第二の人生……は、いいとして または本質的には前回のつづき
友達たちが「四十超えたらガタッとくるよ」とみんな言ってたんですけどわたしは今年四十一歳で一気にガタッときました。
なんといっても単純に飯が食えねぇ。前まで朝ごはんにスクランブルエッグとウインナー炒めを食べてたんですけどもう朝から油なんか食べたら受け付けない。今はゆで卵とボイルウインナーになりました。あと野菜を好むようになりましたね。ドカ食いして眠ってストレス解消っていうのも結局加齢によるものなのですしもちづきさんの至りとはちょっと違うような気がする昨今。だからまあ今は体の変わり目ということで、更年期ではないみたいですけどやっぱりガタッときました。
しかし精神的にはすごーい健康になりました。四年前から脱ニートして働き始めて、「他人」という存在と関わることでどんどん良くなっています。一人でいるのはもう充分、ということなんでしょうね。限界だったとも言える。今は友達も仲間もいっぱいできてとってもハッピー。あと恋人が欲しいものですが結局縁の話だから、まあ、のんびりと。
まあとにかく詳細はさておき、なんやかんやと去年から第二の人生が始まったわたし。
だんだん大人になっていっている感。
では今日の本題に入りますぅ。
年を取って良かったと思うこと……というか、むしろ悪しきことなのかもしれないんですけど、とにかく楽になったのは「腹を割って話そう」って発想がなくなってきたことですね。
若い頃はとにかく朝が来るまで語り明かそうとかって感じだったんですけど今はもうそれより安全な生活を維持しようって方向にシフトしてる感じですかね。そんな話し合わなくても別になんやかんや接してはいられるならあんまり理解し合うとかしなくていいやみたいな。
これはわたしの詩のようなものシリーズの影響がかなりあります。詩のようなものシリーズ全部で五百五十篇になってるんですけど、
ぼくの真意を知りたければぼくの書いた詩を五百五十篇全部読んでくださいっていくらなんでも乱暴じゃないですか。
例えば同性愛とか差別とかがテーマのものが全部で二百とかあるんですけど、
同性愛とか差別とかについて知りたければぼくの書いた詩を二百篇全部読んでくださいっていくらなんでも乱暴じゃないですか。
で、ぼくが差別や同性愛や自由や多様性について十年二十年かけてようやくたどり着いてきた領域の話を五分で教えろっていうのも乱暴じゃないですか。
ぼくは「差別って何?」ってことに関して二百の詩ならびに何十万文字もの言葉を必要としたわけでそれを五分でわからせろっていうのも乱暴じゃないですか。
お互い乱暴じゃないですか。
そうなってくるとあんまりわかってもらおうと思わない方がいいんだろうな〜と思うようになってきまして。
そもそも、わかりたい、わかろうとしている人だったら二百も五百五十も読まなくてもわかってくれるわけなんですよね。逆説的ですけど。細かいことに関しては確かに本を読んだり直接関わってみないとわからないんですけど、「わかろうとしてくれている」という姿勢そのものがすでに九割方わかってくれているわけで。そういう場合は補完的には意味があるんだろうけどとにかく二百も五百五十も読む必要はないとは言える。
問題は「わからない」人にわかってもらおうってことに関してなんですけどそこに関してお互いいくらなんでも乱暴以下略……。
ちょっと前までツイッターを読み耽りYouTubeを日々見ていたんですけどいろいろあって今は見なくなったんですね。見る習慣がなくなったということで見てはいるんですけどとにかく毎日毎日見るってことがなくなって。
それでふと今ツイッターってどんなことになってるんだろうと思って昨日ツイッターを覗いてみたんですけど、まあ相変わらず不毛な争いが続いていること続いていること。たぶんYouTubeとかテレビとかの討論番組も相変わらずみんなで争ってるんでしょうね。
み〜んな、「話せばわかる」って無邪気に信じちゃってるのね。
で、お互い感情的になって、感情論をガン無視した結果おそらく戦争などが始まるのであろう……嗚呼人よ……。
しかし俯瞰になってきているのは精神的には健康的なんでしょうけどわたしとて社会の構成員である以上仙人のように生きてはいられない。霞を食っては生きていけない。
要は達観してはいられない。例えば今日も働かなければならない。
ただ「わかってもらいたい」っていうのは人間として純粋な欲望だと思うんですけどそれが今のわたしにはさほどないことがどうしても気になって。もちろん完全にゼロになったわけではないけれども。
しかし結局のところ詩のようなものシリーズを書き切ってみて、もうぼくの役割は今生の人生においてはないような気がする……などというリリカルな発想が、これは結構真剣に浮かんできて、困る……。
でもだって、それでも生活は続くのよ。
何かが圧倒的に足りていないんだろうな、今の自分、と思います。
それは何か、というと、差し当たり、恋だな、と思うポエミィなわたし。
前回の日記にもしたためましたが人生で一度ぐらいは「お付き合い」というものをしてみたい!好きな人に好かれてみたい!というのが、かなり今「純粋な欲望」としてあります。
やっぱりね〜四十歳を超えた大人の男が快楽のためだけに生きていくのは限界があると思うんですよね〜たまに温泉行ってビール飲んでって確かに至福の時間なんですけどそれが「いつも」っていうのが今のわたしにはもう限界なのです。
自分の命よりも大切なものが欲しい。
でまあぼくは子どもを持つってことは今生の人生ではなさそうなので、それならその自分よりも大切なものっていったら、恋人だな、と思うばかり。あー彼氏ほしーなー。
とまあそういうわけなのでこの日記はここで終わりますぅ〜またオチが作れなかったぁ〜でもお読みいただき誠にありがとうございました。ではっ。