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プロローグ 2

 

 それからというもの、セリウスは定期的にリヴィエール公爵家の館に通うことになった。

 大広間の奥に設けられた学習室で、アランと並んで机に向かう。


「この地方の地形を覚えていることは、領地を治める領主や、その補佐を務める騎士・文官にとって当然の務めだ。セリウス殿、ここは何と呼ばれている?」

 家庭教師の問いかけに、セリウスは緊張で汗ばむ掌を握りしめながら地図を覗き込む。


「……えっと、これは《メイユの谷》、です」


「よくできました」

 教師が頷く。隣のアランは涼しい顔で、さらに先の地名や名産品まで暗唱してみせた。


「さすが、アラン様」

「覚えてしまえば簡単だよ。君もすぐ慣れるさ」

 柔らかな笑みを向けられ、セリウスは胸の奥がくすぐったくなるのを誤魔化すように背筋を伸ばした。


「はい。アラン様の手となり、足となって働けるよう、次回までには地名や名産品を覚えてまいります」


 宣言どおり、セリウスは次の授業の日までに完璧に記憶してきた。その勤勉さには教師もアランも内心驚かされた。


 中庭では木剣を手に、互いに打ち合う稽古も行われた。

「もっと腰を落とせ、セリウス! 腕に力を入れるな、全身で振れ!」

「は、はいっ!」


 セリウスは小柄な体を必死に支え、汗を滴らせながら木剣を振り下ろす。打ち込むたびに、骨に響くような衝撃が腕を襲う。


 しかし、アランは一歩も引かない。軽く剣をいなすと、まるで舞うような身のこなしで次の構えに移っていた。

「悪くない。だが、剣先ばかり意識するな。視線を上げて、相手全体を見ろ!」


「くっ……!」

 セリウスは言われるままに視線を上げるが、その瞬間、アランの木剣が横から鋭く走る。

「うわっ!」

 ガツン、と音を立てて木剣がはじかれ、セリウスの身体は芝生の上に転がった。


「大丈夫か?」

 すぐに差し伸べられるアランの手。セリウスは息を荒げながらも、その手を掴んで立ち上がる。

「だ、大丈夫です……! も、もう一度お願いします!」


 アランは口元に微笑を浮かべる。

「その気概はいいな。じゃあ次は僕に斬り込んで来い。全力でな」


「は、はい!」

 セリウスは渾身の力で木剣を振り下ろす。しかし、打ち込んでも打ち込んでも、アランは軽やかに受け流すだけ。鋭い突きも、横薙ぎも、全て見透かされたようにいなされてしまう。


「まだ腕の力に頼ってる。腰から動きを繋げろ!」

「っ……!」


 歯を食いしばり、セリウスは必死に食らいつく。だが結果は同じ。何度も芝生に転がされ、肩や肘に擦り傷が増えていった。


 それでも、倒れる度にアランは必ず手を差し伸べてくれた。

「よし、今の踏み込みは悪くなかった。あと半歩、踏み込みが深ければ僕の体勢を崩せていたぞ」

「ほ、本当ですか……?」

「本当だ。君は筋力では僕に敵わないけど、動きの速さは僕以上だ」


 セリウスの胸の奥に、熱いものが芽生えていく。

「……次こそ!」

「その意気だ。来い!」


 剣戟の音が響く中庭に、二人の声と息遣いが重なっていく。


 やがて稽古が終わり、館を後にして帰路につく頃には、セリウスの身体は傷だらけで、全身から力が抜けていた。歩くだけでも苦痛を伴ったが――それ以上に、胸の奥では妙な誇らしさが燃えていた。


(アラン様は本当にすごい人だ。あんな方に仕えられる私は、なんて幸せなんだろう。……でも、私は「男」として振る舞わなきゃならない。女だという秘密を隠し通さなければ……。それでも、アラン様と共に学んでいられるのは嬉しい。アラン様を守れるくらい、もっと剣の腕を磨かなくては……)


 日々の授業と稽古の積み重ねは、次第に二人の距離を縮めていった。

 年は離れていない。だがアランは常に少し先を歩き、セリウスは必死にその背を追う。

 その姿を、公爵も、グレイヴ家の父も満足げに見守っていた。


 ***


 季節がめぐり、セリウスとアランの修練の日々は、いつしか子どもの遊びを越え、実戦を意識したものへと変わっていった。


 その頃――リヴィエール領の市井に、ある噂が流れていた。


 南方の山岳地帯に口を開ける古代のダンジョン。その最奥には「性別を変える力を秘めた秘宝」をはじめ様々な魔道具が眠っているという。


(……もしその魔道具が本当にあるのなら、私は男に生まれ変われる。そうすれば、隠してきた秘密そのものがなくなる。もう、アラン様に嘘をつき続けなくてもいい……いつも怯えながら過ごさずにすむ)

 セリーナは心の奥で、誰にも言えぬ想いを固く握りしめた。


 けれど、騎士爵家の跡取りとしての使命を考えれば、それを軽々しく口にするわけにはいかない。

 だから彼女は決意した。――表向きは「強くなるため」、内心では「秘宝を得て男になるため」に、ダンジョン攻略を目指すのだと。


 ある日の稽古の後、セリウスは木剣を収めると、汗を拭いながらアランに切り出した。


「アラン様。……私は、もっと強くなりたいと思っています。剣も学問も、まだまだ足りない。だから……ダンジョンに挑んでみようと思うのです」


 アランの表情がわずかに変わった。

「……ダンジョン、だって?」


「はい。危険な場所ですが、実戦でしか得られない経験もあるはずです。来年、騎士養成学校に入学しますよね。そこで仲間を募り、ダンジョンでの試練を越え、剣の技を鍛えたい。それに、ダンジョンには、不思議な魔道具が眠っているとか? ダンジョンの宝を探す――そうすれば、今よりずっとアラン様のお力になれるはずです」


 真剣な眼差しを向けるセリウスを、アランはしばし黙って見つめていた。

 そして、ふっと息を吐く。


「君は……本当に変わってるな。普通なら命を惜しんで避ける場所に、あえて踏み込もうだなんて」

 その声には、否定ではなくむしろ興味と高揚が混じっていた。

「ダンジョンの宝探し。……いいだろう。僕も同行する。どうせ行くなら、誰よりも信頼できる相手と組んだ方がいい」


「えっ、アラン様も……!? いけません。アラン様が危険なことなど――」


「なにを言ってるんだ、セリウス。……領主の嫡男として、危険を知り、恐れを乗り越えるのも、また積むべき経験、乗り越えておくべき試練だろう。それに……」

 アランは片眉を上げ、笑みを浮かべた。

「君だけ強くなるなんて許せないよ」


「で、でも……」


「それにセリウス、危なくなったら君が僕を守ってくれるんだろう?」


「はい。命に代えてもお守りします」


「なら、大丈夫じゃないか」


「く……」


「安全も考えて、実践を積むいい機会になると思うけどなあ」


「安全も考えて、実践を積む……わ、わ、分かりました。いつ潜るか、どこまで潜るか、どんな仲間を集めるか、――すべて私が計画を立てます。いいですね」


「任せるよ」


 その瞬間、セリウスの胸に熱が走った。

(アラン様……! アラン様はこんな私を信じてくださる。でも私は、この胸に秘めた本当の理由を絶対に言えない……! なんて卑怯な女なんだろう。それでも、アラン様のために、必ず安全で実りある修行にしてみせる……)


 ダンジョンは古代文明の遺構とも言われ、魔獣や罠が待ち受ける死地。当然、二人きりで潜るのは無謀だ。実力ある仲間を揃えなければ、一歩踏み込んだ瞬間に命を落とす。 

 ……となれば、必要なのは、腕の立つ剣士や罠に精通した者、そして回復の術を扱える僧侶や魔術師。


 やがて二人は騎士養成学校に入学することになる。そこでよい仲間が見つかればよいのだが、騎士養成学校は盗賊や僧侶や魔術師を育てる場所ではない。


 騎士養成学校でそういった能力を持つ者を探し出すのが無理なら冒険者ギルドで探すことになるだろうが……。


(慌てることはない。これから騎士養成学校に入るんだ。探索できる時間も制限されるんだから、プロの冒険者はずっとは組んでくれないだろうし、その都度スポット的に同行する人間を探すのが限界だろう。できるだけ、騎士養成学校で探すことが望ましいな)


「騎士養成学校で仲間を探してから、ダンジョンでの探索を始めることにしましょう。騎士だけでのダンジョン探索は難しいです。罠を見抜ける者、回復ができる僧侶や、魔術師など……そうした特殊技能を持った生徒がいたら、仲間に勧誘しましょう。ただし、信頼できる人間に限りますが」


「分かった」


 こうして二人は、まず騎士養成学校で仲間を探すことを決めた。



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