第一章:名付け
「着方は間違ってないでしょうか?」
少女は部屋から出てくると、おずおずと男へと声を掛けてきた。
立っている姿を見れば背が低く、明るい場所だと際立つ不健康そうな白い肌は残念だが、手入れがされていただろう背中まである胡桃色の柔らかい髪に、明るい茶色の大きな瞳と小ぶりな鼻と口は、太ればそれなりに愛らしいものになるのでは?と男は思ったが、長年人と接していなかった為、美醜についての判断材料が少なすぎるな、とも考える。
しいて言えば、明るい緑は合わないような気がするのと、腰のあたりが緩そうなので腹が冷えるかもしれないとだけ思い、棚から幅広の組み紐を取り出すと少し身をかがめ、少女の腰のあたりに隙間ができない様二巻きしてから結び付けた。
「これでいい」
姿勢を戻し後ろに下がる、少女を見れば驚いた顔をしていたが理由は分からない。
「あ、はい、ありがとうございます。お手数をおかけしました」
少女は慌ててお礼を言うと、腰に巻かれた組み紐を見て「これは知っています」とそれに触れながら男へ言った。
「そうか」
服の着方と組み紐は知っていた、この分だと生活に関わる事は大丈夫かもしれない、と思いながら男は少女を部屋の中央に置かれた大き目の卓に、二つだけ置かれた丸椅子の一つを指差して彼女を座らせた。
「その足で外へは出せん、履物を何か作るからそれまで中にいるんだな」
「はい」
少女はその言葉に従う、家の中の土間は掃き清められているので足に傷がつくことはないだろうが、外ではそうはいかない、自分はすでに足の皮が固くなっていて、脛までを布で巻き植物で編んだサンダルを履くだけで何も問題は無いが、固い木の枝や石だけでなく毒虫や蛇がいるこの森は、ひ弱な人には危なすぎる。ましてやあんな柔すぎる足では…。
男はやれやれ…と息を吐くと、もう一つの丸椅子に腰かけ、履物の前に決めなくてはいけない事を話すことにした。
「まずはとりあえずの名を決める」
簡潔に伝えると、こちらを見ていた少女は目を丸くしてから頷く
「それは無いと不便ですね…」
「そうだ」
本人が思い出せないというのなら、便宜上仮の名は必要だ、何か指示をする際にいちいちどう呼ぶか悩むのは不便で仕方が無かった。何か希望があればそれにするが、と聞けは非常に困ったような顔をされ「何も思い浮かびません」とだけ返って来る。
「ならば、『リス』と呼ぶことにする」
「『リス』…ですか?」
山栗鼠の子の様だから、リス、は単純すぎるかと思うが、他にこちらも思い当たらないので仕方が無い、分かりやすくて短くて呼びやすい、それが一番だ。
名前の由来について少女に聞かれたので話したが…リスは山栗鼠を知らないというのが分かった、人里にも出てくる生き物だというのに、見る事の無い生活をしていたのがこれで伺える。深層の令嬢というにはここへ捨てられているのが分からない、どんな事情があったのだろうか…。
「あの…」
考え込んでいたら声をかけられた。遠慮するようにこちらを見て来るリスだが、わりと何でも聞いてくるから、実の所遠慮というものが無いのかもしれない。生まれたばかり同然とはいえ、これは分からない事ばかりの中で必死なのかと思う事にして、聞かれたら答える様にはする。
「なんだ」
「申し訳ないのですが…あなた様のお名前を伺っても…」
そういえば言っていなかった、と思わすあごの下を指で触れた。誰かに自分の名を言うことなどとんと無かったので、一瞬名は何だったか…と考えてしまう。忘れそうになるとは不覚であった。
「私の名は『ディルデュラン』、人には『死の森の隠者』と呼ばれている」
男は立ち上がると左の掌を右胸へ当て、古式ゆかしき礼の形で少女へ名を告げたのだった。