第69話 晩餐会の事件 4
――ヴァルロワ学舎・翌夜。
その夜、ヴァルロワ学舎は静まり返っていた。
昼間の喧噪が嘘のように、校舎の灯りは消え、月光が石畳を淡く照らしている。
だが、誰も知らぬところで、もう一つの授業が始まっていた。
「全員、聞こえるか?」
中庭裏の温室跡。セリウスたち《調査班》は通信魔導具を通じて連絡を取り合っていた。
アランの低い声が響く。
「今夜の任務は学舎内部の監視記録の確認。帝国スパイが使った出入り経路を洗う。外部と通信している可能性のある教員リストも照合するぞ」
「了解」
セリウスが頷き、懐の通信魔導具に手を触れる。
淡い光が灯り、フィオナの通信魔導具がそのデータを受信した。
「こっちは南棟の通信回線を解析中。……おかしいわね、通常の魔力波が途切れてる。誰かが意図的に遮断した跡かしら」
「遮断?」リディアが眉をひそめる。「誰かが監視を避けたってことかよ」
アランが静かに指示を出す。
「フィオナ、解析を続けてくれ。セリウスとリディアは中央棟の研究室を調べてくれ。私とレオンは北棟の倉庫を調べる。オルフェは待機」
「了解!」
それぞれが闇に溶けるように散っていく。
風が木々を揺らし、どこか遠くで猫の鳴く声がした。
──中央棟・研究室前。
セリウスは慎重に扉を押し開けた。
古びた魔導機器と埃の積もった本棚。
誰もいないはずの部屋の奥で、淡い光が瞬いている。
「……魔力残留反応。最近、使われた形跡があるな」
リディアが呟き、指先から小さな探査光を放つ。
机の上には、見慣れぬ印章の押された封筒があった。
「帝国の……紋章?」
封筒の裏には、鷹の爪を模した紋様が刻まれている。
セリウスが息を呑む。
「誰かが、ここで通信を――」
その瞬間、背後の扉が軋んだ。
反射的に剣を抜くセリウス。
だが、そこに立っていたのは――
「……クラウス先生?」
優しげな笑みを浮かべた、魔導史学の講師クラウス・メルヴィンだった。
「おや、セリウス君にリディア君……こんな時間にどうしたんだね?」
「先生こそ、どうしてこんな時間に?」
リディアが探るような目で問い返す。
クラウスは一歩踏み出し、柔らかく笑った。
「君たちこそ、秘密の任務でもしているのかな?」
セリウスの手が僅かに震える。
彼は、知っている。自分たちの行動を。
しかも、わざわざこの時間に現れた――偶然ではありえない。
「……どうしてそれを」
クラウスの笑みが、ゆっくりと冷たいものへと変わっていった。
月明かりが差し込む研究室、その瞳の奥が妖しく光る。
「……気づかれるとは思わなかったよ、セリウス君」
「答えろ、クラウス先生。帝国と、どんな関係がある」
リディアが叫ぶ。
「君たちには、関係のないことだ――いや、関係のないまま死んでもらおう」
その瞬間、クラウスの足元が閃光を放った。
机の裏に仕掛けられていた魔導具が起動し、床から鋼線が飛び出す。
「伏せろ、リディア!」
セリウスが叫び、リディアを突き飛ばす。
鋼線が頬をかすめ、壁を切り裂いた。
「なるほど、そういう手合いか……!」
リディアが短槍を構え、素早く姿勢を低く取る。
クラウスは袖を払うように手を動かし、もう一つの魔導具を投げた。
金属片が床に転がり、赤い光が点る。
「閃光弾だ、目を閉じろ!」
爆ぜた光が部屋を満たし、耳鳴りが走る。
しかしセリウスは構わず前へ踏み込んだ。
視界が焼かれても、気配でわかる。
――目の前だ。
長剣を振り抜く。
空気を裂く音と共に、クラウスのローブが裂け、腕に血が走った。
「クッ……学徒の分際で!」
「教師が殺人兵器を持ってる時点で、学徒扱いはおかしいだろ!」
セリウスは低く構え、切っ先を揺らす。
クラウスは腰の袋から金属筒を抜き、スイッチを押した。
「なら、これはどうだ!」
床に投げられた瞬間、筒が唸りを上げて回転する。
内部から細針のような弾が飛び散り、空気を切り裂いた。
「リディア、右だ!」
「わかってる!」
リディアが跳び込み、槍の石突で回転筒を叩き潰す。
火花が散り、装置が停止した。
「……反応速度がいいな。訓練でも受けているのか?」
「お前を捕らえるためなら、どんな訓練でもしてやるさ」
ダンジョンで鍛えた実力は並みの学徒の比ではない。
リディアが静かに息を整える。
次の瞬間、槍が閃いた。
クラウスの懐を突く、鋭い一撃。
しかしクラウスは身をひねり、袖口の短剣で受け止める。
金属音が響き、火花が散る。
「若いのに筋がいい。だからこそ惜しい」
「口を閉じろ!」
リディアが蹴りを繰り出し、距離を詰める。
その隙にセリウスが回り込み、長剣を振り下ろした。
クラウスは背を引き、肩口をかすめる。
血飛沫が飛び、床に赤が散る。
「二対一か……教師を相手にとは、礼儀知らずだな」
「スパイに礼儀はいらない!」
セリウスが踏み込み、連撃を放つ。
剣の一撃、二撃、三撃――クラウスは受けきれず、壁際に追い込まれた。
「終わりだ、クラウス!」
その刹那、クラウスの目が光った。
「終わるのは――君たちの方だ!」
背後の魔導棚に仕込まれていた罠が起動し、床下が爆ぜた。
爆風と煙が吹き上がる。
セリウスはリディアを庇いながら転がり、背中に衝撃を受ける。
瓦礫の向こうで、クラウスの影が揺れた。
「まだ……死んでいないのか」
クラウスが苦笑する。
だが、その背後で扉が開いた。
「セリウス! リディア!」
アランとレオンが駆け込んでくる。
続いてフィオナとオルフェの姿。
クラウスが歯噛みした。
「チッ、ここまでか……!」
その言葉と共に、彼は腰の懐中具を握りしめた。装置が赤く光り始める。
セリウスは直感的に叫んだ。
「自爆装置だ! 全員、伏せろ――!」
轟音が研究棟を揺らした。
炎が吹き上がり、クラウスの姿は光の中に消えた――。
――爆音が静まり返ったあと。
焦げた木の匂いと、粉塵の中を月光が差し込んでいた。
セリウスは咳き込みながら、手探りでリディアを起こす。
「……無事?」
「ああ、ちょっと耳が鳴るけど……」
彼らの周囲には瓦礫と炎の残滓。だが、クラウスの姿はどこにもなかった。
アランが瓦礫をどけながら呟く。
「遺体がない……逃げたか、あるいは……」
レオンが拾い上げたのは、焼け焦げた懐中具の破片だった。
「これ、符号刻印がある。帝国製の暗号通信具だな」
「やっぱり……あの男、本物のスパイだったのね」
フィオナが拳を握る。
沈黙の中、アランが床を見つめて言った。
「……この焦げ跡。あの装置、爆発に見せかけて、逃げるための転移魔法を備えていた可能性がある」
「でも、もう教員として学舎にいられないよね。上に報告しておこう」
「これで、やっと任務から解放されるか」
リディアが嬉しそうに笑い、オルフェは残念そうに苦笑いをした。
これにて第一部 完 となります。ここまで読んでいただいてありがとうございました。
この後、セリウスは性転換の魔道具をみつけられるのか。見つけたセリウスはどうするのか、その時アランは…… 第二部開始をお楽しみに。




