その優しさ命取り 1
――――彼女の災難は、優しさの代償から始まった。
私、桐生紗凪24歳は、仕事を午前で切り上げ、コンビニで昼食を買って帰ろうとしていた。
駅前の噴水広場に差し掛かったとき、たまたま隣を歩いていた高校生くらいの少女が、突如として光に包まれた。
「うわぁ!? 何これ!? まさか今流行りの召喚系!?」
疲れて判断力が鈍っていた私は、少女がふらつき、私にぶつかりそうになった瞬間、とっさに腕を掴んだ。それだけのことだった。
だが、彼女の体が宙に浮いた。
足元に広がる神々しい召喚陣。
「危ない!」
私は反射的に彼女の手を掴んだ。その瞬間——
「⋯⋯え?」
私の手が召喚陣の光を吸い込み、二人の体が引き寄せられる。
「ごめんね!」と少女が叫び、これは何について言っていたのか⋯ぶつかったらこと?それとも-?
彼女は光の中に消え、私は——
ぷつり。
世界の糸が切れる音。
次の瞬間、私は数十メートルの空中に放り出されていた。
「はっ⋯⋯⋯っ!?」
視界一面、緑の森。強烈な風圧で目に涙がにじみ、息がうまくできない。地面が迫る。もうダメだ——
「⋯⋯おや、これは珍しい⋯⋯」
柔らかな声が聞こえ、身体がふわりと浮いた。
見上げると、赤髪の男性が空中に浮かび、蔦を操っていた。
その蔦が私の体を繭のように包み、衝撃を吸収してくれた。
「⋯⋯生きていますか⋯⋯?」
男性が逆さまに近づいてきて、オリーブ色の瞳で私の指先を見下ろす。
「怪我は⋯⋯ないようですね」
そう言いながらも、蔦が足首に絡まり、ぬるりとした植物の触感がズボン越しに伝わってくる。
「あ、えっと⋯⋯はい⋯⋯え?」
頭がパニックで、私はよく分からないまま返事をしていた。
「ようこそ、異世界へ。ここは危険な場所です」
赤髪の彼は周囲を見回しながら、落ち着いた声で言った。
異世界? そんな冗談、信じられるわけ——
いや、今の状況がそもそも信じられない。宙に浮く蔦、人が空を飛ぶなんて、現実であるはずがない。
けれど、体に巻きつく蔦の感覚は確かで——これは、夢じゃない。
「⋯⋯あ、あの⋯⋯降ろして、ください⋯⋯。頭に、血が⋯⋯」
逆さまで宙吊り状態のまま話す私に、彼は「ああ、これは失礼しました」と微笑んで、ゆっくりと地面に下ろしてくれた。
地面に立った瞬間、足がぐらついて、私は思わずよろけた。
「無理に立たないで。体が驚いているのです。召喚転移直後は、誰でもそうなりますよ」
彼は私の腕をそっと支えながら、穏やかに言った。
「⋯⋯あなたは⋯⋯誰ですか?」
「私はロゼリオ。この森を守る者です。あなたは⋯⋯巻き込まれたのですね」
ロゼリオと名乗った彼は、どこか物憂げな表情で私を見つめていた。
「本来召喚されるべき存在は、あなたではない。⋯⋯ですが、今となっては、元に戻す術はすぐにはありません」
「⋯⋯⋯⋯え⋯⋯」
戻れない? 今すぐには無理って⋯⋯そんな⋯⋯
言葉を失う私に、彼はそっと微笑んだ。
「安心してください。あなたが危険に巻き込まれぬよう、しばらく私が保護します」
その声は、なぜだかとても優しくて——
気づけば、胸の奥にあった不安が、ほんの少しだけ和らいでいた。
だけど、この世界で何が待ち受けているのか、私はまだ何も知らなかった。
運命が静かに、しかし確かに動き出していた——