その優しさ命取り 2
「⋯⋯異世界?」
私は思わず聞き返していた。
目の前にいる赤髪の男——ロゼリオは、まるで当たり前のことのようにうなずいた。
「はい。ここは〈セレナーデ〉と呼ばれる世界。あなたがいた場所とは異なる次元に存在する、別の世界です」
あまりにも真顔で言うので、かえって現実味がない。
私は混乱する頭を必死に整理しようとした。
宙に浮いた蔦、空を飛ぶ男、不可解な召喚陣⋯それらを全部足しても、"異世界"だなんて荒唐無稽だ。けれど——
「⋯⋯でた、異世界転移⋯⋯」
現実逃避気味に呟いた私に、ロゼリオは柔らかく微笑んだ。
「その反応、意外と冷静ですね。もっと泣き喚くかと」
「いや、混乱してますよ!? 頭ん中ぐちゃぐちゃですよ!? あんたが落ち着きすぎなんですよ!」
自分でも驚くほど自然にツッコミを入れていた。自我が戻ってきた証拠かもしれない。
「⋯⋯でも、なんで私が?
さっき光に包まれたのは、隣にいた女子高生で⋯⋯私は⋯⋯ただ腕を掴んだだけなのに」
その時の光景が、フラッシュバックのように脳裏に浮かぶ。
手を伸ばした瞬間。少女の「ごめんね」という声。
——あれは、誰に対しての言葉だったのか。
「元の世界に、戻れるんですよね?」
私は思いきって問うた。祈るような気持ちで。
けれどロゼリオは、ふっと視線をそらし——静かに首を振った。
「すぐには、難しいでしょう。召喚の術式は不完全だったようですし、何より⋯⋯あなたは、本来呼ばれた“対象”ではない」
「そんな⋯⋯」
「ですが、ご安心を。必ず道は見つかります。私はそのためにも、あなたを守ると決めました」
その言葉に、私は思わずロゼリオを見つめた。
彼の言葉には、慰めのようなやさしさと、不思議な重みがあった。
「⋯⋯あなたは、一体何者なんですか?」
「私はロゼリオ。アウラウネという種族に属しています。まあ⋯⋯人間ではありませんね」
ロゼリオは自嘲気味に笑いながら、片目を閉じて肩をすくめた。
「種族って⋯⋯つまり、妖精とか魔族とか、そういう⋯⋯?」
「秘密ですよ?」
彼は茶目っ気たっぷりに指を立てて微笑んだ。
その仕草が、何となく人間味があって、私は少しだけ力が抜けた。
「でも、冗談みたいなことばっかり言って、ほんとに信用していいんですか⋯⋯?」
「その疑いの目も、当然です。ですが、私はあなたを守ります。それだけは、どうか信じてください」
まっすぐに向けられたその緑の瞳に、私は言葉を失った。
どこか不穏なほど強い意志と、それでいて水面のような静けさをたたえている。見ていると、心が吸い込まれそうになる。
「⋯⋯分かりました。一旦、信じてみます」
私は小さくうなずいた。現状、他に頼る相手もいない。正直、不安で仕方がなかったけれど、彼の目は嘘をついていない気がした。
「では、ここにいても危険ですから⋯⋯私の拠点へ向かいましょう」
「拠点?」
「ラナという町です。私がよく利用する冒険者ギルドもあり、旅人の情報も集まる。きっと、帰還の手がかりも見つけやすいでしょう」
ロゼリオが蔦を指で鳴らすと、空中からツタがにゅるりと伸びてきて、まるでブランコのような足場が形作られた。
「⋯⋯それ、乗るんですか⋯⋯?」
「ええ。徒歩よりも早いですから。お姫様扱い、嫌いでは?」
「⋯⋯あんまり好きでもないです⋯⋯」
ぼやく私をよそに、ロゼリオは軽々と私の腰を抱え、蔦の足場へと持ち上げた。
「ちょ、ちょっと!?」
「落としませんから、安心を」
体がぴたりと寄せられ、私は思わず息を呑んだ。
ロゼリオの体温と、ほのかに香る土と緑の匂い。思いのほか、やさしい。
——この人、やっぱり⋯⋯ただの変人じゃない気がする。
蔦が風を切り、私たちは空中を滑るように森を進んでいった。
その先に、どんな運命が待っているのか——まだ、この時の私は知らなかった。