第33話 《王家紋章の剣》事件 1
模擬戦を終えた翌日。校庭での騒ぎを知った教師グランツにこっぴどく叱られたセリウスたちと、オルフェ、フィオナ。
罰として命じられたのは、学舎の誇りとされる展示室の清掃だった。
「……ったく、雑巾がけだぁ? 戦ったばかりの俺に休みもねぇのかよ」
オルフェはぶつぶつ言いながらも、渋々バケツを抱えてついていく。
広間の奥にある展示室は、ひんやりとした空気に包まれていた。
高い天井からは淡い魔導灯が下がり、壁一面には古代の甲冑や名工の武具が並ぶ。
その中で、ひときわ人目を引くものがあった。
金の装飾を帯びた鞘に収められた、一本の長剣。
柄には深紅の宝石が嵌め込まれ、鍔の中央には、王家の紋章――双頭の獅子が刻まれていた。
透明な魔導ガラスのケースに収められ、周囲には淡い結界の光が漂っている。
「……これが、《王家紋章の剣》」
セリウスは思わず息を呑む。
「綺麗……」
リディアが目を奪われ、思わずケースに手を伸ばしかけて引っ込める。
「ねえ、あれってただの飾りじゃないよね?」
レオンが静かに頷いた。
「うん。由緒ある王家の儀礼剣だよ。戦で使われた記録はないけれど……王国そのものの象徴として、代々大切に守られてきたものだ」
「お宝ってやつだな。売ったら一体いくらになるんだろうな」
オルフェがニヤニヤ笑うと、フィオナが扇子を開く仕草で口元を隠した。
「まあ下品な。あなたみたいな野蛮人に触られたら、一瞬で錆びてしまいそうですわ」
「なんだと!?」
「ふふふ、冗談よ」
そんなやりとりをよそに、セリウスは剣から目を離せなかった。
ただの儀礼剣にしては、妙な迫力がある。
まるでガラス越しに視線を感じるような……王家の威光そのものが、そこに凝縮されているようだった。
「……不思議だな。この剣、ただ飾ってあるだけなのに、見てると背筋が伸びる」
アランも真顔で頷いた。
「わかる。これはただの宝じゃない。王家の歴史そのものだ」
グランツ教師の低い声が背後から響く。
「その通りだ。王家の剣は、学舎に貸与されている王国の誇りだ。お前たち、掃除と見回りを命じられた意味をよく考えろ」
一同は背筋を正す。
誰も、この誇り高き品が数日後に消えるなど、想像すらしていなかった――。
***
その日の夕刻。
寮の食堂で夕餉をとっていたセリウスたちのもとに、突如としてけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
ゴオオオオン――校内の空気を震わせる重低音。非常事態を告げる合図だった。
「な、なんだ!? 火事か?」
オルフェが慌てて立ち上がる。
「違う……これは《展示室》の異常を知らせる警鐘だ!」
レオンが青ざめた顔で叫んだ。
生徒も教師も一斉に廊下へ飛び出し、波のように展示室へと押し寄せていく。
ざわめき、怒号、足音が重なり合い、いつもの学舎が一変して混乱の渦と化した。
セリウスたちがたどり着いた時、展示室の扉はすでに開かれ、中は大騒ぎだった。
教師グランツが顔を真っ赤にし、守衛に怒鳴っている。
「どういうことだ! 結界はどうした! 警戒は何をしていた!」
視線の先――
中央のガラスケースは粉々に砕け散り、淡く輝いていた結界の光も消え失せていた。
そしてそこにあるはずのものが……なかった。
「……剣が……ない!?」
リディアが青ざめて声を上げる。
確かに昨日見たはずの王家の剣――双頭の獅子の紋章を刻んだ儀礼剣が、影も形もなく消えていた。
「おい……まさか盗まれたってのか!?」
オルフェの野太い声が響く。
観衆の生徒たちがざわめき、恐怖と好奇の声が入り混じる。
「結界を破るなんて……」
「学舎の守りは鉄壁じゃなかったのか?」
「誰が……?」
グランツ教師の拳が震え、石床を殴りつけた。
「愚か者め……! これは単なる宝ではない! 王国の象徴を盗まれるなど、学舎の名誉にかかわる大事件だ!」
その瞬間、空気が張り詰めた。
生徒たちも教師も言葉を失い、ただ割れたガラスと空虚な台座を見つめる。
セリウスは息を呑んだ。
(……まさか。本当に盗まれたのか? あの王家の剣が――誰の手に?)
展示室の冷たい空気の中、ただ砕け散ったガラスが月光を反射し、不気味に煌めいていた。
展示室の騒ぎは瞬く間に学舎全体に広がり、職員室や寮まで緊張が伝わった。
セリウスたち五人も、自然と教師たちの鋭い視線に晒されることとなる。
「君たち……昨日の夕方、展示室に誰が出入りしていたか、覚えているかね?」
グランツ教師の声は冷たく、まるで氷を切るようだった。
リディアは一瞬目を見開き、オルフェは肩をすくめ、アランは額に汗を浮かべた。
フィオナは少し微笑みを浮かべつつも、瞳の奥に警戒の光を宿す。
「……全員、授業後は寮で過ごしていました」
セリウスが慎重に答える。
「そうかね……だが、結界は昨日の夜、まだ生きていたはずだ」
グランツは手元の帳簿を指差し、詰問する。
「鍵も管理下にあった。君たちの誰かが触れた可能性がゼロとは言えぬ」
生徒たちは互いに目を合わせ、顔色を強張らせた。
レオンが小さく息を吐く。
(まさか、僕たちが容疑者扱い……!?)
「セリウス、どうする?」
リディアが耳打ちする。
「……まず冷静に、状況を整理するしかない」
セリウスは拳を軽く握り、意を決したようにうなずく。
その時、教師の一人が不穏な声を上げた。
「実は目撃情報がある。夜遅く、展示室周辺に見慣れぬ影が出入りしていたと……」
六人は瞬時に反応する。
アランが眉をひそめ、オルフェは肩をすくめ、リディアは思わず背筋を伸ばした。
「影って……それって、僕たちじゃないですか!?」
レオンが慌てて声を上げる。
しかし教師たちは首を横に振った。
「違う。君たちは寮に戻ったのを複数の目撃者が確認している。だが、君たちの誰かが関与していた可能性は捨てきれない」
その言葉に、一瞬、六人の間に沈黙が落ちる。
胸の奥で疑念が芽生え、互いを見つめ合う――それは信頼というより、まだ証明されていない疑いだった。
教室の外からもざわめきが聞こえた。
「なんだって!?」
「生徒が関与したのか!?」
観衆の声は不安と好奇で渦巻き、校庭にまで緊張が伝わる。
セリウスは深呼吸をし、仲間たちに視線を向けた。
「……でも、僕らは何もしてない。証明してみせる」
アランが拳を握りしめ、燃えるような眼差しで教師を見返す。
「王家の剣を盗んだのは俺たちじゃない。必ず犯人を見つけ出す」
その決意を受けて、仲間たちも一斉にうなずく。
こうして、疑惑の影が学園に落ち、六人は事件解決のための行動を余儀なくされることになった。