を濃くした独り言を漏らす。

 だが、その不安と焦燥は、彼女だけのものではない。

 正義も栞も、言葉にはしないが険しい表情で立ち尽くしていた。

 室内はまるで葬式のような重苦しい空気に包まれていく。

 だが、そんな中でも一人だけ、冷静さを崩さない人物がいた。


「まぁ、そんな暗い顔するなよ。湿っぽいのは嫌いなんだ」

「そりゃ僕だって嫌いですよ。好きな人なんていないでしょ? でも、この状況じゃ無理もないですよ。僕たち、このまま閉じ込められっぱなしなんてことになったら……」

「そんなの冗談じゃない! こんなところで何日も過ごすなんて、アタシは絶対に無理!」

「それは俺もだ。でも、そんな心配はしなくてよさそうだぞ」

「……どういうことですか?」

「ここへ近づいてくる足音がある。数は分からないが、かなり多い。大人数だ」

「えっ? 足音……ですか?」

「ええっと……そんなの、聞こえませんけど?」

「アンタたちさぁ、こんな胡散臭いヤツの言うことなんか真面目に聞いてどうすんのよ? どうせ適当言っているだけなんだから、まともに聞くだけ無駄よム・ダ!」

「そう思いたいなら、それでも構わないさ。どう思われようが気にしないし、困らないからな。それよりも――おい、お前はいつまで狸寝入りを決め込むつもりだ?」


 刹那の視線が向けられたのは、未だ一言も発していない恰幅の良い五分刈りの青年――大地だった。

 正義たち三人の視線も彼に向けられ、大地は観念したようにバツの悪そうな顔でむくりと起き上がる。


「大地! 起きてたなら言ってくれよ……びっくりするじゃないか!」

「ごめんよ、正義君……でもさぁ……」

「お前たちが不安で暗い雰囲気を出すから、起きるに起きられなかったんだろうな。だが、いつまでも寝たふりされては困る。……どうやら、お見えになったようだからな」


 刹那が言い終わるのと、ギイィ……と重苦しい音を立てて扉が開くのと、さてどちらが早かったか。果たして差し込んでくる眩しい外の光と共に、刹那の予言通り一団が姿を現す。

 現れた彼らの正体――それは長槍を手に、西洋風の甲冑に身を包んだ武装集団だった。

 何とも穏やかではない来訪者の登場に、正義たちの間で一気に緊張が走る。

 だが、兵士たちは彼らに向かってくることはなく、整然とした隊列を左右に崩し始めて。

 そうして奥から現れたのは、豪奢なドレスに身を包んだ気品漂う妙齢の女性だった。


「えっと……あのぉ……ど、どちら様ですか?」


 正義が震える声で絞り出した問いかけに、彼女は答えない。

 ただ、耳に心地よい玲瓏な声で挨拶を告げる。


「ようこそ、お越しくださいました。お目にかかれて光栄ですわ、勇者様方♪」


 その言葉に、正義たちは言葉を失ってしまう。

 外の光に照らされてすっかり明るくなった筈の石造りの室内は、かくしてどこか気まずい沈黙に満たされた。


いかがでしょうか?

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