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『男装の令嬢は男になりたい』  作者: 米糠


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第49話 オークション


 夏休みの間、五人はあの後《深紅の洞穴》に五度潜り、汗と血と共に鍛錬を積んだ。剣筋は磨かれ、判断力も鍛えられ、息を合わせた戦いぶりは最初の頃とは比べものにならないほどに洗練されていた。


 そして、一ヶ月が過ぎ、オークションの日がやって来た。

 セリウスたちは、『ビギタリアダンジョン』で手に入れた、ギルドの専門家の鑑定で二千万ゴールドは下らないと言われた、儀式の核として用いられるに足る、強大な魔力を宿した媒介石を、そのオークションに出品している。

 その出品者として、五人にはオークション会場への特別入場資格が与えられていた。


「二千万……数字にすると実感が湧かねーな」

 オルフェが腕を組んで唸ると、レオンが涼しい顔で笑う。

「普通の冒険者が十年かけても稼げない額かもしれませんね」


 話し合いの結果、せっかくの機会だと全員で会場の雰囲気を味わうことにした。


 会場は王都の中心、貴族街に隣接する《金星の館》の大広間。白大理石の柱が立ち並び、金糸のカーテンが天井から垂れ下がる豪奢な建物だ。入口には黒服の従者たちが並び、出席者を一人一人品定めするような目で迎えている。


 中に足を踏み入れると、煌々と輝くシャンデリアが視界を覆った。磨き抜かれた大理石の床は、歩くたびに靴音を響かせる。香水の甘い匂いが漂い、会場の空気はすでに熱を帯びていた。


 ホール中央には円形の舞台、その上に厚布で覆われた展示台が並んでいる。舞台の周囲には三層の観覧席が設けられ、すでに貴族や豪商、軍の高官らしき人物たちが談笑を交わしながら席につき始めていた。

 煌びやかな衣装の貴婦人たちが扇を手に笑い、指には宝石が光っている。対照的に、粗野な雰囲気の豪商は太い指で金杯を握り、じろりと周囲を値踏みしている。


「……うわ。場違い感がすごい」

 リディアが赤髪をいじりながら、落ち着かない様子で囁く。


「でも、ちょっと胸が高鳴るね」

 セリウスは舞台を見つめながら答えた。


「ふっ。俺たちが出す石が、どんな争奪戦になるのか……楽しみじゃねーか」

 オルフェはにやりと笑うが、その目にはわずかな緊張が宿っている。


 やがて、黒服の進行役が舞台に現れ、澄んだ声で開会の挨拶を述べた。

 その瞬間、ざわめきがぴたりと止まり、会場に重苦しいほどの期待感が満ちていく。

 

 進行役の黒服が舞台中央に立つと、手元の鐘を軽く鳴らした。

「では、これより王都定例オークションを開始いたします」


 最初に運ばれてきたのは、掌ほどの大きさの水晶玉だった。布を外すと、内部に青い光がゆらめく。

「第一品――《蒼環の結晶》。魔法陣の安定器として知られ、上級魔導師の研究に重宝されます」


 観覧席がざわめいた。

「開始価格五十万ゴールド!」


「五十五万!」

「六十万!」

 すぐさま声が飛び交い、競り合いが始まる。数字が重なるたび、空気はわずかに熱を帯び、会場の空気が波打つように揺れた。


「最初からこの勢いか」

 オルフェが呆れたように眉を上げる。

「こりゃ俺たちの石が出る時は……」


「とんでもない騒ぎになりますね」

 レオンが静かに頷いた。


 続いて出されたのは、古代帝国時代の装飾剣。宝石が埋め込まれた鍔に、貴族たちが息を呑む。

「開始価格百五十万!」

「二百万!」

「二百五十万!」


 手を上げる度に席がざわつき、観覧席の熱がさらに高まっていった。

 セリウスはその様子を目に焼き付けながら、拳を膝の上で握った。

「……これが、王都の上層か」


 やがて十数点が競り落とされ、会場は熱狂の渦に包まれていた。金額が跳ね上がるたびに、嘆息と拍手が交錯する。

 黒服の進行役は一拍置き、わざとらしく観衆を見渡した。


「さて――次は、本日の目玉のひとつです」


 ざわっ、と場内にどよめきが走る。

 分厚い布に包まれた箱が、護衛付きで運び込まれた。舞台に置かれると、観覧席の視線が一斉にそこへ注がれる。


「来るぞ……」

 リディアが息をのむ。


「間違いない。俺たちの媒介石だ」

 アランは表情を引き締めた。


 布が取り払われるその瞬間を待つように、会場の空気は重く、熱く、膨れ上がっていった。

 やがて拍子木が打ち鳴らされ、会場のざわめきがすっと静まった。

 壇上に立つ拍賣人が両腕を広げ、よく通る声を張る。


「――次なる出品物こそ、本日の目玉! その価値は計り知れず、すでに各ギルド、王侯、名家より多くの視線が注がれております!」


 観客席に緊張が走る。

 最前列では、豪奢な羽飾りをつけた貴婦人がオペラグラスを構え、奥の方では武装を解かぬままの騎士団が無言で見守っていた。

 息をのむ音が、あちこちで重なる。


「では……ご覧いただきましょう!」


 壇上中央に据えられた台座。

 その上には漆黒の布が重ねられていた。

 拍賣人が片手をかける。

 観客席の数百の視線が一点に集中し、空気が張り詰める。


「――開帳!」


 布が翻った。


 次の瞬間、場内に赤とも紫ともつかぬ光があふれ出した。

 脈動する心臓のように脈打つ輝き。台座に載せられたのは、拳ほどもある結晶――セリウスたちが血と汗で手に入れた、あの《魔力の媒介石》だった。


「……っ」

 観客たちが思わず息を呑む。

 誰かが椅子をきしませて立ち上がり、別の誰かが抑えきれずに小さく叫んだ。


「これが……」

「本物か……!」

「とてつもない……」


 言葉にならぬざわめきが広がり、静寂だった空間が一気に熱を帯びる。


 セリウスたちは、最前列の陰に身をひそめるようにして、その光景を食い入るように見つめていた。


 リディアが小声で呟く。

「……やっぱり、すごい。俺たちがあれ出品したんだよな」


 アランが鼻を鳴らす。

「さて、どれだけ値が跳ね上がるか……見ものだな」


 彼らの視線の先で、媒介石は眩く光を放ち、会場全体を飲み込むかのように脈動していた。


「さあ――入札を開始いたしましょう! 開始価格は、一千万ゴールド!」


 拍賣人の声が響いた瞬間、空気が爆ぜた。


「一千二百万!」

「一千五百万だ!」

「二千万!」


 矢継ぎ早に声が飛び交い、場内の熱気が一気に跳ね上がる。

 最前列の商人が額に汗を浮かべ、後方の貴族が護衛を従えて堂々と声を張り上げる。


「二千五百万!」

「三千万!」

「三千五百万!」


 観客席はざわめきとどよめきに包まれた。

 すでに開始数分で、セリウスたちが予想していた「二千万ゴールド」は軽々と越えてしまっていたのだ。


「す、すごい……」

 リディアが目を見張る。


 レオンも低く唸った。

「これだけの魔力があれば、国ひとつの軍事力が跳ね上がります。各家が必死になるのも当然かもしれませんね」


 拍賣人が手を掲げて声を張る。

「三千五百万! 三千五百万でよろしいですか!? 他に――」


「四千万!」


 鋭い声が割り込んだ。

 その場の誰もが一瞬息を呑む。


 声の主は、場の隅に控えていた黒衣の人物だった。

 深くフードをかぶり、ただならぬ雰囲気を漂わせている。

 近くに座っていた商人たちが慌てて席を引き、距離を取った。


「誰だ……?」

「見ない顔だな……」

「まさか、裏社会の……?」


 観客たちの囁きが広がり、空気が一層ざわつく。

 アランが眉をひそめて呟いた。

「やっかいな奴が食いついてきたな」


 それでも、貴族たちは怯まなかった。


「四千五百万!」

「五千万だ!」


 額面が飛ぶたびに、場内は歓声と悲鳴で揺れる。

 だが黒衣の人物は間髪入れずに告げた。


「六千万」


 淡々としたその声音に、会場全体が凍りついた。

 もはや常識を超えた数字――その一言で、他の競り人たちが次々と声を失っていく。


 拍賣人が興奮を隠せない笑顔で声を張る。

「六千万ゴールド! これは……とんでもない大金だ! さあ、他に挑む方は……!」


 誰もすぐには声を上げられなかった。

 セリウスたちは固唾を呑み、ただ事態の成り行きを見守るしかなかった。

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