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『男装の令嬢は男になりたい』  作者: 米糠


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第59話 《呪具の持ち込み事件》 7


 私たちは一斉に石壁の隙間へ飛び込んだ。

 隠し通路は人ひとり通るのがやっとの狭さで、湿った土と鉄の匂いが鼻を突く。灯りはなく、ただ遠くで揺れる赤黒い光が不気味に奥を照らしていた。


「足跡がある……!」

 先頭を走るオルフェが床を指差した。靴跡が濡れた泥を削り、まだ新しい。


「待て! 罠があるといけない。俺が先頭を行く」


「分かったよ。そういうことはリディアが頼りだからな」

 オルフェがしぶしぶ先頭を譲った。


 私たちは息を合わせ、声を殺して進む。

 石壁の裂け目が次第に下り坂へと変わり、地下水の流れる音が近づいてきた。


「この先……地下水路に繋がってる……?」

 リディアが不安げに呟いた瞬間、轟音が響いた。


 ――水の奔流だ!


 通路の奥から押し寄せた水が壁を破り、私たちを飲み込もうと迫る。

「くそっ、やつの仕業か!」


「僕に任せてください!」

 レオンが結界を張り、奔流の勢いを受け止める。

 私たちは体を低くして壁際に張り付き、必死にしぶきを避けた。


 そして水煙の向こうに、カミーユ教官の姿が一瞬、見えた。

 外套を翻し、こちらを振り返る。額に刻まれた古い傷が、濡れた光に浮かび上がる。


「……愚か者どもが。追えば殺すぞ」


 低く響く声。

 教官は、そのまま背を向け、さらに奥へと姿を消そうとする。


「待てぇっ!」

 オルフェが咆哮し、水を蹴って駆け出した。


 私たちも後を追う。足元は濡れ、視界は霞む。諦める訳にはいかない。


 やがて通路は大きな空洞に出た。

 崩れかけた石柱が立ち並び、中央には地下水を溜めた黒い池が広がっている。蝋燭が何本も灯され、壁に呪符が貼りめぐらされていた。


 ……準備されていた舞台のようだ。罠かもしれない。ここは危険だ。最低でもアラン様はお守りせねば。


 舞台の中心にカミーユ教官が立ち、掌に血を滲ませて印を結んだ。

 赤黒い光が水面に広がり、そこから異形の影が形を取り始めている。


「仕方ないやつらだが、来ると思っていたよ。……お前たち、死ぬがいい」


 影の手が、水面からゆらりと伸びた。

 私たちは武器を構える。


「もう逃がさない……!」

 自分でも驚くほど低い声が喉から漏れた。


 ――地下空洞の中、再びカミーユ教官との死闘が始まろうとしていた。


 私の心臓は喉元まで上がっていた。胸の奥の冷たさが力に変わるのを感じながら、私は剣を握り締める。池の水面から伸びる影の手が、油のように黒く、べとりと空気を掴む。


「レオン、あの中心を止めれるかい? 魔法陣を崩すんだ!」

 私は声が震えるのを気づかれないように、必死で強く出した。


「わかりました! でも、あれは完全な結界です……まずは周囲の呪符を焼き払ってみます!」

 レオンは叫びながら掌をかざす。指先に青白い光がたまり、氷の刃のように迸る。彼の詠唱が一瞬で空気を切り裂き、壁の呪符が凍り付き、ぱちぱちと音を立てて砕け散った。


 黒い影が音もなく群れをなして襲いかかる。形は一定せず、鋭い爪になったり、口の列になったりする。私は息を吐き、剣を振るう。刃は影に触れると冷たく乾いた感触だけを掻き集め、襲い来る影を切り裂いた。だが影はすぐに再結成し、二体、三体とこちらへ飛び込んでくる。


「セリウス、左!」

 アランの声。彼は盾を固く構え、私の側面を守るように移動した。火花がすぐ近くで散り、硝子のような匂いが鼻を刺す。


 オルフェはいつも通り烈しく、しかしどこか嬉々としていた。彼の大剣が一振りごとに影を割り、重厚な衝撃が地下空洞に響く。リディアは短槍で影の足元を突き、相手の体勢を崩すことに徹している。


 だが――中心の魔法陣は、まだ脈打っている。カミーユ教官は冷静そのもので、血の滴を次々と紋に垂らし、儀式を加速させるように見えた。私はその手の動きに目を奪われる。血。それが持続する限り、結界は立ち続けるのだ。


「血の源を断とう!」

 叫ぶと同時に、私は一気に距離を詰めた。カミーユの周囲には蝋燭が散らばり、文書や小瓶が無造作に転がっている。私は剣を突き出し、寸前で小瓶の一つを柄で叩き割った。液体が飛び散り、赤い染みが床に広がる。


 カミーユの瞳が鋭く光る。彼は一瞬だけ手を止め、私を見た。その顔は、講義で見せる温和さとは別物だった。だがその一瞬が、こちらの作戦を狂わせる。


 彼が冷笑を浮かべ、掌を振るう。周囲の影が一斉に収束し、巨大な手となって私を押し潰そうとした。私はアランの肩を借りて押し戻し、足場を確保する。レオンが必死に光の結界を張り直すが、魔力は既に削られている。


「オルフェ! 危ない!」

 私は叫んで、オルフェの喉元を狙って飛び込んだ影を斬る。オルフェは一太刀で相手を裂き、私の突撃に合わせてカミーユへと詰め寄る。


 その瞬間、壁際に置かれた古い巻物の端が、反射的に目に入った。そこには見覚えのある印章――帝国の辺境提督が用いる紋章に酷似した小さな刻印が押されていた。心の底が、ぞっとした。


「今だ、力を合わせろ!」

 アランの号令に応え、私たちは一斉に攻撃を叩き込む。オルフェの大剣が床板を(えぐ)り、リディアの短槍がカミーユ教官の外套を引っかける。レオンの魔法の氷槍が結界の一角を凍らせ、ぱりぱりと音を立てて割れる。


 そして――ついに。カミーユが血の入った小瓶の一つを喪失した。瓶が砕け、その瞬間、魔法陣の光がかすれ、影の群れは苦しげに形を乱した。水面が揺れ、異形の影が溶けていく。


 カミーユの顔に一瞬、狼狽が走る。だが次の瞬間、彼は狂ったように笑い、突然私めがけて突進してきた。剣圧が重く、彼の剣さばきには研究者らしからぬ荒々しさが混じる。私はそれを受け止め、刃と刃が火花を散らす。


「くっ……!」

 アランが横から割って入り、盾で彼の腕を押し返す。オルフェが大振りを打ち込み、私はその隙にカミーユの片腕を狙って蹴りを入れた。彼はバランスを崩し、ついに一歩下がった。


 その一瞬、リディアが鋭く短槍を突き立て、カミーユの外套を引き裂いた。露出したのは、内側に縫い付けられた小さな布切れ――刻印の残る、帝国製の織り地だった。私の胸は強くはねた。これが証拠になる。


 だがカミーユは即座に反応した。

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