第20話 夏の学園祭
六月の暑さが徐々に増していく《ヴァルロワ学舎》。石造りの校舎の間を吹き抜ける風にも、夏の香りと、微かに焼けた草の匂いが混じる。
広場では、学舎の学園祭準備が始まっていた。生徒たちはテントを立て、装飾用の旗を風に揺らし、各クラスごとに出し物の準備に取り組んでいる。
「この飾り、もう少し低い位置にしたほうが見栄えいいんじゃない?」
セリウスの落ち着いた声が、金槌の音や笑い声にまぎれて響く。彼は友人たちと一緒に、自分たちのクラスの展示ブースの飾り付けを調整していた。
アランは重い木箱を軽々と抱え、的確な指示を飛ばしながら周囲をまとめ上げていた。
「机の配置はこうだよ。通路は広く取って、訪問者が混乱しないようにね」
リディアは元気いっぱいに旗を持ち、柱に結びつける。
「ほら、こっちもピンで留めるんだ。夏っぽく、元気に見えるだろう!」
その鮮やかな赤と金色の旗は、青空に映えてまぶしかった。
オルフェは少し汗をかきながら、屋台用の道具を運ぶ。
「重いな……でも、これで焼き菓子やジュースを提供できるはずだ」
彼の手には、大剣に似た大きな木製の棚板が抱えられていたが、周囲の生徒が笑いながら手伝ってくれた。
レオンは手帳に数字を書き込みながら、光の角度や展示の配置を緻密に調整していた。
「光の加減で展示が見やすくなるはずです……この位置で、陰にならないように」
学舎の廊下や階段には、絵画や手作りの装飾が所狭しと並ぶ。
校庭の端では、音楽部や演劇部の生徒たちがリハーサルを行っており、明るく伸びやかな歌声や、台詞の練習の声が風に乗って響いてきた。
「よし、午後には全体の確認を終わらせよう」
セリウスが皆に声をかける。
「暑いけど、夏の学園祭は一日だから、思い残すことないように楽しもう」
六月の柔らかい日差しの下、学舎の生徒たちは笑顔で作業に励む。教室の窓からは、風に揺れる旗や、彩り豊かな装飾がちらりと見え、夏の学園祭の期待感が校舎中に満ちていた。
《ヴァルロワ学舎》の夏の学園祭当日。
セリウスとアランのクラスは「騎士見習い体験ブース」という出し物を準備していた。
木製の模擬剣や軽い防具を用意し、来場者がちょっとした「模擬騎士修練」を楽しめるという趣向だ。
「子どもでも遊べるし、貴族のご令嬢方も騎士の訓練に触れられるのが新鮮だろう」
そう提案したのはアランだった。準備段階から真面目に進行を仕切り、クラスの生徒たちからも一目置かれている。
やがてブースの前には列ができ、華やかなドレス姿の令嬢たちや、興味津々の子どもたちが押し寄せてきた。
「まあ……! こんなに重たいものを、わたくしが持ってもよろしいのかしら?」
「素敵……! 持ち方まで丁寧に教えてくださるなんて」
「きゃっ……! あ、危うく隣に当てるところでしたわ。……でも、優しく直してくださるのね。」
淡いレースや宝石をあしらったドレスに身を包む令嬢たちが、扇で口元を隠しながら列を作り、目を輝かせてアランの前に立っていた。
アランは落ち着いた微笑みを浮かべ、令嬢の震える手を支えながら自然に構えを整えてやる。
「腰を落として、足を肩幅に。剣は振り下ろす前に腕を固めすぎないことです」
「きゃっ……! あの、わたくし、手が震えて……こ、こうでよろしいですか?」
「ええ、とても筋がいい。お嬢様でも、きっと立派に剣を振るえますよ」
誠実な眼差しと礼節をわきまえた口調に、令嬢たちはこぞって頬を染め、心臓を押さえていた。
「アラン様……! すごく頼もしいですわ!」
「また手ほどきを受けに参りますわね!」
「終わったらご一緒にお茶など……」
彼女たちが口々に誘いをかける姿に、ブースの周囲はちょっとした黄色い歓声に包まれた。
一方、セリウスは横で小さな子どもたちに木剣を貸し、楽しそうにじゃれ合っていた。
「はい、こっちだよ。振るときは怪我しないようにね!」
彼(彼女)の明るい笑顔に、子どもたちは「お兄ちゃんすごい!」と喜んでいる。
しかし――背後から聞こえる貴族の令嬢たちの甲高い声援と、アランを取り巻く熱気に、セリウスは苦笑を浮かべつつ、胸の奥に正体不明のざわめきを覚えた。夏の熱気のせいか、それとも別の感情か――自分でも分からない。男として振る舞うと決めた自分が、なぜ彼の周囲の笑顔に心を揺らされるのか。セリウスは言葉にならない火種を胸に抱えていた。
「……アランって、やっぱり人気あるんだね」
「性格が固いからモテないんじゃないかと思ってたけど……」
リディアが遠くから腕を組んで眺め、肩をすくめる。
「不器用なほど真面目だからこそ、逆に安心感を与えるのでしょうね」
フィオナは涼やかに扇を広げながら、まるで観客のように楽しんでいた。
「しかも公爵家の嫡男。身分も将来性もあり、貴族の礼儀作法も完璧なのが余計に好印象なのですわ」
オルフェは大げさにため息をつき、腕をぶんぶん振ってみせた。
「俺の剣技のほうが派手で見栄えすると思うんだがなぁ……。なんでこう、アランばっかり……」
レオンは苦笑いしながら手帳にメモしていた。
「分析すると、派手さよりも『誠実さ』が評価されているようです。……これは参考になりますね。」
アランは礼儀正しく笑顔を崩さぬまま、令嬢たちの求めに応じて木剣を渡し、ひとりひとりの手をとって構えを直していく。
「はい、もう少し足を開いてください……そうです。剣は――」
「まあ! わたくしも見ていただけます?」
「次はわたしの番ですわ!」
「終わったらぜひご一緒に……!」
次から次へと押し寄せる声。額にはうっすら汗がにじみ、普段は冷静なアランの口元も、さすがに苦笑いを隠せなくなっていた。
「……これは、戦場よりも手強いな。剣を振るうより礼儀で立ち回るほうが、よほど骨が折れる」
ようやく小休止を得た彼は、低くぼやいた。
少し離れた場所で子どもたちの相手をしていたセリウスは、その様子を横目に見ていて落ち着かない。
(あんなに囲まれて……断りきれないなんて、アランらしいけど……)
子どもたちが去った後、セリウスはつい声をかけていた。
「……ねえ。お茶の誘い、全部断ったんだ?」
アランは当然のようにうなずく。
「無論だ。ああいう誘いに応じていては、騎士としての務めが果たせない」
その答えにセリウスは一瞬きょとんとしたが、すぐに小さく笑った。
胸の奥のもやもやが少し軽くなった気がして、セリウスはそっと息を吐いた。
ブースは終始盛況で、アランはその日だけで数えきれないほどの令嬢から感謝や誘いの言葉を受けることになった。
――夏の学園祭は、彼にとってある意味「修練」以上に疲れる一日となったのだった。