第4話 「彷徨う鎧」事件
セリウスとアランが大食堂でスープをすすっていると、背後から明るい声が割り込んできた。C組のフィオナが、トレイを片手にひょいと腰を下ろしてくる。
「ねえ、ねえ、お二人さん、聞いた? 昨日の夜中、寮で“ガシャガシャ”って不気味な音が響いたって噂。 鎧が勝手に歩き回ってるみたいだったって」
セリウスとアランは顔を見合わせた。
「鎧が……勝手に歩く?」
「そうそう」
フィオナは声をひそめ、宝石のような瞳をいたずらっぽく輝かせる。
「昨日の夜中、上級生の一人がトイレに行く途中で聞いたんですって。廊下の奥からガシャガシャ音がして、見に行ったら――飾り鎧みたいな影がひとりでに歩いていくのがちらっと見えたんですって」
「飾り鎧……あの、廊下にずらっと並んでる奴か?」
アランが眉をひそめる。
「くだらん噂だ。見間違いか、誰かの悪戯だろう」
「まあまあ、そう決めつけないの」
フィオナは指を振ってみせる。
「こういう古い学舎には、つきものよ。伝統ある場所には必ず『七不思議』のひとつやふたつあるんだから」
「七不思議……」
セリウスは胸の奥がざわめくのを感じた。
(もしかして――悪霊が取り付いるとか、古代の遺物や魔道具の仕業……?)
「セリウス?」
アランに呼ばれて、セリウスははっと我に返った。
「……えっと、でも本当なら放ってはおけないね。夜中に鎧が歩き回るなんて危ないし」
「セリウスは、そういう話を真に受けすぎだ」
アランは苦笑した。
「もっとも、動く鎧って魔獣の逸話も聞いたことがあるから、まるっきり嘘とも言い切れないか? ……確認するなら、夜中に見に行くしかないぞ」
「でしょ! でしょ! そういうことになるわよねぇ」
フィオナは頬杖をつきながら楽しげに微笑んだ。
「……どうする? 私も一緒に行ってあげようか? 怖がりなセリウスの手、握ってあげるわよ」
「べ、別に怖がってなんかないよ!」
セリウスは思わず声を荒げた。
「面白いな。セリウスが怖がっていないっていうなら……」
アランはセリウスを見て口元をゆるめ、あっさりと言い放つ。
「今夜、三人で鎧を見に行く?……もし噂が本当なら、正体を突き止めよう」
「賛成♪」
フィオナはカップを掲げ、祝杯のように紅茶を一口すする。
「『夜泣き鎧』退治! ふふ、今夜。楽しみね!」
こうして、セリウスたちは学舎を揺るがす『彷徨う鎧』の謎へと、足を踏み入れていくことになった。
夜。
消灯の鐘が鳴り響き、学舎の廊下は闇に包まれていた。
窓から差し込む月明かりが石床を青白く照らし、静寂をいっそう深くする。
私はそっと寮の部屋を抜け出し、指定の角で待っていたアランと合流した。
「……本当に行くんだな」
アランが低い声でつぶやく。
「行くって言ったのはアランだろ」
私はアランに囁き返す。
「まさか寝坊して来ないんじゃないかと思ったよ」
「誰が寝坊だ。……で、フィオナは?」
「ここよ、坊やたち」
石像の影から、ひょいと姿を現す長い黒髪の少女。スカートの端を摘まむようにして、芝居がかったお辞儀をする。
「お待たせして?」
「驚かすな!」
アランは小声で怒鳴った。
「忍び歩きなら少しは静かにしろ」
「まあまあ。夜の探検に騒ぎはつきものよ」
フィオナは楽しげに唇をゆがめる。
「さて――鎧が動き出すというのは、この先の飾り鎧の列だったわね?」
廊下の奥には、等間隔で甲冑が立ち並んでいる。
槍を携えた鋼の騎士たちが、永遠の衛兵のように沈黙し、月光に照らされて不気味に輝いていた。
「……確かに、動き出してもおかしくない雰囲気だな」
思わず身震いする。背中をつうっと冷たい汗が伝った。
「おいおい、怖気づいたのか?」
アランがにやりと笑う。
「ち、違う! ちょっと寒いだけです!」
「ふふ、セリウスったら。素直に『怖い』って言えば可愛いのに」
フィオナがわざとらしく囁く。
「ほら、手をつないであげる。ね?」
「いらないよ!」
ぴしゃりと断り、早足で先を歩いた。
その瞬間――
――ガシャリ。
甲冑の一つが、確かに微かに音を立てた。
三人の足が同時に止まる。心臓の鼓動だけが耳に響く。
「……聞いたか?」
アランが低くつぶやく。
「ええ、聞こえたわ」
フィオナの瞳が怪しく光り、唇に笑みが浮かぶ。
「まさか本当に動くなんて……最高に面白いじゃない!」
次の瞬間、廊下の奥で――飾り鎧が、カタリと首を動かした。
――ガシャリ。
甲冑の首がぎこちなく回転し、月光を反射して目が光ったように見えた。
続いて、足が一歩……二歩……と前に出る。
「う、動いた……!」
声が震える。
「おいおい、本当に動くのかよ!」
アランが剣に手をかける。
「ふふ、素敵! まるでおとぎ話の怪奇現象ね!」
フィオナは楽しそうに笑い、スカートの裾を翻して鎧を指差した。
「追いかけましょう!」
「ええっ! 逆だろ、逃げるんじゃなくて!?」
私の抗議をよそに、フィオナは真っ先に駆け出す。
鎧はガシャガシャと不自然な足取りで廊下を進んでいく。
まるで子供が歩くのを真似しているような、妙にぎこちない動きだ。
「待てっ!」
アランが追走し、私も慌てて続く。
――ガシャ、ガシャ、ガシャ!
甲冑の音が闇の廊下に反響する。鎧は角を曲がり、さらに奥へ。
「ちょ、待って、速い!」
「なんで鎧のくせに逃げるんだよ!?」
「ふふふっ! 最高に怪しいわね!」
三人が追いかけるうちに、ついに行き止まりの廊下に行き着いた。
そこには窓と、逃げ場のない石壁。
鎧はそこでカタリと止まり、がくんと膝を折って崩れ落ちた。
「……え? 止まった?」
私はおそるおそる近づき、倒れた鎧に手を伸ばす。
――カラン。
甲冑の隙間から、乾いた音を立てて何かが転がり出た。
中身は空っぽで、胸のあたりには震える小石と太い糸が仕込まれている。。
「……振動石? これ、訓練用の魔法具じゃないか」
アランが拾い上げて眉をひそめる。
「鎧の中に仕込んで、糸で引っ張って……なるほど、遠隔操作だな」
「ふふ、つまりは――悪戯ってわけね」
フィオナがくすくす笑う。
「誰が仕掛けたのかしら。センスは……まあまあ、ね」
そのとき――廊下の影から「うわぁぁ!」と情けない悲鳴が上がった。
ランタンを持った上級生二人が、顔面蒼白で飛び出してくる。
「ば、ばれた!? まさか一年に見つかるなんて!」
「ちょっとした肝試しのつもりだったのに!」
「やっぱり先輩の仕業か!」
アランが腕を組み、呆れ顔でにらむ。
「くだらん。驚かせてどうするんだよ!」
「だ、だってさぁ……! 毎年やってる恒例行事なんだよ! 今年の一年もビビると思って……」
私は胸の安堵を押し殺し、怒りの混じった声を上げた。
「……どれだけ怖かったと思ってるんですか!」
「ふふ、いいじゃない。青春のいたずらってやつよ」
フィオナは涼しい顔で肩をすくめる。
「でもまあ――『夜泣き鎧事件』、見事に解決ってところね」
私はため息をつきながらも、内心ではどこかホッとしていた。