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第21話 『ビギタリアダンジョン』1

 

 夏休みに入った《ヴァルロワ学舎》の寮は、昼間の喧騒を終えて少し静けさを取り戻していた。

 外では虫の声が響き、窓から流れ込む夜風はむし暑い日中とは違って心地よい。


 だが、セリウスたち五人が集まるアランの部屋には緊張した空気が漂っていた。

 ――明日、初めての「ダンジョン探索」に挑むからだ。


 アランは資料の束を広げ、慎重に説明を始める。

「明日挑むのは『ビギタリアダンジョン』通称『風穴洞窟かざあなどうくつ』だ。学舎の東、三時間ほど歩いた丘陵地帯に入口がある。外から見ると小さな岩穴だが、地下は複雑な迷路状になっていて、薄暗く湿気が常に漂っている」


 セリウスは資料を覗き込み、眉をひそめる。

「迷路状……ですか。視界も悪く、足元も滑りやすいとなると、戦闘中に方向感覚を失いやすいですね」


 アランは地図を指でなぞりながら続ける。

「入口付近は自然光が届くが、中に入れば暗闇。初級ダンジョンだから、敵は小型モンスターが中心だ。コウモリ型の群れ、スライム、小型ゴブリン……地下環境特有の敵もいる。戦闘経験だけでなく、地形を読む力も必要になる」


 リディアが小さく息をのむ。

「戦闘だけじゃなく、探索の判断力も試されるんだね……」


 オルフェは胸を叩き、笑みを浮かべる。

「面白そうじゃん! 迷路でモンスター退治……俺の腕も試されるってわけだ!」


 セリウスは肩の荷を少し下ろすが、心の奥でわずかに緊張を抱えた。

(……風穴洞窟か。無理せず、全員で無事に戻ってこなくちゃ)


「予備のポーションは三本。回復用は俺が持つけど、攻撃補助はリディアに任せる」

 机の上に並べられた小瓶を指し示しながら、アランがきっぱりと言った。

 彼は公爵家の家柄らしく几帳面で、こういうときも抜かりがない。


「了解! 炎の粉末も持ったし、後は任せといて!」

 リディアは元気よく笑い、小瓶を腰のポーチに収める。


 レオンは黙々と紙に記録を書き込んでいた。

「道中の分岐の数、地形の推測……初級ダンジョンといっても迷路状です。僕が記録するので、できるだけ落ち着いて進みましょう」


「地図係はお前に任せるよ」

 オルフェが大剣を壁に立てかけ、豪快に笑う。

「どうせ戦いになりゃ、俺は切り込み役だ! 腕が鳴るぜ!」


「……突っ込みすぎて敵に囲まれるのは、もう勘弁してほしいけどね」

 セリウスが苦笑しながら荷物を詰め直す。

 胸の奥が少し高鳴っている。初めてのダンジョン、どんな光景が待ち受けているのだろうか。


 準備がひと段落すると、五人は窓の外に目を向けた。夜空には星が瞬き、どこか遠くから焚き火の匂いが漂ってくる。


「……明日が楽しみだな」

 セリウスがぽつりと呟くと、アランが軽くうなずいた。

「気を抜かずにいこう。全員で帰ってくるのが一番大事だ」


「ふん、そんなの当然だろ!」

 オルフェが拳を鳴らす。

「俺たちの初陣、絶対に派手に決めてやる!」


「派手さはいらないと思いますが……まあ、オルフェらしいですね」

 レオンが肩をすくめ、皆が笑う。


 緊張と期待を胸に、それぞれが布団へ潜り込む。

 けれどセリウスはなかなか眠れなかった。

 胸の奥に渦巻く不安と高揚感、そして明日から本当にダンジョン探索に踏み出すんだという実感が、彼を眠りから遠ざけていた。


 目的の『性転換魔道具』は、ダンジョンの深層。セリウス達はまだ、浅層に初めて入る段階。実力を養って、卒業までには深層を自由に探索できるようにならなくてはならない。


 夜空に瞬く星を見つめながら、セリウスは小さく拳を握った。


 ***


 朝日が昇りはじめた頃、《ヴァルロワ学舎》の寮はまだ眠りに包まれていた。

 だが、正門前にはすでに五人の影が並んでいる。


「よし、全員そろったな」

 アランが声を上げると、仲間たちはそれぞれ頷いた。


 セリウスは荷物の肩紐をぎゅっと握る。胸が少しだけ高鳴っている。

(いよいよだ……私たちの初ダンジョン探索)


 そのとき――背後から、甘やかな声が響いた。


「まあ、なんて勇ましいのかしら。まるで戦場に赴く騎士様たちね」


 振り返ると、寮の階段に長い黒髪をさらりと揺らすフィオナ・ド・ヴェルメールの姿があった。

 宝石のような青い瞳が朝日に輝き、白磁の肌にかかる薄衣は、まるで舞踏会に向かう令嬢そのもの。――だが、本人は男だ。


「フィオナ!? こんな朝っぱらから……」

 セリウスが思わず声を上げると、フィオナは扇子を広げて唇に微笑みを浮かべる。


「ええ、あなたたちが初ダンジョン探索に行くと聞いて、眠過ごすわけにはいかなかったの。ほら……出陣前には淑女(※本人談)のおまじないが必要でしょう?」


 そう言って、彼はすっと歩み寄り――アランの手を取った。


「ご武運を、アラン。あなたの凛々しい背中大好き。私、ずっとあなたの無事を祈っているわ」


「っ……!」

 アランは一瞬たじろぎ、耳の先まで青くなる。


「ちょ、ちょっとフィオナ!? からかわないでくれ!」

 セリウスが慌てて割り込むと、フィオナは小さく笑った。


「からかってなんていないわ。本気よ。美しい者は性別も常識も超えるもの……覚えておいて?」


 オルフェが背中を丸めて笑いをこらえる。

「お、おいアラン、すげえ顔真っ青じゃねぇか!」


 リディアもくすくす笑いながら手を振った。

「ありがとフィオナ! お土産話、期待してろよ!」


「もちろん。あなたたちの輝かしい武勇伝、楽しみにしているわ」


 フィオナの見送りに半ば押されるように、五人は街道へと歩き出した。

 夏の朝の空気は涼しく澄み、まだ人通りの少ない道を進む。鳥のさえずりが耳に届き、草原の向こうには遠く小さな森の影が広がっている。


 その背後で――寮の階段に立つフィオナは、扇を口元に当てて呟いた。

「ふふ……アラン、気をつけてね。無事に帰ってこなければ……許さないわよ」


 セリウスは荷物の肩紐をぎゅっと握る。胸が少しだけもやもやしている。


 ***


「はーっ、朝から歩きっぱなしだな!」

 オルフェが大剣を背負い直しながら、大げさに肩を回す。


「もう疲れたんですか? 意外と体力無いのですね」

 レオンが冷静に返すと、オルフェはむっとした顔で鼻を鳴らす。


 そんなやり取りを横目に、リディアは軽快な足取りで進んでいた。

「風が気持ちいいし、私もうワクワクしてきた! いい感じじゃん!」


 セリウスは微笑みながら、アランへと視線を向けた。

 真剣な表情の彼は、ずっと前を見据えたまま歩を進めている。


 やがて――街道の先に、黒ずんだ岩肌の洞窟が口を開けていた。

 森の木々に囲まれ、まるで大地そのものがぽっかりと穴を空けたような光景。武装した衛兵が入り口を守っている。


 近づくにつれ、ひんやりとした冷気が漂ってくる。

 夏の朝の陽気とは対照的に、洞窟の前は別世界のように肌寒い。


「……ここが」

 セリウスが小さく呟く。


「初めてのダンジョン、か」

 オルフェがごくりと唾を飲み込む。


「思ったより……暗いですね」

 レオンが眉を寄せ、紙束を抱き直した。


「冷気が流れてきてる。内部は広く、奥まで続いている証拠だ」

 アランが淡々と分析する。


 洞窟の入口には、探索を終えて戻ってきた冒険者たちの姿もちらほら見える。彼らの鎧には泥や血の跡があり、それだけで緊張感が増していった。


「……よし」

 セリウスは拳を握る。

「俺たちも行こう。初めての一歩だ」


 五人は互いに目を合わせ、頷き合った。

 そして、薄暗く口を開けた洞窟の中へと、足を踏み入れた。




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