第64話 大会の後で
大会の喧騒が過ぎ去って数日。
《ヴァルロワ学舎》の中庭には、ようやく落ち着いた空気が戻っていた。
澄み渡る秋空の下、紅葉がはらりと舞い落ちる。
ベンチの上では、セリウスとリディア、オルフェ、フィオナが昼休みを楽しんでいた。
「いや〜、ようやく終わったな。大会。見てるだけでも疲れたぜ」
パンをかじりながら、オルフェが伸びをする。
「おまえは一回戦で全力出しすぎたんじゃねーの」
リディアが呆れ顔で言うと、オルフェは苦笑いを浮かべた。
「だって相手、めっちゃ剣速速かったんだぜ。油断したら即終了コースだったんだ」
隣で紅茶を飲んでいたフィオナが、静かに笑う。
「でも、見事な戦いぶりでしたわ。観客席でも拍手が起きていましたもの」
「お、おう……そ、そうか? あはは。フィオナがいうならそうなんだろう」
褒められて、オルフェは耳まで赤くなる。オルフェは何度も勝ち抜いたフィオナの事を認めているようだ。彼にとっては、強さこそ正義である。
セリウスはその様子を微笑ましく見守りながら、手元の資料を閉じた。
「これで次は、年末の筆記試験か。気が抜けないなー」
「セリウスは真面目すぎるなあ。少しは休まないと」
リディアがそう言って、にやりと笑う。
彼の笑みは以前よりも柔らかく、《呪具の持ち込み事件》の緊張感が抜けた今だからこその穏やかさがあった。
「でも、事件の時のことを思うと……こうして平和なのが一番ですね」
レオンが目を細めて呟く。
「そうだな」
セリウスが頷く。
ほんの数週間前まで、教官が敵国の間者だったなんて信じられないほど、今の学院は穏やかだった。
それでも、誰もその事件を軽んじることはない。
皆、心のどこかに「何かを守るために強くなりたい」という思いを刻みつけていた。
「……あ、そうだ!」
オルフェが立ち上がった。
「明日の振り替え休日に、みんなで街に行こうぜ! 大会お疲れ様会ってことで!」
「まぁ、悪くない案だな」
「賛成ですわ」
リディアとフィオナの声が重なった。
セリウスも苦笑しながら頷く。
「じゃあ、久しぶりにのんびりしようか」
穏やかな午後の風が、木々の間を通り抜けていく。
遠くで鐘の音が鳴り、次の授業を告げた。
六人は立ち上がり、それぞれの教室へ向かって歩き出した。
翌日、セリウスたちは約束どおり、王都アルヴェーヌの中心街へと繰り出していた。
秋晴れの空。街路樹の紅葉が通りを彩り、広場では大道芸人が火の玉を操って拍手を浴びている。
香ばしい焼き菓子の匂いが風に混じり、通りはどこか浮き立った空気に包まれていた。
「やっぱり学院の外っていいなぁ! 自由って感じがするぜ!」
オルフェが伸びをして深呼吸する。
「おまえはいつも自由だろうが」
リディアが呆れたように返すと、フィオナがくすくすと笑った。私も本当にそうだと思う。
「今日はお買い物の日ですもの。せっかくだから、皆で歩きましょう」
フィオナの提案で、一行は並んで通りを歩き始めた。一見、美しい美女を五人の若者が守っているように見えるが、実はフィオナは男だし、この中ではたぶん一番強い。武闘大会で三回戦まで勝ち進んだ実績がある。
雑貨屋ではリディアが真剣な表情で羽根ペンを吟味し、
フィオナはガラス細工のネックレスを手に取って「可愛いですわね」と微笑む。
オルフェは屋台の串焼きを片手に、あちこちの匂いを嗅ぎながら歩き回っていた。
「セリウスは、何か欲しいものはねーの?」
リディアがふと尋ねる。
「うーん……特には。みんなが楽しんでるのを見てるだけで十分かな」
そう言って笑うセリウスの顔には、どこか穏やかな余裕があった。
「おっと! そこの兄ちゃん、気をつけな!」
通りの向こうで、パン屋の店主が叫んだ。
小さな影がセリウスの横をすり抜ける。
見ると、少年がオルフェの腰袋を掴んで駆け出していた。
「うわっ!? ちょっ、俺の財布!!」
「待てっ!」
セリウスが即座に追う。
細い裏路地に入ると、少年は振り向きざまに石を投げた。
しかしセリウスは軽く身を翻し、逃げ道を塞ぐように前へ跳んだ。
「危ないことはやめたほうがいい」
穏やかな声だった。
少年は一瞬怯んだが、やがて力なく袋を差し出す。
「……ごめんなさい。妹に食べさせるものがなくて……」
その言葉に、セリウスは表情を和らげた。
「そうか。だったら、ちゃんと働こう。オルフェ、どうする?」
「うーん……まぁ、今回はいいよ。代わりにこれでも食べな!」
オルフェは買ったばかりの串焼きを差し出した。
少年は驚いたようにそれを受け取り、何度も頭を下げて駆け去っていく。
通りに戻ると、リディアとフィオナが待っていた。アランとレオンは、追いつくところだ。
「セリウスは、相変わらず優しいんだな」
「ふふ、困っている人を放っておけないのはセリウス君らしいですわ」
「俺も、優しいだろう」
オルフェが不満げに眉をしかめる。
セリウスは苦笑しながら肩をすくめた。
「まぁ、穏やかな休日にしては、ちょっとした運動にはなったな」
アランとレオンが合流し、何があったか聞いてくる。
セリウスは掻い摘んで説明する。
「王都も貧しい人がたくさんいるんだな」
「悲しいことです」
アランとレオンがため息交じりに呟く。
「子供が飢えているのは、かわいそうだね」
わたしの言葉にリディアが真顔になって提案した。
「貧しい子に食べ物を配って歩かないか?」
「配って歩く?」
オルフェが目を丸くした。
「おいおい、俺たちがそんなことしてもたいして助けにならなくねーか?」
「いいじゃないか。ほんの少しの子供たちかもしれないけど、飢えてる子供の腹が少しでも膨れるなら無駄にはならないだろう」
リディアは腕を組んで、どこか真剣な顔をしていた。
「大会も終わって少し時間はあるし、金だってオークションのおかげで十分あまってる。ちょっとは役に立つことをしたいんだ」
その言葉に、セリウスはふっと笑みを浮かべた。
「らしいな、リディア。いい考えだよ」
フィオナも頷く。
「私も賛成ですわ。困っている子供たちを放ってはおけませんもの」
彼の口調はいつもの優雅な調子だが、瞳の奥には慈愛の心が宿っていた。
「よし、決まりだな!」
オルフェが両手を叩いた。「だったら、俺がまとめ買いしてくる! 串焼き十本! いや二十本!」
「いや、食べ歩きじゃなくて配るんだぞ」
セリウスが苦笑すると、
「分かってるって!」とオルフェは笑いながら駆け出していった。
その後、彼らは街の広場に戻り、露店で焼き立てのパンや果実を買い集めた。
紙袋を抱えたリディアが子供たちの集まる裏通りへと足を向ける。
そこには、先ほどの少年のほかにも、薄汚れた服を着た小さな子たちが数人、物陰からこちらを見ていた。
「みんな、お腹すいてるだろ。これ、よかったら食べて」
リディアがそう声をかけると、最初は警戒していた子たちが、そっと近づいてきた。
オルフェが大きな手でパンを差し出すと、少年たちは恐る恐るそれを受け取り、やがて笑顔を見せた。
「……ありがとう!」
「お兄ちゃんたち、いい人だね!」
その声に、オルフェは顔を真っ赤にして頭をかいた。
「ま、まあなあ」
フィオナはその光景を見て、そっと微笑んだ。
「ねえ、セリウス君。こうして誰かを助けるって、悪くありませんわね」
「うん。戦うだけが騎士の役割じゃないと思う」
私は穏やかに頷いた。
陽は傾き、街角に夕焼けが差し込み、子供たちの笑い声が通りに響き、焼きたてのパンの香りが漂っていた。




