第1話 男装の令嬢、騎士養成学校へ
ここはレーヴァンティア王国。
豊かな麦畑とワインの産地で知られるが、近年は北方のガルド帝国との国境で緊張が高まっている。
そのため、王都アルヴェーヌでは若き騎士候補の育成にかつてない熱が注がれていた。
王都アルヴェーヌ――王国の政治と文化の中心であり、華やかな宮廷と広大な市街を抱く。春、セリウスとアランは、この都へと到着した。
石畳の大通りには商人や旅人が行き交い、街角には大道芸人や吟遊詩人の姿まである。領地では見たこともない光景に、セリウスは思わず馬車の窓から身を乗り出した。
(……ここが王都……。アラン様と共に学ぶ新しい日々が、ここから始まるんだ)
やがて馬車は、壮麗な学舎へと辿り着く。
騎士養成学校《ヴァルロワ学舎》。王国屈指の武門の誉れであり、貴族子弟と有力市民の若者が剣と学問を競い合う場所。白大理石で築かれた校舎は堂々たる威容を誇り、広大な練兵場や図書館を併設していた。その門をくぐるだけで、胸が高鳴る。
入学初日、広間には全国の有力貴族や騎士の子弟が一堂に会していた。
セリウスは思わず周囲に気圧される。煌びやかな家紋を刺繍した制服を誇らしげに着こなす者たち。長剣を下げて自信に満ちた目を光らせる少年たち。
「緊張してるか、セリウス?」
アランが優しい視線をセリウスに向けて笑った。彼は王都南方の大領地リヴィエール公爵領の嫡男。
金糸のような長髪を後ろで束ね、黒地に銀の縁取りが入った制服のマントを翻している。道行く村娘たちが一斉に振り向くほどの美貌だ。
「緊張? してない。むしろ……むしろ、やっと剣を振るう場に立てるのが楽しみだ」
そう答えたが、誰が見ても緊張しているのが丸わかりだ。
アランはセリウスの肩に手を置き、小声で囁き微笑む。
「私もだ」
「ここに集うのは皆、将来の王国を背負う者ばかりだ」
式辞に立った教頭の言葉が、空気を一層引き締めた。
セリウスは隣に立つアランの姿をちらりと見る。
彼は涼しい顔で広間を見渡し、緊張する素振りすらない。
(……やっぱりアラン様は堂々としていらっしゃる。私は……私も、負けていられない!)
やがて新入生たちはそれぞれのクラスに振り分けられた。
セリウスとアランは幸いにも同じ組になったが、そこにはすでに個性豊かな面々が待ち受けていた。
無口で大剣を背負う巨躯の少年。
快活に笑う赤毛の少年。
そして、僅かに異質な雰囲気を纏う黒髪の少年――。
セリウスは息を呑む。
(……この人たちの中から、仲間を見つけるんだ。罠を見抜ける者、回復の術を操る者、魔術を使える者……。でも、誰が信頼できるかはこれから見極めなければ……!)
入学式を終えた新入生たちは、それぞれの教室へと案内された。
セリウスとアランが配属されたのは一年A組。
重厚な木扉を開けると、ざわめきと若者たちの熱気が押し寄せる。
皆、武を志す同世代。緊張と自負がないまぜになった視線が交錯する。
「よし、それでは一人ずつ自己紹介をしよう」
担任を務める教官が厳しい声で言い渡した。
最初に立ち上がったのは、筋骨逞しい大柄の少年だった。
「オルフェ・ダラン。辺境の砦を預かる父のもとで育った。得物は大剣。馬術もそこそこできる。――俺は将来、戦場で百人を率いる騎士になるつもりだ」
力強い声に、教室の空気がどよめいた。
(ダラン辺境伯のご子息か? ……圧がすごい。前衛としては申し分ないけれど、仲間としてうまくやっていけるかな)
セリウスは思わず姿勢を正した。
オルフェ・ダラン。……一見脳筋のように見えるが実際はどうだろうか。
次に立ったのは、赤毛で活発そうな少年。
「リディア・マルセル。山間の小領地の出身。小柄だけど、馬上での弓と短槍なら負けない。斥候や伝令の役目なら、きっと誰より速くこなせるよ!」
明るい声に、教室の空気が一気に和らぐ。
(どうやら、平民出身のようだが、まだ確定はできないな。でも、弓と馬術……。斥候役にうってつけだ。こういう人がいてくれたら、ダンジョンの中でもきっと助けになるはず)
三人目に立ったのは、細身の少年。背筋はすらりと伸び、無駄のない所作に気品が漂う。
「レオン・フィオリ。王都出身。家は武官の家系だ。得意なのは槍。趣味は魔法、正々堂々とした試合と訓練を望む」
簡潔な言葉だが、その眼差しは研ぎ澄まされている。
(武官の家系で……槍術。大柄なオルフェとはまた違う、正統派の武人って感じなのに、趣味が魔法? 魔法が使えるなら貴重な存在だな)
次にアランの番が来た。
「リヴィエール公爵家の嫡子、アラン・リヴィエールだ。剣と馬術を学び、皆と共に励むつもりだ。どうぞよろしく」
凛とした声が訓練場に響く。まだ年若いながらも背筋を伸ばしたその姿には、幼さよりも気品が先に立っていた。
簡潔な挨拶であったにもかかわらず、言葉の端々に自信と誠実さがにじむ。
一瞬の静寂のあと、自然と拍手が起こった。
「さすが公爵家の御曹司だな……」
「落ち着いてるなあ。堂々としてる」
ざわめきとともに、好意的な囁きがあちこちで漏れる。
セリウスはその姿を横目で見つめながら、胸の奥が不思議と熱くなるのを感じた。
(やっぱり、アラン様は……みんなを惹きつける方なんだ。私も――負けていられない)
アランは集まった少年たち一人ひとりの顔を見渡し、最後ににこりと笑った。
「共に切磋琢磨しよう」
その言葉に、さらに大きな拍手と歓声が広がった。
アランに続いて、セリウスの番が巡ってくる。
胸の奥がどくん、と大きく跳ねた。視線を集めるこの場で、自分の正体を隠し通さねばならない。
「セリウス・グレイヴ。リヴィエール公爵家に仕える、小さな騎士爵家の嫡子です」
声がわずかに震えそうになるのを押し殺し、低めの声色を意識して言葉を継ぐ。
「……得意とは言えませんが、剣を修めています。将来は、アラン様を守れる立派な騎士になりたいと思っています」
それは偽らざる本心。だが、同時に「男」としての立場を貫くための精一杯の言葉でもあった。
言い終えた瞬間、会場に小さなざわめきが広がる。歳の割にきちんとした受け答えをしたことへの好意的なものか、あるいは細身で華奢な体つきを怪訝に思う視線か――。
セリウスは背筋をぴんと伸ばし、ただ前を見据えて耐えた。
隣のアランが、静かに、けれど確かに頷いてくれる。
その仕草ひとつに、胸の奥の強張りがふっと解け、思わず唇が熱くなるのを感じた。
(……大丈夫。私が女だと知られてはいない。これからも、アラン様の隣に立つために……)
そう固く誓いながら、セリウスは深く息をついた。