第62話 武闘大会 1
十月。
高く澄んだ秋空の下、《ヴァルロワ学舎》の訓練場には朝から活気が満ちていた。
年に一度の大行事――武闘大会。
それは学舎に籍を置く生徒たちが己の技と誇りを競い合う、最も熱く、最も華やかな祭典だった。
紅葉が風に舞い、赤や金の葉が空を彩る。
その中心には、石造りの円形闘技場が特設され、観覧席は既に満員だ。ざわめきと歓声が波のように押し寄せ、鼓動のように空気を震わせている。
前年の優勝者はすでに卒業し、王国軍士官候補として名を上げている。
観覧者は外部の者も多いため、この大会の上位者には、各地の領軍や騎士団、さらには王立親衛隊からも声がかかるという。
ゆえに、学生たちの眼差しは真剣そのもの。特に最上級の三年生たちは、人生を左右する戦いとして臨んでいた。
一方で、下級生たちも負けてはいない。
今年、一年生からは二人が代表として名を連ねていた。
その一人――フィオナ・ド・ヴェルメール。
長く艶やかな黒髪に、宝石のように澄んだ青い瞳。
陶器のように白い肌、優雅な立ち振る舞い。
誰もが振り返るその美貌の持ち主で、宿舎での服装や外見は女性そのもの。
彼を知る者は残念そうにこういう――「女だったらよかったのに」。
本人いわく、「美とは性別の枠を超えるもの」だそうだ。
その言葉どおり、彼の剣技も舞うように華麗で、見惚れるほどの均整を誇っていた。
そしてもう一人――オルフェ・ダラン。
筋骨逞しい大柄の少年で、ダラン辺境家の次男。
荒野の砦で育ったせいか、どこか野性味を帯びた笑みを浮かべる。
手にするのは幅広の大剣。彼の信条は単純明快だ。
「俺は将来、戦場で百人を率いる騎士になる!」
脳筋と揶揄されても気にしない。豪快で憎めない性格が、同輩にも妙に人気を博していた。
そんな二人が、いま――同じ一年代表として名を連ねている。
その名が呼ばれるたびに、観客席の熱はさらに高まっていった。
第一試合――一年代表、フィオナ・ド・ヴェルメール、対、三年騎士科上位生、グレイ・マクリーン。
開始の鐘が鳴ると同時に、場内の空気が一変した。
フィオナは静かに腰の細剣を抜いた。
陽光を受けて白銀の刃がきらりと光る。
対するグレイは二回りも大きな体躯の男。粗野な印象の戦士で、使う武器は分厚い片手剣。
試合開始の瞬間、彼は踏み込み、地を蹴って一気に間合いを詰めた。
――速い。
観客が息をのむ。
だが、フィオナの身体は、まるで風に揺らぐ花のように自然に動いた。
寸前で刃をかわし、軽く一歩、後ろへ舞う。
足先の動きはしなやかで、砂ひとつ乱れない。
「な……避けやがっただと?」
「避けたうえに姿勢が崩れてない……」
観客席でリディアとアランが目を見張った。
「さすが《舞う剣》のフィオナだな」
「でも相手は上級生です。油断はできません」
セリウスとレオンが緊張した声で応じる。
隣のリディアは冷静に観察していた。
「彼、筋力では劣るけど……重心の置き方が完璧だぜ。余裕で打撃を受け流している」
「へぇ、なるほどな」
アランが頷きつつも、フィオナの剣筋に釘付けになっていた。
試合場では、グレイが連撃を仕掛ける。
鋭い斬撃が横に、縦に、風を裂く。
だが――そのたびに、フィオナの身体が舞うように流れる。
裾が翻り、髪が弧を描く。まるで舞踏。
「ふふっ……あなたの剣、ずいぶんと乱暴ね」
フィオナが唇の端を上げる。
「力任せでは、花を摘むこともできなくてよ?」
グレイの額に汗が滲む。
「ちょこまかと……!」
怒声とともに、地を叩くほどの力で剣を振り下ろした。
刹那。
フィオナの姿が霞のように消えた。
「――《燕返し》!」
鋭い音が響き、二人がすれ違う。
グレイの肩口から光の粉が舞い散った。
木剣の先端で防具を正確に弾いたのだ。
「勝負あり!」
審判の声と同時に、観客席が爆発したように沸いた。
「やったな、フィオナ!」
セリウスが思わず立ち上がる。
アランも拍手を送る。
レオンはほっと息を吐きながら、目を細めた。
「……彼らしい、美しい勝ち方でしたね」
リディアは淡く笑い、「あれが型の完成形だな。力に頼らない剣ってやつだ」と呟いた。
フィオナは軽く礼をし、観客に向かって微笑む。
「美は勝利するものよ。覚えておきなさい」
その瞬間、女子からも男子からも、悲鳴にも似た歓声が巻き起こった。
学院の空に、秋の風が吹き抜ける。
―――次は、オルフェ・ダランの番だった。
第二試合――一年代表、オルフェ・ダラン対、三年騎士科の猛者、ユリウス・フェルナー。
重装の鎧と盾に身を包んだユリウスは、上級生の中でも屈指の防御力を誇る実力者だ。
三年の間では「鉄壁のユリウス」と呼ばれ、これまでの模擬戦で一度も膝をついたことがないという。
オルフェは大剣を肩に担ぎ、にやりと笑っていた。
「へへっ、いいじゃねぇか。強えーのとやるのは燃えるな!」
筋肉をほぐすように腕を回し、観客席に向かって片手を振る。
その無邪気さに、場内が少しだけ和やかになる。
観覧席で見守るセリウスたちも、固唾をのんでいた。
「……彼、緊張していないですね」
「むしろ楽しそうだな」
レオンとリディアが苦笑する。
アランは腕を組み、「あいつ、根っからの戦闘狂だ」と呟いた。
「強敵と戦うほど、あいつは燃えるんだ」
開始の合図が響いた。
オルフェが咆哮とともに踏み込む。
地を蹴る音が爆ぜ、砂煙が舞う。
大剣が振り下ろされ、空気が震えた。
「うおおおおっ!!」
だが、ユリウスは一歩も退かない。
分厚い盾がその一撃を受け止め、鈍い衝撃音が響いた。
重い、鋭い、速い。――それでも崩れない。
「っ、硬ぇな……!」
オルフェが歯を食いしばる。
ユリウスは冷静に盾を突き出した。
鋼鉄の突きが、大剣の隙を狙って腹部を捉える。
「ぐっ……!」
衝撃でオルフェの身体がよろめいた。
それでも踏ん張り、剣を大きく振り払う。
観客席からどよめきが起こる。
「まだ立ってる!」「あれを食らって倒れないのか!?」
セリウスは拳を握りしめていた。
「オルフェ……まだだ、まだいける!」
リディアも唇を噛む。
「頑張れよ!」
だが、現実は非情だった。
再び盾を叩きつけるユリウスの反撃を、今度は受け切れない。
大剣が弾かれ、オルフェの体勢が大きく崩れた。
「――ここまでだ!」
ユリウスの声と同時に、木剣の切っ先がオルフェの喉元へ止まる。
審判の旗が上がった。
「勝者、ユリウス・フェルナー!」
訓練場に歓声と拍手が響き渡る。
敗北の瞬間にも、オルフェは苦笑いを浮かべた。
「くそっ、やっぱり三年は化けもんだな……でも、全力を出して負けたのだから、満足だぜ!」
彼は負けを潔く認め、ユリウスと拳を軽くぶつけ合う。
その姿に、観客席からは惜しみない拍手が贈られた。
「惜しかったな……」
セリウスが呟くと、リディアが頷いた。
「でも、あいつらしい負け方だ。力を出し切った顔してる」
レオンもわずかに微笑む。
「戦い方は粗いですけど、魂は強い。あれが彼の魅力ですね」
アランは静かに言葉を添える。
「……この負けの経験が、次に繋がる。オルフェはそういう奴だ」
訓練場の中央、オルフェは観客に向かって高々と大剣を掲げた。
「来年は、絶対勝つからなァーッ!」
その叫びに、場内が再び沸き立った。
敗者でありながら、誰よりも輝いていた。




