ルナフィア 2
草原を歩くこと数時間、遠くに石造りの城壁が見えてきた。
白く輝く外壁の内側には、風車や尖塔の屋根が連なり、にぎやかな人の気配が漂ってくる。
「……あれが、ルナフィア街?」
「ええ。ラナ町とは比べものにならない規模です。交易都市ですから、人も情報も、かなり集まる」
門をくぐった瞬間、紗凪はその活気に息を呑んだ。
石畳を行き交う人々、軒先で叫ぶ商人、香辛料と焼き菓子の匂い――まるで異国の祭りに迷い込んだようだ。
「すごい⋯⋯何これ、観光地じゃん⋯⋯!」
「ふふ。そう見えるでしょう?」
ロゼリオは黒装束のまま、涼しげに笑ったが、その瞳はしっかりと紗凪の安全を見張っていた。
「案内しましょうか? この辺りは昔、少し住んでいたことがあるので」
「え、そうなんだ」
「秘密ですよ?」
またそれか、と紗凪は笑いながら軽くロゼリオの腕を小突いた。
その指先にほんの少しだけ触れた肌が、意外と温かかったことに気づき、すぐ手を引っ込める。
市場を歩きながら、ロゼリオは花飾りの店に立ち寄り、紗凪に小さな青い花冠を手渡した。
「貴女の髪には、この色が似合うと思ったんです」
「え、わ、ありがとう⋯⋯っ」
受け取った花はどこか甘い香りがして、頬が自然と熱くなった。素直に喜ぶ自分が、少し照れくさくて恥ずかしい。
やがて日が傾き始め、ふたりは宿を探すことにした。街の宿屋はどこも混み合っていたが、少し奥まった場所にある静かな宿に空きがあった。
「一部屋しか空いてないけど、いいかな?」と宿主が告げると、紗凪の肩がぴくりと跳ねた。
「えっ⋯⋯一部屋⋯⋯」
「二部屋あれば良かったんですが。
まぁ、広さはありますし、ベッドもふたつありますよ」
ロゼリオは微笑みながら答え、鍵を受け取る。紗凪は納得したようなしてないような顔で後を追った。
部屋に荷物を置くと、日も暮れてきたため、夕食を求めて街の酒場へ向かう。
木造の看板に灯る明かりと、人々の笑い声。中に入ると、温かい香辛料と肉の匂いが迎えてくれた。
「よく歩いたでしょう。ここは地元料理が美味しいんですよ」
「じゃあ⋯⋯おすすめ、頼んでみるね!」
料理とともに出てきたのは、透き通った赤紫色の飲み物。琥珀色のグラスの中で光を受けてきらきらと輝く。
「このジュース、見た目も綺麗⋯⋯ロゼリオも飲まないの?」
「いえ、私は飲みませんよ。弱いので」
「えー、そうなんだ。じゃあ、ひと口――」
紗凪はためらいなくグビッと一口――いや、半分近くを飲み干してしまった。
「んん!?⋯⋯あれ⋯⋯あれぇ⋯⋯?」
「⋯⋯紗凪さん、それ果実酒ですよ。
ジュースじゃありません」
「えっ」
彼女の頬がみるみる赤く染まり、瞳がとろんとしてきた。グラスを置いた手もふらふらしている。
「な、なんか足が⋯⋯くすぐったい感じ⋯⋯」
「それは酔いの症状です」
「ちょ、ちょっとだけ⋯⋯だったのに⋯⋯お酒とか、飲んだこと、ない⋯⋯のに⋯⋯あぅ⋯」
額に手を当ててフラフラと立ち上がった紗凪を、ロゼリオは慌てて支えた。少女の体は驚くほど軽く、熱を帯びている。
「もう⋯⋯紗凪さんって人は⋯⋯」
ロゼリオは小さくため息をつきながら、酔いどれの少女を抱えるようにして、宿へと連れ帰った。