第68話 晩餐会の事件 3
夜の王都郊外。
《ヴァルロワ学舎》の外れにひっそりと建つ旧研究塔、表向きは、すでに廃棄指定されて久しい。
だが、その地下には今も稼働中の装置がある――学長ヴァルターが手掛けた「魔導通信石」の試験機。
それこそが、帝国が狙う機密だった。
「……静かすぎるな」
塔の影から様子を窺うアランが、低く呟く。
月明かりに照らされた古塔は、まるで眠っているかのように微動だにしない。
「警備の巡回もいない。これは逆に不自然ね」
フィオナが目を細め、髪を耳にかけながら呟く。
風が草を揺らし、微かに金属の軋む音が響いた。
「アラン、南側の窓が少し開いてます」
レオンが報告する。
「何者かがすでに侵入した可能性が高いです」
「……いくぞ」
アランの短い号令に、全員が頷いた。
セリウスとオルフェが前に出て、フィオナとリディアが後方から援護。
レオンは塔の外で警戒線を張り、アランが全体の指揮を取る。
塔の扉はすでにこじ開けられていた。
古びた階段を下ると、微かな機械音が聞こえてくる。
それは――通信石の動作音。
「下だ。急ごう」
セリウスとオルフェは階段を駆け下り、地下の実験室へ突入した。残りの4人も後に続く。
そこには、漆黒のローブを纏った数人の影がいた。
中央の装置から魔力光が放たれ、転送陣がゆらめいている。
「帝国の工作隊か!」
オルフェが叫び、剣を構える。
「来たか……!」
スパイの一人が振り返り、セリウスに目を止めた。
それは――中庭で戦った覆面の男だった。
左足を庇うように構えている。
「また会ったな、少年」
覆面の下から嗤う声。
「せっかく見逃してやったのに。あれで止めていれば良いものを、ここまで知られては仕方ない。死んでもらうしかないようだな。今度は、我らが任務の完遂を邪魔させはしない!」
叫ぶと同時に、床に魔符が投げつけられる。
爆風とともに黒煙が吹き上がった。
「散れ! 囲まれるな!」
アランの指示に従い、セリウスは左へ回り込む。
レオンが詠唱を始めた。
「〈閃光の矢〉!」
光の矢が煙を貫き、暗殺者の影を照らす。
その瞬間、オルフェが大剣を振るい、敵の一人を壁際へ叩きつけた。
「一人確保!」
オルフェが叫ぶ。
「レオン、封印陣を!」
「了解!」
レオンの魔導書が輝き、床に拘束陣が浮かび上がる。捕らえた敵の動きを封じる。
しかし、覆面の男はまるで笑っているようだった。
「無駄だ。すでに転送は始まっている!」
装置の中央で、通信石が不穏に光を放つ。
まるで何かを――帝国へ送ろうとしているかのように。
「セリウス! 止められるか!」
アランが叫ぶ。
「やってみる!」
セリウスは機械のパネルへ駆け寄る。
だが見慣れぬ魔導回路が複雑に組まれており、手を出せば暴発しかねない。
「フィオナ、解析できる?」
「待って、構造が……複雑すぎる!」
額に汗を浮かべる。
その隙を突いて、覆面の男が再び刃を抜く。
セリウスへ一直線に迫る――!
「セリウス、危ない!」
リディアの叫び。
刹那、光が閃き、セリウスの前にアランが割って入った。
ガキィン!
金属がぶつかる音。アランが短剣を受け止め、敵の懐へ拳を叩き込む。
「ぐっ……!」
男が吹き飛ぶ。その隙に、フィオナの解析が完成した。
「転送中断!」
床が光り、転送魔法陣が一気に崩壊する。
通信石の光が消え、室内の音が止まった。
覆面の男が呻き声を上げる。
「くっ……やるな……! だが、我らの任務はこれで終わりではない……」
その言葉を残し、彼は黒い煙のように消えた。
再び逃げられた。
セリウスは深く息を吐いた。
「……間一髪だったな」
アランが頷く。
「だが通信石は無事だ。転送を阻止できた。これは十分な成果だよ」
フィオナが小さく笑った。
「ふふっ、久しぶりに燃えたわね。……次に会うときは、決着をつけましょう」
「今度こそ逃がさない」
セリウスの目が静かに光った。
――翌朝。
王都中央区・王立軍本部。
重厚な石造りの廊下を、セリウスたちはアランの先導で進んでいた。
夜明けとともに召喚を受け、彼らはヴァルロワ学舎から直行してきたのだ。
迎えるは、王国軍総司令ゼルディア将軍。
かつて無敗の将と呼ばれた男――銀髪の髪を後ろで束ね、冷たい蒼の瞳を持つ。
威圧感というより、ただ立っているだけで場の空気を支配してしまう人物だった。
「入れ」
低く通る声に、扉が静かに開く。
将軍室に入ると、壁には地図と軍旗、そして王国の紋章が掲げられていた。
「報告を聞こう。アラン・リヴィエール、そして《ヴァルロワ学舎》の面々」
ゼルディアが視線を向ける。
アランが一歩進み、敬礼した。
「旧研究塔における潜入者の撃退、及び魔導通信石の転送阻止。学舎に潜伏していた帝国のスパイの目的は阻止いたしました」
「よくやった」
将軍の言葉は短いが、重みがある。
その瞳がセリウスに向いた。
「若き騎士候補、セリウス・グレイヴ。君の働きも報告に上がっている。通信石の中枢制御を守り、敵の転送を防いだと」
「はっ……いえ、皆の協力でできたこと。私だけで行えたわけではありません。それに、解析したのはフィオナです」
セリウスが頭を下げる。
ゼルディアは口元にわずかに笑みを浮かべた。
「謙虚でよい。だが、これで終わりではない。帝国は間違いなく次の手を打ってくる」
将軍は机上の書簡を手に取る。
「昨夜の事件を受け、王国議会は帝国との緊張を『潜在的開戦状態』と認定した。つまり、学舎内のスパイ問題も、もはや軍事行動の一部と見なされる」
空気が張り詰める。
ゼルディアは頷いた。
「旧研究塔はあくまで陽動。帝国が狙うのは『魔導通信石』そのものではなく――学舎の中に潜む『適合者』だ」
「適合者?」
リディアが眉をひそめる。
「そうだ。ヴァルター学長が密かに進めていた《共鳴適合試験》。魔導器に意識を接続できる資質を持つ者が、ごく稀に現れる。その者がいれば、帝国は魔導兵器を自在に操ることができる」
将軍は地図の一点を指した。
「情報では、学舎の生徒の中に一人、その適合者がいる。帝国はそいつを奪取するつもりだ」
「……それって、まるで」
セリウスが呟く。
アランが続けるように言った。
「学舎そのものが、次の戦場になるということか」
ゼルディアは深く頷いた。
「その通りだ。ゆえに、諸君には再び『調査班』としての極秘任務を与える」
「学舎に潜む内通者を洗い出せ。そして、帝国の手が届く前に『適合者』を保護せよ」
将軍は一枚の封書を差し出した。
「詳細はここにある。任務の性質上、君たちは正式な王国軍とは認められぬ。成功しても、表彰はない。だが――失敗すれば、王国が危うい」
静まり返る室内。
セリウスたちは顔を見合わせ、そしてうなずき合った。
「承知しました」
アランが代表して答える。
「我々《ヴァルロワ調査班》、全力で任務にあたります」
ゼルディアの目が一瞬、柔らいだ。
「よかろう。……少年たちよ、影の戦場でこそ、真の騎士の魂は試される。忘れるな」
敬礼の音が響き、扉が閉じられた。




