第26話 『ビギタリアダンジョン』6
通路をしばらく進むと、ちょうど広間のように開けた場所に出た。天井は高く、苔が淡く光を放っている。
ここならば野営もできそうだ、とアランが判断する。
「今日はここで休もう。無理して進むより、体力を残した方がいい」
そう言うと、五人は頷き、それぞれ準備に取りかかった。
オルフェが背負っていた荷を下ろし、折り畳み式の簡易テントを広げる。
「よっ……と! こういう作業は俺の腕力が役立つだろ?」
「珍しく役に立ってるな」
リディアがからかうと、オルフェは眉を吊り上げる。
「珍しく、は余計だ!」
レオンは火打石で火を起こし、小さな焚き火を作った。ぱちぱちと音を立てて炎が燃え上がり、広間の薄暗さを和らげる。
「やっぱり火があると落ち着きますね」
「うん……あったかい」
セリウスは炎を見つめ、ほっと息をついた。
「じゃあ、晩飯にしようぜ!」
リディアが嬉しそうに声を上げ、持ってきた干し肉や黒パンを取り出す。
「お前……そういう時だけは本当に元気だな」
アランが苦笑する。
五人は簡素な食事を囲み、思い思いに口を動かす。
戦闘の緊張がようやく緩み、笑い声が響いた。
「それにしても、セリウス。最後の一撃、なかなか格好よかったぞ」
オルフェが大きく頷く。
「お、お世辞でも嬉しいよ……」
セリウスは赤面し、パンをかじって誤魔化した。
食事が終わると、アランが真顔に戻る。
「さて。夜なかは順番に見張りを立てよう。二人ずつ、交代制で行く」
「賛成です。全員で寝てしまったらゴブリンとかに、寝込みを襲われかないですからね」
レオンも同意する。
「じゃあ最初は俺とアランな!」
リディアが勢いよく手を挙げる。
「……リディア、ちゃんと起きていられるのか?」
「大丈夫大丈夫! ほら、俺って元気だからさ!」
その言葉に全員が苦笑した。
「次の番は私とセリウスでどうだ?」
「わ、わかった。頑張るよ。アランは連続で大丈夫なの?」
「ああ。大丈夫だ。初めは私が2回やるよ」
セリウスは少し不安そうにしつつも頷いた。
「最後は俺とレオンか。問題ない」
オルフェは豪快にあくびをしながらも、頼もしげに笑う。
こうして順番が決まり、それぞれが休む準備に入った。
焚き火の炎が広間を揺らめかせ、仲間たちの影が石壁に踊る。
他の三人は眠りにつき、アランとリディアが入り口近くで見張りをしていた。
しばし沈黙。焚き火の光が、アランの横顔を照らす。
リディアがふと真顔になった。
「……なあ、アラン。ちょっと、言っときたいことがある」
「なんだい?」
「俺さ、山ん中の小さな領地の生まれなんだ。ただの平民どころか、すげぇ田舎者でな。……兄貴も姉貴も真面目で畑を継いで、家を守るのに必死だ。俺だけ落ち着きがなくて、いつも『余計者』扱いだった」
赤毛を伏せるように揺らし、リディアは小さく笑った。
「でもな、馬に乗って弓撃ったり、ナイフを投げたり、短槍担いで走り回ったり――そういうのだけは得意でさ。斥候や伝令なら誰にも負けねえって自信がある。だから、この学舎に来た。騎士になれば、家族にも胸を張れると思ったんだ」
焚き火を見つめながら、リディアの声が少しだけ震えた。
「……それでもさ、公爵家の御曹司のアラン様が、貴族でもねえ俺を、差別なく、ちゃんと仲間として見てくれてんだろ? それが、すげー嬉しいんだ」
アランは驚いたようにリディアを見やり、ゆっくりと言った。
「私は家柄で仲間を選んだ覚えはないよ。必要なのは、信頼できる腕と心だ。リディアは十分、それを持ってる。それにダンジョン探索には罠を見つける技能が必要だ。リディアが名乗りを上げてくれて、正直助かったよ。誘いに行く手間が省けた」
リディアはぱっと顔を上げ、ニッと笑った。
「……なんだ。俺はもともとスカウトされる予定だったのか。よし、ますますやる気が出てきた。頑張るぜ!」
それ以上は照れくさいのか、リディアは再び焚き火を見つめた。
アランは少し驚いたように目を細め、静かに頷いた。
交代の時間。リディアが寝袋に潜り込み、セリウスが静かに立ち上がった。
すでに見張りに立っていたアランが振り返り、うなずく。
「交代か。……眠気は大丈夫か?」
「うん。緊張で、逆に眠れそうにないくらいだよ」
セリウスは苦笑しながら、焚き火のそばに腰を下ろした。
しばらく炎がはぜる音だけが響く。
セリウスが、ぽつりと口を開いた。
「……戦ってるときは夢中で分からないけど、後になって思い返すと、体が震えるんだ。剣を握る手も、まだ熱くて、怖くて……」
セリウスは自分の両手を見つめ、握っては開き、また握りしめた。
アランは静かに火を見つめたまま、落ち着いた声で答える。
「震えるのは、恐怖を知っている証拠だよ。臆病だからこそ、人は慎重に動ける。無謀に突っ込むより、ずっと生き延びやすい。恐怖を知って、それを克服して戦ってこそ真の有機って言えるんじゃないかな」
「……でも、俺みたいに怖がってばかりでは、みんなの足を引っ張るんじゃないかって……」
セリウスの声は小さく、焚き火の爆ぜる音にかき消されそうだった。
アランはようやく彼の方を見やり、ゆっくりと言った。
「足を引っ張ってるなんて思ったことはないよ。セリウスは、自分の役目を果たそうと必死に剣を振っている。恐怖で戦いに躊躇してる風にはみえないな。それとも騎士になるのが嫌になったのかい?」
「いえ! そんなんことはない。私は騎士になってアランに仕えるんだ。絶対騎士爵のあとを継ぐ」
セリウスは何か吹っ切れたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……ありがとう。少し気が楽になった」
「いいんだ。……恐怖は消えないかもしれないけど、それを越えて前に進めるなら、……それで私の騎士になるには十分だ」
焚き火の炎が、二人の横顔を赤く照らした。
セリウスは小さく息を吐き、握る手の震えをじっと見つめながら、静かに頷いた。
夜も深く、広間は静まり返っている。
最後の見張りはレオンとオルフェだった。
「地図、もう三枚目ですね。進むにつれて分岐が増えています」
「お前は本当に几帳面だな」
オルフェはあくびを噛み殺しながら笑う。
「几帳面でなければ、帰れなくなりますから」
「ははっ、そりゃそうだ。俺は地図なんざ一度も真面目に見たことねぇ」
「……だから、僕が道案内するんです」
レオンは少し皮肉っぽく言い、だが声はどこか楽しそうだった。
火が小さくなり、暗がりが広がる。
レオンはふと目を細め、オルフェに問う。
「……君は、どうして冒険を?」
「ん?」
「戦うこと以外に、何か目的があるのかと」
オルフェは一瞬黙り、それから苦笑した。
「さあな。強ぇ奴と戦いたい。それだけだ」
「……シンプルですね」
「おう。だからおれは迷わねぇ」
レオンは黙って彼を見つめ、それから小さく微笑んだ。
「……羨ましいですね」