第61話 《呪具の持ち込み事件》 9
あの地下室での一件から、数日が経った。
学院の空気は表向き、いつもと変わらぬ静けさを取り戻している。だが、生徒たちのどこか落ち着かぬ囁き声や、警備の騎士が校舎を巡回する姿は、まだ事件の爪痕を残していた。
「さて、授業を始めるぞ」
そう声を響かせたのは、 カミーユが捕縛されたためにやってきた魔術理論の臨時担当教官、アランデル老教士だ。教壇の前で、彼は分厚い本を机に置き、ぱらぱらとページを繰る。
剣術教官であるアランデル老教士って、魔術理論も教えられるんだな。 ……凄い。年の功というやつかな。
教室のあちこちで椅子が軋む音がした。緊張感を帯びた日々の後に迎える授業は、奇妙な安堵と退屈さが入り交じる。
「今日の課題は――『魔力干渉の実例とその解法』についてだ」
その言葉に、私は自然と隣のレオンを見る。
案の定、彼は背筋をぴんと伸ばし、目を輝かせていた。
「ふっ、待ってました!」
小さく拳を握りしめ、やる気に満ちた顔で前のめりになる。
「……お前、事件の後でよくそんなに元気だな」
呆れ半分に呟くと、レオンはしたり顔で胸を張った。
「むしろ事件で得た知見を整理する絶好の機会です。 あの魔法陣、魔力干渉の典型的な応用例でした!」
その横でリディアがさらりとノートを取り出し、淡々とペンを走らせている。
「レオンの言うことも一理ある。……けど、レオン、珍しく声が大きいな」
周囲からの冷ややかな視線に、レオンは慌てて小声になる。だが、目の輝きはまったく衰えていない。
授業は淡々と進んだが、教室の空気はどこかぎこちないままだった。
――数日前、カミーユ教官が学院の地下で捕らえられたことは、生徒には公にはされていない。だが、何かが起きたことは皆うすうす感じ取っているらしく、ざわつきが絶えなかった。
私たち五人は、授業が終わると同時に呼び出しを受けた。
案内されたのは、学院の奥まった応接室。重々しい空気の中で待っていたのは、老学長ヴァルターと二人の軍装の男たちだった。
「よく来たな、アレン殿」
白銀の鎧を纏い、鋭い眼光を持つ壮年の将――王国軍総司令、ゼルディア将軍だった。以前に一度、オークションで顔を合わせたことがある人物だ。
彼は私たちを見据え、机上の書簡に手を置いた。
「結論から言おう。捕縛されたカミーユ教官の背後に、『ガルド帝国』の工作網が確認された」
その言葉に、息を呑む音が一斉に響いた。
リディアは目を細め、オルフェは思わず拳を握りしめる。
「帝国の密偵が、ここ騎士養成学校《ヴァルロワ学舎》にまで……?」
アランが驚きを漏らす。
将軍はうなずき、深く息を吐いた。
「今回の件は、単なる裏切りや個人的な暴走ではない。帝国の諜報が王国の中枢教育機関に食い込んでいる一つの例だな。――これは国家的な問題だ」
重い言葉に、私たちは黙り込むしかなかった。
「アラン殿。君たちは現場に居合わせ、直接この事件に巻き込まれたのだから、詳細な報告を軍に提出してもらいたい。いやそうする義務がある」
ゼルディア将軍の声音は厳格だが、どこか信頼を含んでいる。老学長ヴァルターも静かに頷いていた。
アランは小さく息を整え、仲間たちを見やった。
私たちが見聞きしたことは、確かにここでしか語れない、あまりおおっぴらにできない真実だ。
「……承知しました」
アランが答えた。
石造りの重厚な会議室に通された私たちは、長机を挟んで王国軍総司令ゼルディア将軍と向き合った。
将軍は背筋を伸ばしたまま椅子に腰をかけ、鋭い双眸でこちらを見据えている。その眼差しは、戦場を幾度も渡り歩いた者にしか持ち得ぬ圧を帯びていた。
「では……始めてくれ。君たちが見たこと、感じたこと。すべて包み隠さず話してくれ」
低く、重い声。
私たちは互いに視線を交わし、代表するようにアランが口を開いた。
「まず、学舎のあちこちで不審な事故が多発しました。私たちは不審な呪具を発見し、これが事故の原因だと判断し、この呪具を何者かが仕掛けていいるに違いないと推理。そしてその犯人として浮かび上がってきたのがカミーユ教官です。私たちは呪具をを仕掛けている仮面をつけた犯人と交戦しそれがカミーユ教官だと疑うようになりました。そして彼を監視し始めたのです。カミーユ教官は、私たちの実習を監督する立場を利用し、方々に呪具を仕掛けていただけでなく、学院地下で禁じられた術を行使していました。血煙を媒介とした影の召喚術……おそらく帝国流の闇魔術かと」
その声は冷静に聞こえるが、机の下でアランの拳が固く握られているのを私は見のがさなかった。
将軍は顎に手を当て、じっと耳を傾ける。
「ふむ。影の召喚……確かに帝国の諜術兵が好んで用いる術だ」
オルフェが苦々しい声で言った。
「教官を装って生徒を欺き、殺そうとまでしたんだ。俺たちは、帝国がどれほど狡猾に入り込んでいるかを、嫌というほど思い知らされたぜ」
私は深く息を吸い、言葉を選んだ。
「……あの場で私たちは全員、死を覚悟しました。アランデル教士の介入がなければ、本当に誰かが命を落としていたでしょう」
将軍の瞼がわずかに下り、その表情が陰を帯びた。
「……なるほどな。貴様らの証言は重い。帝国の闇がここまで伸びていたとは……。王国は想像以上に危うい状況にあるらしい」
将軍は立ち上がり、背後の地図へと歩み寄った。王国と帝国の国境線を指でなぞりながら、低く呟く。
「騎士養成学校の若き芽を刈り取ろうとするとは……。帝国の狙いは、この国の次代を潰すことか」
その背中から漂う緊張感に、私たちは息を呑んだ。
やがて彼は振り返り、鋭い声で告げた。
「アラン、セリウス、リディア、オルフェ、レオン。お前たちの報告は直ちに王国上層部に提出する。だが同時に――お前たち《ヴァルロワ学舎》の生徒は今後、特別な監視対象となる」
「……監視、ですか?」
思わず問い返した。
将軍はわずかに笑みを歪める。
「帝国に狙われるのは、それだけここの学生たちが価値ある存在だということだ。ゆえに、我々が守らねばならん。いや、守って見せる。
君たちは、帝国に狙われていることを心に刻んで、今まで通り、楽しく学園生活を送ってくれ。……もっとも、守られるばかりでなく、ゆくゆくは戦場で力を貸してもらうことになるのだがな」
その言葉は、ただの脅しでも勧誘でもない。
戦場を知る者の、現実を突きつける声だった。
こうして《呪具の持ち込み事件》は一旦の解決を見た。だが……私の胸の奥には、重いものがのしかかったままだった。




