プロローグ 1
新作です。よろしくお願いいたします。
レーヴァンティア王国グレイヴ騎士爵領。
「セリウス! 準備はできたか?」
「はい。お父様。準備はできております」
「お父様ではない。お前は、立派な騎士爵家の跡取りとしての作法を身につけよ! これからは、父上と呼ぶように」
「はい! 父上!」
「よろしい!」
『セリーナ・フォン・グレイヴ』―「セリウス」と呼ばれたこの少女の本名である。彼女は、グレイヴ騎士爵家の一人娘で、幼児期は魔除けのため男児の服装で、その後は、爵位存続のため、男として育てられていた。
八歳となりグレイヴ騎士爵家が仕える王都南方の大領主・リヴィエール公爵家に、父に連れられ、グレイヴ騎士爵家の跡取りとして公爵様に初めての挨拶に伺う所である。
「セリウス! 決して女であることを悟られてはいかんぞ。騎士爵家の位は男でなければ継げんのだ。跡継ぎに男子がいないとわかればグレイヴ家は断絶なんだ」
「分かっております。父上」
***
レーヴァンティア王国王都南方に広がるリヴィエール公爵領。その館の正門をくぐると、広大な石畳の中庭に噴水があり、白亜の館が陽光を受けて輝いていた。幼いセリウス――いや、セリーナは、その威容に息を呑んだ。
「気を抜くな、セリウス」
父の低い声に背を押され、彼女はぎこちなく胸を張る。
やがて、館の大扉が開かれる。
現れたのは、セリウスと同じくらいの背格好の少年。深い蒼の瞳に長い睫毛、陽光を浴びて金色に煌めく髪――その姿はまるで絵画から抜け出した美少年だった。
「グレイヴ騎士爵殿、よくぞお越しくださいました」
柔らかな声で礼を述べるその少年こそ、リヴィエール公爵家の嫡男、アラン・リヴィエール 八歳である。
「おお、アラン様。ご健勝そうでなにより」
父が膝を折り、恭しく頭を垂れる。セリウスも慌てて倣い、膝をついて小さく礼をした。
だがアランは近寄ると、屈んでセリウスを覗き込んだ。蒼い瞳が、幼き「少年(女)」を射抜く。
「君が、セリウス殿か。グレイヴ騎士爵家の跡取りだと伺っている」
「は、はい! アラン様!」
声が少し裏返り、慌てて咳払いをする。
アランはふっと微笑んだ。
「……緊張しているの? 大丈夫だよ。僕も最初に父の隣で挨拶をしたときは、手が震えて仕方がなかった」
その微笑は、幼いながらも気品と余裕を漂わせる――だがセリウス(セリーナ)の心臓は、別の意味で大きく跳ねた。
(なんて……きれいな人……!)
男として振る舞わねばならぬことを思い出し、慌てて背筋を伸ばす。
「わ、私は大丈夫です! ……立派な、騎士爵の跡取りとして!」
アランはその言葉をじっと見つめ、少し口角を上げた。
「その意気だ。僕もいつか、この広い領地を継ぐ身。互いに励み合える仲になれるといいね」
蒼い瞳に真っ直ぐに見据えられ、セリウスは思わず視線を逸らす。胸の奥に、得体の知れない熱がこみ上げていた。
アランとアラン付きの執事の先導で館の奥へと通されると、重厚な扉の前で足を止められた。
扉の両脇には槍を携えた近衛騎士が立ち、全身から張り詰めた気配を放っている。
「父上はこの先に」
アランが静かに告げ、片手で合図すると扉が開かれた。
そこは広々とした謁見の間。赤い絨毯が一直線に敷かれ、その先の玉座に、一人の威厳ある男が腰掛けていた。
黒髪に混じる白髪、整えられた髭、鋭い鷲のごとき眼光――レーヴァンティア王国王都南方最大の領地を治める大領主、リヴィエール公爵その人である。グレイヴ騎士爵家はリヴィエール公爵家の寄子であった。
「グレイヴ騎士爵殿。久しいな」
低く響く声に、父はすぐさま膝をつき、深々と頭を垂れた。
「はっ! 公爵様のご威光の下、我が家も変わらずお仕えしております。本日は、嫡子セリウスをお目通り願いに参上仕りました」
セリウスは、喉がきゅっと締め付けられるように感じた。小さな手を強く握りしめ、父の隣に並んで膝を折る。
「……セリウス・フォン・グレイヴ、でございます。初めての御前、恐れ多く存じます」
公爵の視線が、少年を装った少女に注がれた。鋭いが、どこか試すような眼差しだった。
「ふむ。年の割には背筋が通っているな。目も曇りがない」
公爵はゆるりと顎を撫で、やがて玉座から立ち上がった。
「グレイヴ家は代々、我がリヴィエール家を支える忠勇の家柄。お前がその跡を継ぐというなら、いずれ我が嫡子アランを助け、剣を取って共に戦場に立つことになる」
セリウスは必死に胸を張った。
「はい、公爵様! この命に代えても、御家に忠義を尽くします!」
父の視線が一瞬こちらを鋭く刺し、次いで安堵の色に変わった。
公爵はわずかに笑みを浮かべる。
「よい心構えだ。――アラン」
「はい、父上」
アランが進み出て、隣に並ぶ。
「これよりは、折に触れてこのセリウスを屋敷に呼び、学問と武芸を共に学ばせよ。幼き頃より絆を深め、切磋琢磨することは、領地を治める礎ともなろう」
「承知いたしました」
アランが一礼し、ちらとセリウスに目をやる。その瞳には、からかいでも軽蔑でもなく、まっすぐな好奇心と期待の色があった。
セリウスの胸が、不思議な高鳴りに包まれる。
(わ、私が……この方と共に学ぶ……? 私が女だという秘密を隠しながら……! さ、悟られてないけない…………)
「セリウス、これからは命を懸けて、アラン様に仕えるのだぞ」
「はい、父上! 私はアラン様を守る剣となり、傍らで共に修練し、共に学ぶことを、肝に銘じます!」
――その日、グレイヴ騎士爵家の一人娘は、未来を左右する大きな一歩を踏み出したのであった。