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『男装の令嬢は男になりたい』  作者: 米糠


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第51話 オークションの後で

 

 寮の食堂に腰を落ち着けた五人は、湯気の立つスープにも手を付けられず、ただ呆然としたまま現実感を取り戻せずにいた。

 あの石の落札額は――一億五千万ゴールド。桁外れの数字が、まだ頭の中でぐるぐる回っていた。

 そして王国軍総司令ゼルディア将軍からの呼び出し。


 どちらも普通なら夢物語のような話である。


「リディア……俺の頬、つねってみてくれ」

 オルフェが力なく顔を突き出す。


 無言でリディアが指先を伸ばし、思い切りひねり上げた。

「いっっっでええっ!」

「……夢じゃないみたいだな」

 リディアの気の抜けた声に、五人の空気がかすかに和らぐ。


 だが笑いはすぐに途切れた。レオンが腕を組み、低く言う。

「しかし……一億五千万ゴールドですよ。王国の将軍が、そんな額を出してまで手に入れた品を僕たちが見つけ出してきたってことになります」


「ああ、あれだけの激戦の末に手に入れた品だからな。それなりの値は付くだろうと思っていたが……二千万どころか、一億五千万に跳ね上がるとは予想外だったな」

 アランが応じる。


「本当だね。ギルドに売っていたら2千万だったと思うと、危なかったわけだね」

 私も思わず驚きを隠せなかった。


「それにしても、ギルドの査定額、今思うと桁違いに安すぎじゃねえか?」

 リディアも正気に返って不満を口にした。


「二千万が一億五千万だからなあ。確かに売らないで良かったし、ギルドの査定は、安すぎだな」

 オルフェが胸で腕を組み正気に返ったように口を尖らす。


 アランはリディアとオルフェを確認しながら言い放つ。

「オークションってのは、時に常識外れの値が付く時もあるんだろうよ。ギルドの査定は二千万以上って言ってたんだし、オークションに出した方が良いともアドバイスしてくれたし、ギルドの対応としたら、そんなもんだろう。しかし、一人三千万! みんな何に使うんつもりだ?」


「三千万かー! 俺は実家に千万程送金してあとは銀行に預けておくよ」


「へー! 手堅いんだな、リディアは。俺は伝説の武器でも買おうかな」


「オルフェ! 伝説の武器は、三千万じゃ買えないんじゃないですか?

 一流の武器なら買えるでしょうが」


「やはりそうか。じゃあ一流の武器を買うことにするぜ。お前は?」


「僕は、魔道具か、魔導書か、そういうものをみつけた時のために取っておきます」


「レオンらしいね。私もオルフェ程の武器とは言わないが、ゼルディア将軍からの依頼に備えて、一流の武器や防具を購入しよう。セリウスは?」

 アランが私の方に振り向く。


「うん。私もアランたちに倣って、武器や防具を整えるよ。なにせあのゼルディア将軍からの依頼をいただけるんだからね」

 私は無意識に背筋を伸ばす。だが、その時胸の奥がざわついた。

「……誇らしい反面、怖くもあるね。将軍に『期待している』って言われた時、嬉しいよりも先に責任の重さを感じたよ」


「私もだ」

 アランが窓辺で腕を組み、真剣な声で続ける。

「おそらく近いうちに、王国から正式な依頼が来るだろう。たぶんそれは、学舎の課題どころではない、重大な使命だろう」


 リディアが視線を伏せて呟く。

「まあ、それはそうだろうけど……でも、もし本当にそんな依頼が来たら……俺たちに果たせるかなあ。将軍の目にかなうほどの活躍ができるかなあ」


「やってやるぜ!」

 オルフェが両手を頭の後ろに組み、苦笑する。

「あんな大金が動く場で注目されたんだ。俺たちはもう、ただの学舎の生徒じゃねえ。王国の未来を担うかもしれない存在といえるぜ!」


 レオンは深く息を吐き、椅子の背にもたれた。

「ほんとオルフェって羨ましいです。メンタル強いっていうか? 能天気っていうか? ……将軍の鋭い眼差しが脳裏に焼き付いて離れないんです。背筋が凍るような視線だったのに、どうしてそんなに平気でいられるんですか? 僕なんか……期待と同じくらい、重い枷を背負ったって感じてしまいますよ」


「それは私も同じだよ」

 アランが真剣な顔で言った。

「ただ、私は枷じゃなくて鎖だと思ったな。逃げようとすればするほど、絡みついて重くなる鎖だ。あの将軍の言葉を思い出すたびに、心臓が締め上げられるような感覚になる。でも同時に、その鎖が私たちを大きな舞台へ引き上げてもくれる」


 リディアが小さく笑う。

「珍しいなあ、普段は理屈っぽいだけなのに、アランが詩人みたいなこと言うなんて」


「悪いか」


「いや。そういう心構えがなきゃ、ゼルディア将軍の期待には応えられないだろうぜ」


 レオンは苦い笑みを浮かべた。手元のカップを握りしめたまま、震える指先を隠そうとする。

「みんな強いなあ。僕はまだ……どうしても責任の重さの方にばかり気を取られてしまう」


 私はレオンの言葉にうなずいた。

「正直、私も同じだよ。胸が誇らしい半面、怖くてたまらない。けど……きっとその恐れを持っていること自体が、大事なんじゃないかな。将軍が試したのは、実力だけじゃなく、そういう覚悟だったんだと思う」


 オルフェは背もたれから勢いよく身を起こし、豪快に笑った。その笑い声は食堂の高い天井に反響し、静まり返った空気を無理やりかき乱した。

「覚悟ねえ! 難しいことはよくわかんねーけど、俺はやるだけやるさ! それで将軍に『やるじゃねえか!』って言わせてやる!」


 アランは額に手を当て、ため息を一つついた。だが口元はほんのわずかに緩んでいた。

「単純なやつだな……でも、オルフェのそういうところは好きだぜ」


 ふと、食堂の窓の外から鐘の音が響いた。重々しく金属が揺れる低音は、夜の冷たい風に乗って寮の石造りの壁を震わせる。その音が、今日の出来事が夢ではなく現実なのだと改めて告げているようだった。夜の帳が落ち、学舎の一日が終わりを告げる。

 けれど私たちの心は休まらなかった。


 ――一億五千万ゴールドという金額。

 ――ゼルディア将軍からの「期待している」という言葉。


 それらが胸の奥に沈み込み、鉛の塊となって動きを鈍らせる。笑おうとしても頬が引きつり、肩の力を抜こうとしても強張りが解けなかった。


 長い沈黙ののち、アランが窓の外に目を向けた。遠くで灯火が揺れ、学舎の外の世界が静かに動いているのが見える。

「……近いうちに、答えを出さなくちゃならなくなるな」

 アランの言葉を、誰も否定することはできなかった。






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