第32話 オルフェとフィオナ 2
夏の太陽に照らされた校庭に、フィオナの声が高らかに響いた。
「いくわよ、オルフェ!」
しなやかな脚が芝を蹴り、軽やかに駆け出す。
その動きは戦いというより舞踏に近い。ひらりとスカートが揺れ、白い足が弧を描いたかと思うと、鋭い突きがオルフェの胸を狙う。
「チッ、速ぇ!」
オルフェは反射的に大剣を横薙ぎに振る。だがフィオナは身体をひねり、刃を紙一重で避けると、再び細剣の切っ先を伸ばした。
チリリ、と金属音が夜に弾ける。
フィオナの突きが、オルフェの肩鎧をかすめたのだ。
「ほら、言ったでしょう? 折られる前に刺すって」
フィオナは挑発的に笑みを浮かべる。
「小癪な……!」
オルフェは唸り声をあげ、踏み込んだ。大地が震え、長大な剣がうねりをあげて振り下ろされる。
だがフィオナはその軌道を読んでいた。
舞うように身を翻し、髪とスカートをふわりと揺らすと、オルフェの死角へ滑り込む。
「そこっ!」
閃光のような突きが、オルフェの脇腹を狙った。
「ぐっ……!」
鋭い痛みにオルフェが顔をしかめる。観衆の生徒たちが「おお!」と歓声をあげた。
「なあ、セリウス。フィオナって……本当に速いな」
リディアが感嘆の声を漏らす。
「うん……。力はオルフェに及ばないけど、一撃を当てる技術は確かに上だよ」
セリウスは真剣な顔で見つめていた。
「まだまだこれからさ」
アランがにやりと笑う。
「オルフェは、やられっぱなしの男じゃないからね。ここからが本番だよ」
戦場では、フィオナがひらりひらりと舞い、オルフェの猛攻をいなし続けていた。
その姿はまるで白鳥の舞のよう。観衆の誰もが目を奪われ、次の一手を息を呑んで見守っていた。
だが、ここでオルフェが黙って押され続けるはずもなかった。
大剣を振り下ろした姿勢から、彼はぐっと腰を落とし、重心を低く構え直す。
「……なるほどな。速ぇ突きは厄介だが、同じ調子で何度も刺そうってんなら――」
大地を踏み鳴らす轟音と共に、オルフェが前へと踏み込む。
ただの振り下ろしではない。フィオナの逃げ道を塞ぐように、刃が斜めに薙ぎ払われた。
「うっ……!」
フィオナはすかさず後退し、細剣で受け流そうとする。だがオルフェの剛力が腕を震わせた。
体重を乗せた一撃は、いなすだけでは済まされない。
「ほらよッ!」
さらに踏み込み、容赦のない二連撃。
フィオナの瞳が鋭く光る。
「力比べはしないって言ったでしょう?」
白い脚が芝を蹴り、ひらりと側面へ回り込む。再び閃光の突きが走る――が。
「待ってたぜ!」
オルフェは読んでいた。わずかに肩をずらし、突きをかわすと、振り返りざまに大剣を大地へ叩きつけた。
轟音。土煙が立ち上がり、フィオナの視界を覆う。
「くっ……!」
咄嗟に身を引いたフィオナの髪を、刃先の風圧が掠めた。
観衆が再びどよめく。
「おおっ……! 避けた!?」
「すごい、でもフィオナも危なかった!」
リディアが腕を組んで唸る。
「ちょっと、オルフェやるじゃないか。力押しだけじゃなく、ちゃんと工夫してる……ただの脳筋じゃなかったんだな」
セリウスは真剣に頷いた。
「うん。相手の癖を見て、わざと隙を作ってさそってる……。オルフェも成長してるんだね」
戦場では、フィオナが小さく笑っていた。
「ふふ……そうこなくっちゃ。あなた、ただの脳筋じゃなさそうね」
「当たり前だ! 力も、工夫も、ぜんぶで勝つんだよ!」
オルフェは豪快に吠え、大剣を担ぎ直す。
土煙が風に流れ、二人の影が再び交差する。
オルフェは獣のような踏み込みで距離を詰め、大剣を振り上げた。
「これで決めるッ!」
その剛腕から繰り出される一撃は、もはや避け場を失った暴風そのもの。観衆も思わず息を呑む。
だが――。
「……遅いのよ」
フィオナの身体がふわりと沈み、白い脚が芝を滑る。大剣の刃は髪をかすめて空を裂き、風圧だけがフィオナの頬を打った。
次の瞬間。
鋭い金属音と共に、冷たい切っ先がオルフェの喉元で静止していた。
観衆の生徒たちが一斉に息を呑み、歓声が爆発する。
「な……っ!」
オルフェは驚愕の表情を浮かべつつ、やがて苦笑して肩を落とした。
「……参った。お前の勝ちだ」
フィオナは細剣を引き、優雅に一礼する。
「ふふ、力強さは確かに脅威だったわ。でも最後に決めるのは、速さと技よ」
オルフェは悔しさを滲ませながらも、にやりと笑う。
「チッ……けど、次は俺が勝つ」
そのやり取りを見ていたセリウスたちも胸を熱くしていた。
「……すごい。二人とも、ただの模擬戦なのに全力で成長してる」
「うん。剛力と速さ……お互いがぶつかり合ったからこそ、あの決着になったんだ」
決着の瞬間、観衆の生徒たちがどっと歓声を上げた。
「すごかったぞ、フィオナ!」
「いや、オルフェもめちゃくちゃ強かった! あれを避けたのが奇跡みたいだ!」
「どっちが勝ってもおかしくなかったな……!」
口々に賞賛が飛び交い、校庭は拍手と熱気に包まれる。
勝敗は決したものの、二人の全力のぶつかり合いは観衆の心を掴んで離さなかった。
だが、その熱狂を切り裂くように、鋭い声が響く。
「――貴様ら、何をしている!」
全員がはっと振り返ると、そこには鬼のような表情を浮かべた教官・グランツが立っていた。
筋骨隆々の体を揺らし、仁王のごとき迫力で歩み寄る。
「校庭を血で汚すつもりか! 模擬戦を許可なく行うなど、規律違反も甚だしい!」
その叱責に、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように後退りする。
オルフェとフィオナもさすがに気まずそうに顔を見合わせた。
「し、しかし先生! 二人とも怪我はしてませんし、むしろ――」
誰かが言いかけるが、グランツの一喝が遮る。
「黙れ! 戦いに勝った負けた以前に、規律を守れぬ者に騎士を名乗る資格はない!」
オルフェが肩をすくめ、頭をかく。
「わ、悪ぃ……つい熱くなっちまった」
フィオナは悪びれもせず、優雅にスカートを揺らして一礼した。
「先生。ですが皆の前でお互いを高め合えたのは、決して無駄ではないはずですわ」
「言い訳無用!」
グランツは雷鳴のように怒鳴りつけ――しかし一拍おいて、ふっと笑みを漏らした。
「……もっとも、技も剛力も、見応えはあった。だが次にやるときは、必ず教官の立ち会いを得ろ。よいな?」
二人は同時に「はい!」と声を揃える。
観衆からも安堵の笑いが起こり、校庭はようやく落ち着きを取り戻した。
セリウスは小さく息を吐きながら、仲間に囁いた。
「結局、怒られちゃったけど……でも二人とも、すごかったね」
リディアは腕を組み、口元に笑みを浮かべる。
「ふん、次は私の番かな。あの二人にだって負けないさ」
夏の日差しの下、校庭の熱はまだ冷めやらなかった。