第31話 オルフェとフィオナ 1
三日の間セリウス達はダンジョン内で野営をし、全員がホブゴブリンの単独撃破を経験、余裕をもって一対一でホブゴブリンを倒せるようになっていた。
そして無事、1回目のダンジョン探索を切り上げ、騎士養成学校《ヴァルロワ学舎》の寮に帰還した。
「寮の飯が、こんなにうまいと思ったのは、初めてだぜ……」
オルフェは肉の煮込みを大口でかっこみながら、心底幸せそうに笑った。
「ほんと……。三日間ずっと干し肉と冷たい携帯食ばかりだったもんね」
リディアは湯気の立つスープを一口飲み、頬を緩ませる。舌に広がる塩気と温かさが、胃の底までじんわり染みわたっていった。
セリウスはパンを両手でちぎりながら、感慨深げに呟いた。
「こうして全員で揃って帰ってこられて、本当に良かった……」
その言葉に、全員の表情が一瞬引き締まる。ダンジョンでの死闘の記憶はまだ鮮明で、誰もがその危うさを知っていた。
だが次の瞬間、アランが豪快に笑って肩を叩いた。
「おいおい、暗い顔するなって! 全員がホブゴブリンを一対一で仕留められるようになったんだ。もっと胸を張っていいんだぜ!」
「そうそう。僕らはみんな、一回りも二回りも強くなって帰ってきたんですよ」
レオンが柔らかな笑みを浮かべる。眼差しには、以前にはなかった自信の光が宿っていた。
「二回目のダンジョン探索は、今より奥に進むんですよね」
「……次は、もっと強い敵が待ってるんだろうな」
リディアがぽつりと呟く。
セリウスは小さく笑い、パンをかじりながら答えた。
「うん。たぶんホブゴブリンが一度に五匹とか。……全く違う魔獣が現れたりするかもしれないしね」
「ふふふ! 腕がなるぜ!」
オルフェが自身満々に笑う。
そのとき、華やかな声が食堂に響いた。
「あらあら皆さん、お久しぶりね。実家にお戻りになられているかと思っていたわ。三日もダンジョンに潜っていたの?」
現れたのは、フィオナ・ド・ヴェルメール。美貌と仕草は完璧に女性そのものだが、実は男である。学舎では男物の制服を着ているが、それ以外は女物の服を着ている。寮の食堂ではもちろん生足にスカートである。醜いすね毛などは影ひとつない。
「ああ。俺たち五人は、かなり強くなったんだぜ!」
リディアが嬉しそうに自慢した。
「まー。セリウスも強くなったの? 頼もしいわ」
「ま、まあ、少しはね」
セリウスは照れ隠しにパンを口に放り込み、頬を赤らめる。
「でもセリウス。あまり腕の筋肉とか、つけない方が良いわよ。せっかく細くて美しいんですから」
「俺から見れば、セリウスはほそすぎだな。男は腕っぷしだからな。剣撃の重さは、体のでかさと大きく関係する。もっと体重を付けた方が良いぞ」
オルフェが腕を組み、丸太のような上腕をわざと見せつける。
「オルフェ。セリウスは、俺みたいにスピードで勝負するタイプだから、体は細くてもいいんだよ。分かってないな」
リディアがオルフェにお呼びでないよと掌を振る。
「そうよー。セリウスは、細くて美しいままじゃなくちゃね」
フィオナは当然のように言い切った。
「フィオナは筋肉つけないの? 剣の腕前、なかなかだって聞くよ」
セリウスが首をかしげると、フィオナは笑顔で胸を張った。
「私はね、セリウス。逆に筋肉がつかないように苦労してるの。ちょっと油断すると、すぐ力こぶできちゃうのよねー。だからあなたも気をつけなさい」
「お前、騎士になるためにこの学校にいるんじゃねーのかよ?」
オルフェが呆れたように吐き捨てる。
「フィオナさんは、卒業したら騎士にならないのですか?」
レオンが真面目に問いかけた。
「私は強くて可憐な騎士になるつもりよ。美しさはマストなの」
「そんな、ひょろっとした腕じゃあ、強いって言ってもたかが知れてるけどな。見ろこの腕を!」
オルフェは力瘤を作って見せつける。
「あーら。私、オルフェに負けるつもりはなくってよ」
フィオナが挑発的に微笑み返す。
「ははは、冗談はそのくらいにしておけ」
「脳筋は、これだからやあね。パワーだけが強さをきめるようそじゃないのを教えてあげましょうか」
「なんだと。やるか?」
「いいわよ。軽ーく捻ってあげる」
「その言葉。そのまま返すぜ」
「二人とも、やめよーよ」
セリウスは慌てて両手を振る。だがオルフェとフィオナは視線をぶつけ合い、譲る気配はない。
「セリウス。私の戦い方、ちゃんと見ててね」
フィオナが意味ありげにウィンクする。
結局、食堂の騒ぎは収まらなかった。
オルフェとフィオナが互いに一歩も引かず、火花を散らすように睨み合ったまま、周囲の生徒たちが「おお、模擬戦か!」とどよめく。
「……仕方ないわね。ここでは迷惑だから、外で決着をつけましょう」
フィオナが髪をかきあげ、すらりと立ち上がった。その所作ひとつで、周囲の男子生徒の何人かは頬を赤らめる。
「上等だ。お前がどれだけ言うほどのもんなのか、俺が確かめてやる」
オルフェも椅子を蹴るように立ち上がり、大剣を肩に担いで校庭へ向かう。
わっと歓声が上がり、生徒たちは面白がって二人の後をついていった。セリウスたちも顔を見合わせ、慌てて後を追う。
夜の校庭は、まだ晩夏の名残を含んだ風が吹き抜けていた。
月明かりが芝生を照らし、二人の影を長く伸ばす。観衆の生徒たちは半円を描くように取り囲み、模擬戦を見守った。
「ふふ……。じゃあ、始めましょうか」
フィオナは腰に差したレイピアを抜いた。月光を受けて細身の剣が白銀に煌めく。
「軽い剣だな。俺の一撃を受けたら、そのまま折れるんじゃねぇのか?」
オルフェは大剣を地面にドンと突き立て、豪快に笑った。筋肉の鎧をまとった体躯が夜気の中でさらに大きく見える。
「折られる前に、突いてみせるだけよ」
フィオナは挑発するように唇を吊り上げ、優雅に剣を構えた。その立ち姿はまるで舞踏会で踊る令嬢のようだが、眼差しには獲物を狙う猛禽の鋭さが宿っている。
「どっちが勝つかな……」
リディアがごくりと唾を飲む。
「オルフェの一撃は重いけど、フィオナさんの剣は速い。――これは、いい勝負になりますよ」
レオンが冷静に観察する。
「二人とも、怪我だけはしないでよ……」
セリウスは胸を押さえ、不安げに声をかける。
アランは腕を組み、にやりと笑った。
「心配するな。殺し合いをするわけじゃない。多少の怪我ならポーションで直るんだ。馬鹿どもにはいい薬だ」
夜の空気が一瞬、張りつめる。
フィオナとオルフェの間に、目に見えぬ緊張の糸が張られた。
「――始め!」
誰ともなく声が上がり、模擬戦は幕を開けた。