第二章:晴れた空の下で
ようやく大樹に寄り掛かり建つ丸太小屋が見えたと思ったらその扉が開かれ、ほの明るい室内からの光を受けて影でしか見えない少女の姿が見えた。さきほど馬が嘶いたのでその音で二人が帰って来たのに気付いたのだろう、大きく手を振ると髪から光の精が飛び出して光り、その姿がはっきり見えるようになった。
「おかえりなさい!」
大きくはない声だが森人のディルデュランの耳にはリスの声が聞こえ、無事で良かったと息を吐く。そうして光の精の輝きでそこだけに陽がさしているような光景に、なんともむず痒い気持ちにになり、男はそれを打ち消す様に声を上げ自身の帰還を告げ、大角も光に向かって足を速める。
「おー!お出迎えか、嬉しいなあ」
マーシュマロウも馬の足を速め、ほっとしたような声を出す。馬に不慣れな道を行かせてしまった事もあり、ようやくしっかり休ませてやれるという気持ちもでたのかもしれない。しかし小屋へ近づくにつれ少女が顔をぬぐう様に手を動かしているのに気付いた二人は顔を見合わせる。
「…もしかして…リスちゃん泣いてる?」
「……………」
ディルデュランはすぐに顔を強張らせ大角の首を軽く叩く、大角も男の気持ちを分かっているかのように、疲れをものともしない走りで小屋へと向かった。
/*/
「遅くなった」
大角から降りたディルデュランに声をかけられ、大きくて温かい手が肩に乗せられた瞬間、怖くて仕方が無い気持ちが落ち着いていく。今自分の顔がどうなっているのか考えたくないけど、今の私にとって彼の存在の大きさを感じて、安心したのにもかかわらず次々と涙がでてしまった。
「暗くなったら怖くなってしまいました、すみません」
ああ、泣いたら迷惑がかかってしまうのにどうして止まらないんだろう、何度も手の甲で顔をぬぐってしまったので頬がひりひりしてきた。
「謝らなくて良い」
低く優しさを含む声でそう言われ何度も頷く、側にいた大角も鼻先をこちらに向け様子を見ていて、その深い色の瞳は何を考えているか分かりにくいけど、きっと気にかけてくれているのだろうと感じて、私は俯き涙を一生懸命止めることにする。夜行性でない角鹿が暗くなるまで頑張ったのに、泣くほど動揺してしまった自分が恥ずかしく、気持ちを入れ替えるために深呼吸して最後の涙をぬぐい顔をあげた。
「…大角さん、お疲れさまでした」
少し声が震えたがこちらをまだ見ている大角に声を掛け、私の肩から手を放さないディルデュランも、空いている方の手でその背を撫でつつ、
「今日はここで休んで明るくなったら森へ帰るといい」
と労りの声をかける。そうして私が泣き止んだのと、ディルデュランからかけられたその言葉に、大角はその身を小川の方へ向けると水を飲みに行き、そこへマーシュマロウと馬が追い付いた。
「リスちゃん大丈夫!?」
馬から降りて心配そうにこちらを見て来る彼の姿に、再びいたたまれなくなった私は、
「もう大丈夫です!」
と声を上げ、二人に背を向けて顔を洗うため小屋の中へと飛びこむ。これ以上情けない姿を見られるのは、本当に恥ずかしかった。
後ろから、「ほら~、離れない方がイイって~」というマーシュマロウの声と、低く唸るディルデュランの声が聞こえたが、何の事だか分からない私は不思議に思いつつ、急いで水瓶から柄杓を使って木桶に水を移して、顔をじゃぶじゃぶと洗ったのでした。
それから簡単な夕食を作り三人で食卓を囲み、その後腰を据えて今日の事を話そうという事に。二人ともそれぞれ難しい顔をしていたので、胸騒ぎを憶えながら野菜のスープとパンを口に運んだので、味が良く分からなくなった。老大樹の元で何を聞いてきたのか、恐らく良い話ではないのだろう…と思いつつ私はスープを飲み込んだ。
/*/
「そう…でしたか…」
どんな表情をしたら良いのか分からない…といった面持ちでリスは首をかしげる。三人は食後の薬草茶を飲みながら、昨日の様に長椅子にリスとマーシュマロウ、丸椅子にディルデュランが座る形で今日の出来事を話していた。
「聖女…であることは…何一つ覚えていないのですが…老大樹さまのお話ですと間違いないのですね」
「ああ」
少女の言葉に二人は頷く。ディルデュランがなかなか話し出せなかったので、ほぼマーシュマロウが話をしたのだが、聖女だったころを何も思い出せないリスには難しい話で、それに対して申し訳なさそうに肩を落とす。
「思い出せれば詳しい事が聞けてよいけども、事情が事情だからだから気にしなくていいよ。そうだな、逆に表立ったところにリスちゃんを出す方が危険だと俺は思ってる」
マーシュマロウは右の指を顎に添え、視線を床に落とし暫し考え込むとそのまま口を開く。
「ここに捨てて死んだと思われているリスちゃんが生きているという情報が、もし中央に届けば恐らく大司祭は再びリスちゃんを消そうとするだろうな」
たとえリスが記憶を失っていると言われても、存在が残っているという事だけで向こうは危険と判断するだろう、国の安寧の為にはこの先も刻印宝珠の悪用も、何人もの聖女を葬って来た事も秘匿とするはずだった。
「はい…」
少女は膝の上に置いた拳をぎゅっと握り、自分の身に襲い掛かるかもしれない危険に思わす青くなる。そんなリスの様子にディルデュランに睨まれるが、それには目をそらし顎から指を外すと地面を指さしてにやりと笑う。
「でも…それはここにいる限り大丈夫なんだよねー、だってこの森はそこにいる引きこもりのまじないで、人は入れないからさ!」
「あっ…はい」
目をぱちくりさせたリスは、彼の酷い言いように苦い顔をしているディルデュランを見てしまう。確か前にそんな話を聞いていたので、確かにそうです…と…胸をなでおろした。
「まあ…俺はとりあえず暖季の間は情報収集と元凶探しと同胞への声掛け」
「あの、私は何かしておくことはないでしょうか?」
生真面目な少女は、自分が何か憶えていたなら多くの手間が減るはずなのに、という思いで心配そうにマーシュマロウを伺うが、それににっこり笑うと
「二人でっ」
仲良く暮らせばいいよ!と言いかけたところ、又もディルデュランに顎を掴まれ容赦なく締め上げられた。
それから2日ほどマーシュマロウは森で羽を休め、その間暖季の中までに使う二人分の食料などを、ディルデュランが準備していたものと引き換えて、それらを驢馬たちにのせ旅立って行く。
「…マーシュマロウさん、賑やかな方でしたね」
その姿を見送った後、そう言って隣で少し寂しそうに笑うリスを見下ろし、ディルデュランは口を開く。
「寂しいか」
それにこちらを見上げて来る少女と視線が合った、明るい茶色の瞳はどこまでも澄んでいて、光の精を孕んだ柔らかな髪は風でふわふわと揺れる。
「そうですね…そう…でも…ディルデュランさんがいてくれますから大丈夫です!」
少しの間の後、そう言ってリスは目を細め笑う、その輝くような笑顔に思わず見惚れかけたディルデュランは、確かに少女は「聖女」であったのだろうと苦笑すると、晴天の空を見上げたのだった。
第二章 完




