表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『男装の令嬢は男になりたい』  作者: 米糠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/71

第58話 《呪具の持ち込み事件》 6


 作戦は単純であるが危険を伴っていた。講義が終わると同時に、私たちは席を立ち、誰にも不自然に見えないように教壇を離れた。五人がばらばらに。だが――できるだけ離れすぎず、しかし十分な間隔を保ってカミーユ教官を尾行する。カミーユ教官を直視するのはリディアとレオン。少し離れて私とアラン、オルフェの三人が続く。互いの視界に仲間が入ることで、万が一の合図や援護がすぐに行えるはずだ。


 カミーユ教官はいつもと同じ足取りで講堂を出る。黒の外套を静かに翻し、突然立ち止ると、眼鏡越しに書類をめくる。その所作を、リディアとレオンは息を殺して見守りながら、リディアは手で私たちに止まれの合図を送り、私たちは廊下の陰に身を潜めて距離を詰める。五人の連携が自然に機能していた。


 カミーユ教官が再び歩き出し、建物を出て中庭を抜けると、私は心の中で速やかに位置を調整する。影と影の間合い。石畳に落ちる靴音。冷えた夕暮れの風が、私の髪を揺らした。カミーユ教官は意識してか無意識か、学舎の抜け道を選んで歩いている。まるで構内の構造を血肉のように知り尽くしているようだ。


 私たちは距離を保ちながらも確実に追う。講堂前の群れを避け、裏口を回り込み、古い蔵書棟の影を利用して身を隠す。今は見つかる訳にはいかない。確実に証拠を掴むことだけに集中するのだ。


 カミーユ教官が小さな石造りの回廊へ入る。灯りが少なく、反響音だけが大きくなる場所だ。一度、身を低くして壁沿いの継ぎ目を確かめる仕草を見せた。――その瞬間、リディアがわずかに前へ出て手招きで合図する。私たちはほんの一歩だけ前へと詰め、死角に潜んだ。


 回廊の角を曲がると、カミーユは急に速度を上げ、裏階段へと消えた。


「いそげ!」


 リディアの言葉で私たちはためらわず一斉に動く。

 五人が固まって階段を下り、石の匂いと冷気が混じる地下通路へと続く。足音を殺すため、靴の裏に意識を集中させる。


 地下通路の突き当たり、カミーユ教官は古い鉄製の扉を開け、室内へ入って行く。扉は小さく、普段は授業用具の保管に使われるだけの場所のはずだ。教官の姿が扉の内側に消えると、私たちは息を合わせて扉のそばで身を潜める。五人の気配だけが、薄暗い廊下に静かに溶けていった。 


 レオンがかすかに首を振る。彼の表情はいつになく真剣だ。私たちは互いに目で確認し合い、いよいよ決行の瞬間を待つ。外套の下で、私は剣の柄に指を回した。心の奥にある確信と恐れが混ざり合う。そこにあるのは――真実か、それとも罠か。


 扉の向こう側で、何らかの物音がする。紙が擦れる音、低い呪文のような囁き。カミーユ教官の声が、小さく、でも確かに聞こえた。


 扉の隙間からは、僅かに細い光が漏れている。……開いている。気取られぬように覗こう。

 私はリディアと視線を交わすと、そっと扉に耳を寄せ、わずかに隙間を広げた。錆びた蝶番が軋む音に、心臓がひやりと跳ねる。だが幸い、部屋の中の呟きにかき消された。


 そこにいたカミーユ教官の姿は、授業で見せる冷静な学者のそれではなかった。

 床に描かれたのは血のように赤黒い線で構成された円環――精緻な魔法陣だ。蝋燭がぐるりと立てられ、火が揺らめき、不気味な影を壁に映し出す。その中心で、カミーユ教官は外套を脱ぎ、掌に刃をあてて血を垂らしていた。


「……これで、封は解ける。あの愚かな連中に知られることなく……」


 教官の声が低く響き、魔法陣の紋様が赤く脈打つ。

 紙束や魔導具が床に散らばり、その中の一つ――学院の公式印章が押された文書を、彼は迷いなく裂いて燃やしていた。


 リディアが息を呑む気配を、私は隣で感じ取る。

 これ以上の証拠はない。学院の権威そのものを破壊し、禁呪の儀式を行う姿――まさに現行犯だ。


 だが、次の瞬間、カミーユの目が、ふいにこちらを射抜いた。まるで、最初から尾行に気付いていたかのように。


「……やはり来ていたのか。随分と子供じみた真似をしてくれる」


 囁きと同時に、魔法陣から黒い煙が噴き出し、扉の方へと迫る。

 レオンが即座に防御の結界を展開し、オルフェが私たちを押しのけるように前に出た。


「見つかったか……! 逃げ場はない。ここで押さえるぜ!」

 そう言ったオルフェの表情は、なぜか嬉しそうだった。……こいつ戦いたくて仕方なかったな。


 狭い地下室の前で、私たち五人は剣と魔法を構え、カミーユ教官と正面から対峙する。


 黒煙はまるで生き物のように形を変え、蛇や手の形を象りながら襲いかかってきた。

 レオンの結界が火花を散らして揺れ、彼の詠唱がそれに重なる。


「――〈雷撃散弾〉!」


 閃光が炸裂し、黒煙を切り裂いた。回廊に白い閃光と轟音が響きわたる。

 だが、切り裂かれた煙はすぐに再び形を取り戻し、二重三重に覆いかぶさって迫ってくる。


 カミーユ教官は魔法陣の中心から一歩も動かず、冷静に手を掲げていた。その眼差しには焦りがない。むしろ、こちらを見下ろすような薄笑いが浮かんでいる。


「子供の尾行ごっこで終わると思ったか?」


 掌から滴る血が魔法陣に吸い込まれると、石床が低くうなりを上げた。

 赤黒い光がさらに強まり、床板が脈打つように震えている。


「レオン! 結界がもたねー!」

 リディアが叫ぶ。

「わかってます!」


 オルフェが剣を抜いて一歩踏み込む。

「なら斬って止めるしかねえ!」


 その刹那――カミーユ教官は片手を振りかざし、魔法陣の一部を崩した。


 轟音。

 地下室に張り巡らされた封印が解放され、光と煙が爆ぜた。私たちは一斉に壁際へと跳ね飛ばされる。視界が真白に染まり、耳に刺すような衝撃音が響いた。


 必死に体勢を立て直し、煙の向こうを見やる。

 だが――そこにカミーユの姿はなかった。


 床の魔法陣は崩壊し、血と蝋燭が焼け焦げた跡だけが残されている。

 そして壁の一角、ありえないはずの石造りの隙間がぽっかりと開いていた。隠し通路だ。


「……逃げられた!」

 レオンが悔しげに歯噛みする。


 私の胸にも、(えぐ)られるような悔しさが広がった。証拠は掴んだ。だが――犯人を取り逃がした。


 リディアが震える声で呟く。

「学院の内部に……こんな通路を作れるなんて。やっぱり……」


 オルフェはまだ興奮冷めやらぬ顔で剣を握りしめ、レオンとアランは険しい視線を交わす。


「やつは、この通路の先に違いない。追いかけよう!」

 アランが決意を固めた表情で言った。


「おう!」

 オルフェはもう走り出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ