第55話 《呪具の持ち込み事件》 3
学舎の中心部にある教官室。扉を開けると、明かりに照らされた長机の周囲に教官たちが集まっていた。学長もその中央に立ち、眉をひそめている。
「セリウス、アラン、リディア、オルフェ、レオン……お前たちか」
学長の声には驚きと緊張が混ざっていた。
「はい、学長。私たちも巡回中に不審な気配を察知しました」
私が答えると、学長は短く頷いた。
「報告を聞こう。すべて正直に」
教官のひとりが補足する。
「訓練用人形や魔法演習装置に異常があったという件か?」
「その通りです。今までにたくさんの呪具を回収してきましたが……」
レオンが小瓶と石片を机に置く。
「今もなお、呪具が仕掛けられ続けており、事故の原因となっています。これ以上放置すれば大規模な事故につながる恐れがあります」
教官たちは互いに視線を交わす。ガルド教官の顔も引き締まった。
「……これは、ただ事ではないな」
ガルドが低く呟く。
「学長、今も私たちは巡回しましたが、正体不明の黒衣の者と遭遇し、呪術で妨害されました」
リディアが拳を握り、緊張感を露わにする。
「学舎内に潜む者が、さらに呪具を次々に仕掛けようとしている可能性があります」
「……ふむ」
学長は机に手を置き、沈思黙考する。
「お前たち学生が危険に晒されるのは、看過できぬ。だが、教師だけで全てを防ぐことも難しい」
「俺たちも協力するぜ」
オルフェが鋭く言った。
「情報収集や怪しい場所の発見には、俺たちが率先して動ける。教官の目だけじゃ届かないところも、俺達なら気付くかもしれねー」
「……そうか」
学長はゆっくりと頷く。
「よろしい。君達に特別に捜査することを許そう。いや、お願いしたい。だが、危険な行為、特に単独行動は絶対にしないようにな。必ず二人以上で動くこと。そして、発見した呪具は直ちに私に届けよ」
「了解です」
アランが力強く返す。
「それから、要望です。夜間の警戒体制も強化してください。学舎の外部、通路、演習場すべてを重点的に」
学長は深く息を吐き、額の汗をぬぐう。
「わかった……。お前たちも無理はするな。敵は内部に潜むかもしれぬ。慎重に、だ」
私たちは互いにうなずき合い、緊張感を胸に刻む。
学舎全体を覆う闇の存在を知った今、私たち五人は、夜間巡回と秘密調査を続けながら、次の一手を考えなければならなかった。
***
月明かりが差し込む学舎の廊下。私たち五人は慎重に足音を殺しながら進む。
訓練場、人形置き場、魔力炉の間を順に巡回する。
「……異常はなし」
オルフェが呟きながら周囲を見渡す。
「気を抜くな。奴は隠れてるかもしれない」
リディアが警戒を緩めない。手には短槍を握っている。
「……あれ、影だ」
オルフェが低い声で指を差す。廊下の先、薄暗い影が人影のように動いた。
「黒衣……間違いない」
私が息を呑む。影は廊下の端にすっと消えたかと思うと、私たちの前に現れる。
「動くな!」
アランが長剣を構え、リディアも警戒の構えを取る。
影は低く呟き、手をかざすと、空気がうねるように揺れた。
「な、何だ……これは!」
私の体が思うように動かない。背中に冷たい感覚が走る。
「呪術だ……打ち消す!」
レオンが叫び、即座に唱えた光の魔法がぶつかり合い、かろうじて呪詛を跳ね返す。
オルフェが突進し、大剣を振り下ろすが、黒衣の影はすっと消える。まるで幻のようだった。
「奴、消えたか……?」
オルフェが息を荒げる。
「消えたと言えど、絶対にまだ学舎のどこかにいる」
アランが周囲を見回し、冷静に指示を出す。
「分散せずに、互いに連絡を取り合いながら捜索を続けよう。危険だから単独行動だけはさけるぞ」
私は深く息を吐き、皆の顔を見渡す。
「……分かった。確かに夜間の学舎は油断はできない。奴は学舎内部のどこかに潜んでいるはずなんだからね」
影の存在が、私たちの胸に重くのしかかる。
夜の学舎に漂う冷気が、さらに危険な空気を濃くしていた。
そして、五人は互いに距離を取りながらも、互いを確認し合い、夜間巡回を続けるのだった。
「静かに! あそこで影がなにかしている」
アランが声を潜めながら指さす。
影は壁際に身を沈め、懐から黒い石片を取り出した。
それを柱の継ぎ目へ押し込むと、符のような薄紙がぱっと浮かび、淡い紅色の光を帯びる。
「……今の、見たか!?」
オルフェが思わず声をあげる。
「静かに!」
リディアが制止するが、その眉間には緊張の皺が寄っていた。
黒衣は呪を結び終えると、振り返りもせず走り去る。まるで廊下の構造を熟知しているかのように、迷いなく非常口の扉を選んで。
「……今の動き。学舎の内部構造を知りつくしてなきゃ無理です」
レオンが低く呟く。
「つまり、ただの外部の刺客じゃない……?」
セリウスが喉を鳴らす。
すぐさま五人で柱へ駆け寄る。そこには、黒い石片とともに焼けた灰がわずかに残されていた。
「これは……」
レオンが鑑定の術を施すと、符の灰がかすかに紫の光を放つ。
「間違いありません。帝国式の呪術です。魔力の残滓がそう示しています」
「帝国……? でも、どうやってこんなところに……」
リディアが目を細める。
「しかも仕掛けた場所は訓練場の要となる柱だぞ。柱が壊れれば、天井が崩れて大惨事になる」
オルフェの声が硬くなる。
セリウスは灰を見下ろし、唇を噛んだ。
「帝国からの侵入者か、内部の裏切り者か……どちらにせよ、これはもう国家レベルの事件だよ」
「決まりだな。ここで影を逃がすわけにはいかない」
アランが長剣に手をかける。
「俺たちで追うしかないぞ!」
私たちは柱に残された灰を確かめると、すぐに駆け出した。
黒衣の影は非常口の扉を選び、迷いなく奥へと消えた。
「急げ! まだ遠くへは行ってない!」
アランが先頭を走り、長剣を抜き放つ。
廊下の奥、窓から差し込む月明かりに、黒衣の端が翻るのが見えた。
「いたぞ!」
オルフェが大剣を担ぎ上げ、勢いよく飛び込む。
だが影は壁を蹴り、信じられない身軽さで廊下の梁へと飛び乗った。
「高い! 逃がすか!」
リディアが短槍を投げるように突き出す。だが、黒衣は符を一枚投げ捨てると、赤い火花のような幻影が立ち上り、槍の刃先を逸らした。
「また呪術か……!」
私は思わず息を呑む。
その隙に、影は梁を伝って裏階段へと姿を消す。
「痕跡を見ろ!」
アランが鋭く指差す。灰の小さな粒が、影の通った跡をまるで道標のように残している。
「この呪符は燃え尽きても魔力を帯びる。追えるはずです!」
レオンの指摘に、アランが頷き、私たちは灰の痕跡を追って階段を駆け降りる。
石造りの踊り場を抜けた瞬間、影が立ち止まって振り返った。
その手には、黒光りする刃の短剣。
「……来るぞ!」
オルフェが叫ぶと同時に、影が呪文を吐き、廊下一帯に黒い靄が広がった。
まるで視界そのものを奪うような闇の中で――追跡戦は本格的に幕を開けた。




