きのう何食べた?を読んで 果たして人は他人をどこまで“わかれる”か?
きのう何食べた? という漫画が好きで読んでます。
面白いなぁと思いながら日々単行本を買ってます(わたしは単行本派)。
でも漫画として好きだから読んでいるのであって、やっぱりよしながふみさんという異性愛者の女性が書いたファンタジーですね結局のところ。という前提のないゲイがこの漫画を読んだらイラっとするんじゃないかなーみたいなことを言語化していこうかと。
ファンの方々からすれば面白くない日記になるかもですけど死ねーとかコメントしないでね⭐︎
「長年連れ添って同棲している彼氏」のいるシロさんは、なぜおじさんになっても美貌を保っておるのだろう、という話から。
結婚したら油断しません? 油断すればどうしてもお腹が出てきませんか。
ぼくの交友関係とネット観測でいうと、彼氏のいるゲイって醜くなっていく傾向があって彼氏のいないゲイって割と美しさを保っている傾向があると思います。
だって決まった相手がいるならもはやモテる必要ないもの。男女の夫婦が劣化してゆくのと同じ(おれも劣化してーな)。
で、彼氏のいない人は彼氏が欲しいし、特に今恋愛を求めてなくてもセックスがしたいって場合、少なくともネット上で相手を探すって場合どうしても外見至上主義になってしまうわけだから、当然自分磨きをして美しさを保つわけですよ。それは「美男子」だけではなく「かわいいデブ」なり「かっこいいガリ」なり「魅力溢るるブス」なり。まあこれもノンケの男女と同じなんじゃないかな……(わたしは異性愛者じゃないからわからないっちゃわからないんですけど)。
そうなるとおじさんのシロさんが美貌を保っているのは、シロさんは自分大好きなナルシストだからって設定がないとリアリティないと思うんですよね〜少なくとも「生活」がテーマのお話なら。
それともあれか、「ゲイはイケメンが多い」とでも思ってるんすかね。ほんとその偏見、フツメンのわたし昔から困ってるのよね。
マイノリティとして、「誤解がある」というだけで生き辛い。
という日記です今回。
ヒートアップしないように気をつけなければならぬ。
シロさんに突っ込んだのでお次はケンジね!
ケンジ、おじさんにしては幼すぎません?いくら家の中で気が緩んでるからってちょっと幼すぎませんか。
これはケンジ、精神科に通っているのかしらん。なぜわたしがそう思うのかというと、ぼくは病気の影響で「児戯化」という現象?が起こっていて、知的障害ではないんですけど全体的に病気発症前より幼くなってる者なのですよ。ケンジが歴然としたおじさんなのにあんなに幼く描かれているのはケンジも児戯化が起こっているのだろうか……。
例えばシロさんに養子縁組の話をされたときなんかも、拒絶の理由はわかるとして(おれも親子になりてーわけじゃねーからな)、それにしても大人として生涯の伴侶に対してもっと冷静に話し合えないもんかね。これは「ゲイはピュア」みたいな感じ? 性格の悪いマイノリティは存在が許されないってか。おれ性格悪い人間っすよ嫌いなやつは死ねばいいのにとか思っちゃうんすけど死んだ方がいい?
初期の頃なんかは違和感が割と多い(たぶんゲイの読者が少なかったのだろう。だからよりファンタジー色が強かったのであろう)。
第一巻で、志乃さんが、「おじさんであの美貌と若さは逆に気持ちが悪い」と言い、佳代子さんも「その年齢でその外見は気持ち悪い」と言い。
普通、人って、他人に対して気持ちが悪いなんて言うかね。
普通、本当に気持ちが悪いと思ってたとしても人間の心を持っていればそんなこと言わなくないですかね。つーかノンケのキャラじゃなくてゲイのキャラだからそう言わせちゃってるのかね?なんかそういう印象をすごーい受けるのわたしこの描かれ方から。
あとナスの話ね。主要登場人物が主人公ではない唯一のエピソード。
シロさんがウケでケンジがタチってことをどうしても説明せずにはいられなかったのねよしながさん。そんな物語とはまるで関係のない超個人的な他人様の性生活のことをわざわざ書かなければならなかったのはなぜなのかしら。そんなに親しくもなってない関係性で男役?女役?と聞かれるゲイの面倒臭さってわかんないもんかね、少なくともゲイが主人公の漫画を書こうってなってて。
あとそうね、シロさんが当時の彼氏に連れられて四十歳すぎて初めて新宿二丁目に行った話。ゲイバーでシロさん全然モテませんでした。そうかゲイのモテファッションっていうのは短髪でガッチリでTシャツピチピチだから女受けするアラフォーリーマンの自分はまるでモテなかったのねって話。
てゆーかリーマン系のゲイバー行けばシロさんだったら引く手数多だっただろうな。あー、「ゲイはガチムチが好き」ってことかそういう世界観ですか設定ですか。
まあ挙げればキリがないのでここでツッコミ自体はやめておこうと思うんですけど、わたしは「ファンタジー」という前提を持っているから楽しく愉快にこの漫画を読んでるんですよね。料理漫画として参考になるっていうのもそうですけどそもそも漫画自体が面白いから。全巻通してゲイとして思うところが度々出てきますけどまあよいそれはそれこれはこれだってファンタジーだから。でもだからこそこれをリアルなゲイを描いてるみたいに言われるのは当事者としてちょっと我慢ならねーなと思ってこんな日記を書いています。
リアルっていうなら、ミチルちゃんとか千波さんの女性としての主張はリアルね。細かいエピソードはともかく女の人って大変だなって男のぼくが思える感じというか。これはやっぱりよしながさんの女性としての生き辛さが反映されてるんだろうな。男が同じように書いても同じようには書けないんだろうな。
いや別にぼくは当事者じゃない人がある当事者の物語を書いちゃいけないって思ってるわけじゃないのよ。ぼくだって女性キャラを書いてるしノンケキャラを書いてるわけで。なんなら超能力者書いてるわけで。
でもねぇ。どうしてもねぇ。
「ノンケの人が描くゲイのキャラって何年経っても相変わらずこんな感じなのね」って感じ?
いわゆるオネエのような女性的なゲイが主人公なのではないのだけれどそれだけでリアルっていうならやっぱ世の中まだまだこんな程度の認識なんだなと思えてならない。生活感があるということをリアルだというならこの漫画は確かにリアルだけどこれがリアルなゲイカップルの生活だっていうなら全然リアルじゃないっすよ。リアルっつーならもっと世帯じみて外見がくたびれてきて将来のことについて徹底的に具体的に話し合いますよ。なんかすごーく折れに折れて大学生のゲイカップルって設定だったらまだリアルだったかもしれぬ。とにかくこの二人が中高年とはとてもじゃないけど思えない。ぼくがリアルじゃないって断ずるのはまさしくわたしが中高年だからです。若かりし頃のぼくがこれを読んだら結構洗脳されてたかもしれぬ。悪影響ね。
ただまあわたしは読書習慣があるのでファンタジーだからファンタジーなんだと思って楽しく読めてるんですけどわたしに読書習慣がなかったらと思うと正直ゾッとする。
でもわたしはゲイビデオ鑑賞が趣味なので、しつこいようですけど「ファンタジー」を楽しんでいます。腐女子の方々はイラっとするのかもですけどBLもAVもファンタジーとしては同じこと。
だって、「リアルじゃない」もの。事前準備なくアナルセックスできねーよ。学校で乱交パーティーとかありえねーよって話です。
世の中にはいろんな人がいるからこういうゲイもしくはゲイカップルがいてもおかしくないっておっしゃるつもりかもですけどその論調だと赤いきつねの例のアニメを批判する余地なくなりません?世の中広いからああいう風にカップうどんを食べる女の人だっているかもしれないからいーじゃないって言われたらどう返すつもりなのだろう。
「創作」とは何なのだろう?
というわけで長くなりましたが、最後に言っておくと、わたしはリアリティだけが物語の全てとは思ってないんですよね。虚構を虚構のままに書くのはアリだし、ファンタジーにはファンタジーの役割があると思う。好きで読んでるわけだし昨日何食べたがわたしに与えた影響は大きい。BL人間のおじさんたちがキャッキャウフフする様子を愛でる漫画として日々楽しんでおりますよ。ファンタジー最高。ゲイビデオだーい好き⭐︎
でもねぇ。
結局のところ、わたしが言いたいのは、こういうことなのよ。
繰り返しますが––––。
「ノンケの人が描くゲイのキャラって何年経っても相変わらずこんな感じなのね」って感じ?
おしまい。