赤髪の男とラナ町 1
「⋯⋯すごい⋯⋯」
木々の合間から現れた町の姿に、私は思わず息を呑んだ。
石造りの建物が立ち並び、舗装された石畳を馬車が行き交う。
耳慣れない金属の打ち鳴らす音、店先から香るスパイスや焼き菓子の匂い⋯⋯どれも現代日本にはないものばかりだった。
なにより――人じゃない。
小柄な耳長の女性が露店を切り盛りし、角のある大柄な男が子どもと手を繋いで歩いている。毛並みの良い猫のような顔をした獣人までもが笑顔で会話しているのだ。
「これが⋯⋯異世界⋯⋯」
呆然と立ち尽くす私の肩に、ふっと優しくロゼリオの手が添えられた。
「驚くのも無理はありません。ですが、ラナの町は比較的穏やかな場所ですよ。種族の共存も進んでいますから」
そう言って、彼は先を歩き出す。私はその背を追うように、一歩ずつ歩みを進めた。
町の中心部に入ると、ひときわ大きな建物が目に入った。重厚な木の扉の上には「冒険者ギルド・ラナ支部」と記された看板が掲げられている。
「さあ、ここが我々の最初の目的地です」
ロゼリオが扉を押し開けると、中から騒がしい声が漏れ出た。
武装した男女が談笑し、掲示板には依頼書のようなものが所狭しと貼られている。カウンターの奥には、明るい茶髪の女性が立っていた。
「ロゼリオさん!お帰りなさい。あら、そちらの方は⋯⋯?」
「森で保護した。召喚転移の巻き込まれですね」
「ああ、また⋯⋯最近多いですね。ご報告、承ります」
彼女は手際よく書類をまとめながら、私に視線を向ける。
「それで、お名前は?」
「え、あ⋯⋯桐生⋯⋯桐生紗凪です」
名前を名乗ると、彼女は頷き、手元の紙に何かを書き始めた。
「この世界では、召喚や転移に巻き込まれた方には、仮の身分証が発行されます。
生活の基盤を整えるためにも、まずは冒険者として登録していただく形になりますが⋯⋯よろしいですか?」
冒険者……ゲームの中だけの存在だと思っていた。けれど、選択肢は他にない。私は小さく頷いた。
「では、こちらの記入用紙に必要事項を⋯⋯」
彼女に促され、名前や年齢、出身世界(?)などの項目に記入していく。
「では、登録完了です。仮登録証になりますが、紛失しないようお気をつけくださいね」
渡されたのは、金属製のプレートに私の名前が刻まれた簡素なタグだった。
「さて、宿泊先についてですが⋯⋯」
そう言って、受付嬢が案内用紙を手に取った瞬間、ロゼリオが静かに口を開いた。
「宿は結構です。彼女は私の屋敷で保護します」
「え、ちょっ⋯⋯ちょっと待って、私、別にそこまでお世話に——」
「いいえ、無理です。
異世界に来たばかりで右も左も分からぬ貴女を、一人宿に置いておくなど不安すぎます。
せめて状況が整うまでは、責任を持って見守らせてください」
言葉の端々は丁寧だが、有無を言わせぬ圧。
受付嬢は苦笑いしつつも、「それなら安心ですね」と書類を片付け始めた。
「ちょ⋯⋯」
私が声を上げようとしたとき、ロゼリオがにこりと微笑む。
「ほら、私の家は森の外れで静かですし⋯⋯貴女にとっても、きっとその方が安全ですから」
その笑みがあまりに穏やかで、でもどこか逆らえない雰囲気をまとっていて⋯⋯私は結局、口を閉じた。
「それでは、行きましょう。少し歩きますが⋯⋯夕暮れには着けるはずです」
こうして私は、半ば強引に、赤髪の男の“保護下”に置かれることになった。
けれどその判断が、この先の運命をどう変えていくのか⋯⋯そのときの私には、まだ知る由もなかった。