第5話 「呪われた肖像画」事件
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翌朝――。
模擬戦用の長剣を抱えて練兵場に向かう途中、私はひそひそ声を耳にした。
「なあ聞いたか? 『彷徨う鎧』の正体を突き止めたの、A組の一年らしいぞ」
「セリウスってやつが、鎧に真っ先に近づいて解体したんだって!」
「おお、すげぇ。肝が据わってるな」
その会話が自分のことだと気づき、私は思わず足を止める。
――ちょっと待って。あれ、そんな武勇伝みたいな話じゃなかったはず……!
頬が熱くなるのを隠そうと、うつむいて歩を早めた。
「おーい! 噂の勇者さまじゃないか!」
背中をばん、と叩かれて、思わず前のめりになりかける。
赤毛のリディア・マルセルだ。
「ほんとにあの鎧に飛び込んでったんだろ? すげぇな! 俺なら腰抜かしてたね!」
「鎧に飛び込んではいないって……。ただ、突然動かなくなったから兜を外して、中は確かめたけど。……ちょ、ちょっと誇張されてると思うよ」
私は苦笑いする。
そこへ、長身のオルフェ・ダランが腕を組んで現れた。
「度胸があるのは悪くない。だが、敵の正体も分からぬまま不用意に近づくのは無謀だ」
――そうはいっても、絶対オルフェだって同じことをしたと思う。はっきり言えば、オルフェだけには言われたくない。言わないけど。
淡々とした声だが、その眼差しには真剣な評価の光が宿っている。
「次からは俺を呼べ。大剣で一刀両断してやる」
……やっぱり。
オルフェならやりそうだな。度胸ありそうだし。てか、度胸どころか無鉄砲の塊。私のは話が一人歩きしてるだけ。……実際三人の中で一番度胸がなかったのは私だ。
「は、はあ……ありがとうございます」
「ふん、やはり注目を集めているな」
すらりとした黒髪の少年、レオン・フィオリが横から口を挟んだ。
「ただの悪戯にしても、冷静に仕組みを見抜いたのは評価に値する。……セリウス、君は思ったより観察眼があるな」
仕組みを見抜いたのは、アラン。私じゃない。
「いや、あれは……アランが鎧を押さえてくれたおかげで……」
私はしどろもどろになり、視線を横へそらす。
「セリウスが謙遜してる!」
リディアが大笑いし、周囲のクラスメイトも口々に囃し立てた。
「彷徨う鎧退治の英雄だ!」
「新入りのくせに度胸あるな!」
「よっ、お化け鎧ハンター!」
……やめて。本当は腰が引けてたんだから。
ますます顔を赤くし、頭を抱えた。
――そのとき。
「やれやれ、人気者ね」
背後から、例の絶世の美女(?)フィオナがすまして歩み寄ってきた。
制服姿も美しい。フィオナの方が男装の麗人に見えるのはなぜだ。別にいいけど。
「でも忘れないで。セリウスが注目されるってことは、私の隣にいる私も注目されるってことよ?」
「なんでそうなるんだ!」
アランが即座に突っ込む。
「ふふ、だって『彷徨う鎧調査隊』は三人だったんだもの。セリウスひとりじゃない。……ね?」
フィオナはウインクして、ひらひらと手を振った。
クラスの笑い声と歓声に包まれながら、私は複雑な気持ちで胸を押さえた。
「『彷徨う鎧』が先輩のいたずらだったなんて、まったくビビって損したぜ」
「じゃあ、『呪われた肖像画』も、いたずらなのかなあ?」
「何々? 『呪われた肖像画』って?」
「学園の肖像画が血の涙を流すってやつさ」
つい先ほどまで「彷徨う鎧」の騒ぎで皆の注目を浴び、ようやく収まったと思った矢先に、また新しい話題が飛び出してきた。クラスのみんながわいわい騒ぐ。最初はただの怪談話に盛り上がっているように見えたが、どこか空気の端に不穏なざわめきが混じっていた。
「学園の肖像画が血の涙を流す?」
リディアが目を丸くした。普段の皮肉屋な表情ではなく、純粋な驚きの色を浮かべている。
「それ、本気で言ってるのか?」
「俺は知らん。けど、寮の三階の廊下に飾ってある、創立者の肖像だってさ」
「夜中に見張りの先輩が通りかかったとき、目の下から赤いしみが流れ落ちてたんだと」
「うへぇ……」
リディアは腕を組み、わざと肩をすくめてみせた。
「鎧に続いて肖像画か。『七不思議』が次々出てくるな」
「くだらん話だ」
アランは即座に切り捨てた。声に迷いはない。
「学舎の怪談なんて、大抵は人の悪戯だ」
言葉自体は正論のはずなのに、彼の表情がわずかに険しいのを私は見逃さなかった。アランでさえ完全に冗談と片づけきれていないのだろうか。
「まあまあ、そんなに即断しないで」
フィオナがにやりと笑い、扇子で口元を隠す。
「赤い涙が悪戯なのか、本物の血なのか……気にならなくて?」
「気になるって……」
セリウスはごくりと唾を飲み込んだ。
「だってもし本物だったら、それこそ大事件じゃ……」
自分でも余計な一言を言ってしまったとわかっていた。途端にクラスの視線がこちらに集中する。
「セリウスはまた真に受けるんだな」
アランがため息をついた。だが、その横顔はどこか苦笑に逃げているようにも見えた
「でもさ、面白そうじゃん!」
リディアが目を輝かせる。
「『彷徨う鎧』も結局、行ってみて正体を暴いたんだし。今回も俺らで確かめてみようよ!」
『彷徨う鎧』の時、リディアはいなかったよね。
教室の空気が、まるで冒険の提案を受けた少年少女の群れのように、一気に熱を帯びる。
「おやおや、知らないうちに、チームのメンバーが一人増えたわね」
フィオナは楽しそうに両手を打った。
「――セリウス、今度も私と一緒に『呪われた肖像画』を見に行きましょう? 怖かったら、手を握ってあげるから」
「だから怖がってないってば!」
私は必死に否定するが、クラスのあちこちからクスクス笑い声が上がった。冷やかし半分、期待半分。もはや私の抗議など耳に入っていない。
「いいぞ! 次は『肖像画の謎』を解いてやる!」
「セリウス、頼りにしてるぞ!」
「お化けハンター第二幕だな!」
すっかり「怪談処理班」のように扱われてしまった私は、机に額を押しつけるようにして深いため息をついた。
(……なんでこうなるんだ)
夜。
月明かりに照らされた廊下は、しんと静まり返っていた。
セリウス、アラン、フィオナの三人は、問題の肖像画の前に立っている。
「これが……『呪われた肖像画』」
セリウスは額縁を見上げた。
歴代校長の一人、厳めしい顔の老人の肖像が壁にかけられている。
その眼差しはどこか鋭く、闇の中で見ていると不気味さが増していた。
「おお……何もしてないのに、今にも泣き出しそうに見える」
フィオナがわざと震えた声を出す。
「ねえセリウス、もう手を握っててもいい?」
「だ、だから怖くないって言ってるだろ!」
思わず一歩下がり、頬を赤くした。
そんな姿を見て、フィオナはくすりと笑う。
「ふふ、でも耳まで真っ赤よ?」
「ち、ちが……!」
慌てる私の横で、アランが深いため息をついた。
「また噂を真に受けて……。今度も、どうせ誰かの悪戯だ」
そう言いつつも、アランの手は自然と剣の柄に添えられている。
廊下を吹き抜ける風が、カーテンを揺らした。
その影が、まるで肖像の老人が微笑んだかのように見えて、思わず身をすくめる。
(やっぱり怖い……! でも、アランやフィオナの前で臆病だと思われたくないし……!)
「おや?」
フィオナが声を上げ、額縁の下を指差した。
と、その瞬間。
ぽたり。
赤い滴が、肖像の頬をつたった。
「ひっ!」
フィオナがアランの腕にしがみつく。
「で、出た! 血の涙よ!」
「なっ……!」
私も思わず身を乗り出す。
蝋燭の明かりに照らされ、確かに赤い雫が肖像の眼の下から垂れている。
絵の具とも違う、鮮やかな赤。
「本当に……流れてる……!」
「バカな……」
アランが低く唸り、目を細める。
「近づくな、セリウス!」
だが――私はもう足を踏み出していた。
心臓が跳ね上がっているのに、不思議と恐怖より先に“違和感”の方が強く胸に残ったのだ。
(この赤……血にしては妙に粘り気がある。どちらかといえば……果汁? 葡萄酒の色に近い……!)
額縁の縁を凝視すると、薄暗い光の中に細い筋が垂れているのが見えた。
「やっぱり……!」
思わず声が出る。
「え? 何?」
フィオナが目を丸くする。
私は背伸びをして額縁の上に手を伸ばした。
指先に触れたのは――小さな瓶だった。
蝋で封じられていたはずが、すでに溶け崩れ、中の赤い液体がじわじわと漏れ出している。
「これ……! 葡萄酒です!」
私は瓶を掲げて振り返った。
「蝋で封じておいて、時間が経つと蝋が溶けて、液がちょうどこの位置から滴るようになってたんです!」
「なっ……!」
アランの瞳が見開かれる。
「つまり……計算された仕掛けってことか」
「そう! 夜中の、この時間を狙って――肖像画が血の涙を流すように細工されてたんだ!」
私は胸を張り、誇らしげに掲げた瓶を振ってみせた。
静まり返る廊下に、フィオナの拍手が高らかに響く。
「さすがセリウス! 可愛い顔して、頭は冴えてるじゃない」
「か、可愛いって言うな!」
私は耳まで真っ赤にし、慌てて襟元を正した。男装をしていることを思い出し、余計に居心地が悪い。
アランは苦笑を浮かべながらも頷いた。
「……まあ、今回はセリウスの観察眼のおかげだな。正体を突き止めたのは見事だ」
そのとき。
廊下の奥から、ひそひそ声と忍び笑いが聞こえてきた。
「おい、マジで気づかれたぞ」
「セリウスって一年、ただの坊やじゃねえな」
「先輩……!」
アランが鋭く睨む。
姿を現したのは、三年生らしき上級生たちだった。制服の着崩し方や不遜な態度から、ふだんから素行の悪さで知られている連中だと一目でわかる。
「いやぁ~、参った参った。ちょっと脅かしてやろうと思ったんだが……」
ひとりが頭をかきながら笑う。
「まさか新入生にトリックを暴かれるとはな」
私は一歩前に進み、瓶を掲げて胸を張った。
「いたずらは結構ですが、夜中に寮を騒がせるのは危険です。……やめてください!」
凛とした声に、廊下の空気が張り詰める。
思いがけぬ迫力に、一瞬だけ上級生たちが言葉を失った。
小柄な体に宿る真っ直ぐな気迫は、男装の裡に隠された芯の強さを際立たせていた。
本日、二話目は平常どうり16:30分をとていしております。