赤髪の男とラナ町 2
町の喧騒が背後に遠ざかっていくにつれ、足取りは徐々に静まっていった。
「こっちですよ」
ロゼリオの声に導かれ、私は舗装されていない土の小道を進んでいた。
ラナ町の端、森と町の境界に位置するその場所は、人通りもなく、まるで誰も近づかない聖域のような静けさを湛えていた。
やがて視界の奥に、蔦に覆われた古びた洋館のような建物が現れた。
「⋯⋯ここが、あなたの家?」
「ええ、まぁ⋯⋯あまり人を招く場所ではないので、少し埃っぽいかもしれませんが」
黒装束のロゼリオが鍵も使わず、手をかざすだけで扉が開く。その動きは静かで滑らかだった。
中は意外にも整然としていて、植物の蔓が天井を這いながら柔らかい光を灯していた。
「⋯⋯すごい。なんだか、森の中にいるみたい」
「気に入っていただけたのなら嬉しいですね」
彼はくすりと笑い、私を客間へと案内してくれた。そこには温かみのある木製の椅子と、手入れされた観葉植物がいくつも飾られている。
「あなたは⋯⋯この森を守る者って、言ってましたよね?」
「はい。私はアウラウネという種族の一員。森と共に在る者です」
「アウラウネ⋯⋯名前だけなら聞いた事あるような⋯?」
「ふふ、秘密の種族ですからね。特に人間の前では、あまり名乗らないことにしています」
その冗談めいた口調に、私は思わず苦笑した。
どこか掴みどころのない人。けれど、その言葉の一つ一つが、妙に耳に残る。
案内された部屋は、ひとつの温室のようだった。天窓から月明かりが差し込み、花々が眠るように揺れている。
「今夜はここをお使いください。何かあれば、呼んでくださいね。⋯⋯では、よい夢を」
そう言って部屋を後にするロゼリオの背中を見送り、私はゆっくりとベッドに腰を下ろした。
柔らかい布団。肌に触れる風の匂い。だけど、心はどこか、落ち着かなかった。
(⋯⋯どうして、こんなことに)
枕元で小さく息を吐き、私は布団にくるまる。
思い出すのは、駅前の光景と、少女の手。
あの瞬間、私はあの子を助けようとしただけだった。それなのに——
(帰りたい……)
ぽつりと、心の中で呟く。
眠れないまま目を閉じていると、微かに何かの気配がした。
気のせい、ではない。視線。
どこかから、誰かに見られているような⋯⋯
「⋯⋯誰⋯⋯?」
小さく声を出しても、返事はない。けれど、部屋の片隅に伸びる蔦がわずかに揺れ、月明かりに照らされていた。
まさか。
(ロゼリオ⋯⋯?)
気づいたときには、視線の感覚も、蔦の揺れもすでに消えていた。
⋯⋯いや、きっと気のせい。
そう思い込もうとしながら、私はようやくまどろみの中へと沈んでいった。
「ギルドに行きましょうか。もしかすると、帰還の手がかりがあるかもしれません」
翌朝、朝露に濡れた庭先でロゼリオが言った。
「え⋯⋯ほんと?」
「確証はありませんが⋯⋯調査報告も兼ねていますし、試す価値はありますよ」
私が頷くと、彼は軽く微笑んで歩き出した。
ギルドでは昨日の受付嬢が出迎え、ロゼリオに森の様子を尋ねていた。
彼は淡々と、禍つ霧の兆候がなかったことを報告し、その合間に私を振り返る。
「彼女の件についても、気になる情報があるのでは?」
受付嬢は「そうですね」と頷き、資料をめくった。
「最近、フォルス王国で“聖女召喚”が行われたという報せがありました。召喚の陣が不安定で、影響がこの町にまで及んだのかもしれません」
フォルス王国。私はその言葉を胸に刻んだ。
「そこに行けば⋯⋯帰る方法がわかるかもしれないんですよね?」
「可能性は、あると思います」
私は唇を噛み、ロゼリオの方を見た。
「⋯⋯行きたい。そこに、行かせてください」
彼は一瞬目を細めたが、やがて頷いた。
「では、私も同行します。あなたはまだ、この世界の危険を知らない」
その言葉は頼もしくもあり、どこかしら――危うげでもあった。
こうして私たちは、フォルス王国を目指す旅路へと歩み出すことになる。
運命はさらに深く、絡まり合ってゆく。