第一章:野菜知らずもの知らず
あれから私はうたた寝をして、ディルデュランに起こされるまで長椅子に座ったままでいた。
「寝ていました…すみません…」
ぼんやりする頭を軽く振り立ち上がろうとすると、手で制され座り直させられる。
「リスの命はまだ不安定だ、体が驚く事は控えるといい」
「…はい」
確かに鼓動が強くなり少し苦しい、お言葉に甘えて私は背中を長椅子の背もたれに預けた。
経緯を詳しく聞いた中で、私は彼が行った『命を入れ替えるまじない』によって、光の精たちの命と尽きる寸前だった私の命とを交換したという。まじないのやり方などは教えてくれなかったけど、めったなことで行うものでは無いものだと説明されている。
「お前は器が弱い、馴染むまでは少しかかるだろう、数日は寝て食べて、光の精が好む陽を良く浴びろ」
だから寝室では無く窓辺に移動させられたのか…。私はなるほど、と思いながら頷いて見せる。それにディルデュランも頷くとこちらに背を向け卓の方へ向かい、その上に乗せらせた物を手に取りだした。…あれは何だろう、私が知らないものが並んでいる。
「あの、それは…なんですか」
知らないものは聞かないと…と思い声を掛けたら、彼は驚いた様子で振り返りこちら見てきた。
「…野菜を知らないのか?」
「野菜は知っていますが、だけどそれは知りません。野菜と言うものは…昼に食べたスープの中に入っていた様なものだと…」
昼に食べた豆と茸を思い出す、そう、私が分かっているのはああいうものだ。心底不思議そうに首を傾げた私の姿に、ディルデュランは視線を泳がすと、卓の上のものを手に取りこちらに見せてきた。
「芋と赤人参は知っているか」
「はい、知っています」
彼はごつごつとしているが白っぽくて丸い物と、赤くて長ひょろく、少し毛のようなものが生えた物を差し出して
「こっちが芋、こっちが赤人参だ」
と言ってくるのに、私は首を傾けたままじっとそれらを見つめた。どうしよう、見覚えがありません。
「調理された物しか知らんのか」
心底あきれたような声に申し訳なさが先に立つ、私、本当にどんな生き方をしていたのだろう…!
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少女を背にして立つのをやめ、ディルデュランは卓を回り込み向かい合わせに立つことにした。
「芋と人参は皮をむいて使う、これは香草、スープの香りつけに使うもの、こっちは葉野菜、ちぎってそのまま食べれる」
説明しなら戸棚の上の段から薄い木の板を出して卓の上に乗せ、それからナイフと木皿を幾つか出すと野菜の皮を剥きだす。慣れたものでさっさと剥いて、芋も赤人参も小さく刻んで木皿に移した。顔をあげるとリスがこちらを一生懸命見ているのが見える。
「…知ってる形になりました、野菜には…元になる形があるのですね」
「そうだ」
それだけ言って、彼は爽やかな香りのする香草も刻みもう一つの皿に入れる。リスには栄養をつけてもらわなくてはいけない、森山羊の乳と乳酪を使ったスープと、葉野菜に酸味のある木の実を散らし、菜種油と削った乾酪をかけた物を出すことにする。森人であるディルデュランは肉や卵を食べない、体を保つ為の栄養はもっぱら森山羊の乳と豆に頼っていた。
根野菜を刻んだ所でディルデュランは下の段の戸棚を開けた、一番陽の当らない場所の床に穴をあけて、保冷庫としていたのを見てリスが目を丸くしたが、気にせずそこから朝に搾った森山羊の乳を入れた素焼きの壺と、乳酪、乾酪を取り出す。そして次は竈へ向かうと洗って乾かしておいた鍋をかけた。そこでリスは何かに気づき男に声を掛けてくる。
「あの…薪が無いようですが…火はどうするのでしょうか」
「そうか、人は薪を使う事も多いな…」
見ているがいい、とディルデュランはリスに見える様に動く。竈の側に良く見ると、3つの大きさのつるりとした楕円形の半透明の赤みがかった貴石…宝珠が置いてある。彼は一番大きいものを取るとそれを鍋の下に空いている空間の真ん中に置いた。
「これには火の刻印が刻まれている、まじないを唱える事で火の代わりに使う事ができる」
説明の通り、何やら耳慣れない言葉を唱えると、たちまち宝珠が熱を帯びていくのにリスは驚いた。
「近くで見ても?」
「触らなければ」
そろそろと少女は立ち上がるとディルデュランの隣にしゃがみ込み、宝珠に触れない様に手をかざしてその熱を掌に感じると
「不思議です」
と興味深そうにつぶやいた。
そのまま少女が動く気配が無いのでディルデュランの調理を再開する事にして、次は油紙に包まれた乳酪を木匙で一つすくい鍋に落とす。それは鍋の中でじゅわりと溶け何とも言えない良い匂いが漂った。そこへ刻んだ根野菜と塩を2つまみ入れ火を通し、残っていた乳を全て入れたら沸くまで火にかける、浮いてきた灰汁は取ったら宝珠を小さいものに入れ替え、それから鍋に蓋をした。後は暫く煮込み食べる前に味を調え香草を散らすだけである。
「リス、葉野菜を2人分ちぎれ」
「は、はい!」
鍋を眺めていた少女を卓へ呼び寄せると疲れない様に丸椅子に座らせ、平籠に入れていた葉野菜を大人の掌1つ分程の大きさの木皿2つへにちぎって入れる様指示した。リスは少しの間考え込むようにしていたが、食べやすそうな大きさにちぎりだす、どうやら葉野菜をちぎられたものは食べた記憶がある様だった。その間に乾酪を二人分ナイフで削り、小さな器へ入れたら乳酪と共に残りを保冷庫へしまい、代わりに一昨日採集して紙で包んでいた木の実を取り出した。
「ちぎり終わりました、これで大丈夫ですか?」
リスが心配そうな表情でディルデュランへ声を掛ける。それに目を向ければ、二人分にしては少ない葉野菜がちぎられていたので、少女の分は良しとすることにして、男の皿の方にはもっと入れる様に言いつけた。野菜がちぎり終われば木の実を入れ、菜種油と削った乾酪をかければ終わりである。焼いておいたパンがあればそれも付けても良いが、根野菜をたっぷり使ったスープであればそれで腹は満たされるだろう。
ディルデュランは葉野菜をちぎるのに時間がかかっている少女を待つ間、汚れた卓を掃除してしまう事にした。