第二章:老大樹
太古の森のその中心、岩と羊歯に古い樹々が並ぶ一帯は、常にうっすらと靄がかかり神秘的な静寂に満ちている。特に今は空が曇っているため陽はなおのこと薄く、強い湿気が外套にまとわりつくように流れるのを感じられた。
ディルデュランとマーシュマロウはここで大角と馬から降り、樹間を徒歩でさらに進んでいく。ここからは更に足元が悪くなるので、二人を乗せたまま前に進むのは危なかった。そうしていくらか進むと徐々に樹々がまばらになり、それが無くなるころには目の前に巨大な針葉樹が目の前に迫る。
高く高く伸びた太い幹の根元は羊歯に囲まれ、樹皮はごつごつと固く苔むしており、見上げたその先の樹頭にだけ枝葉が集まって寂しく見えるが、枯れた印象は無く強い命を感じさせる荘厳さがその古木にはあった。
大角は呼べば来るので好きにさせ、馬は繋いで二人は古木の根元へと歩む。そして、ディルデュランはローブのフードを、マーシュマロウは帽子を取って左の掌を胸に置き跪くと、森人の古式に乗っ取った挨拶を老大樹へとおこなった。
「お久しぶりでございます老大樹どの、旅の鳥マーシュマロウです。相変わらずお元気でそうで何よりです。」
「老大樹どのお変わりなく、森の守護ディルデュランです。本日はお話を聞きたく参りました」
ざわりと枝が揺れる、繋いでいた馬が異変に驚いで嘶き、周りの樹にとまっていた鳥たちが羽ばたいた。老大樹自体が大きく動いているわけではないが、その周りの空気が揺れるような感覚になった。
『おお…息災であったか…森人の子たち…』
皮膚がびりびりするような声が響く、しかし老大樹の声は耳からは聞こえておらず直接頭に届いているため、二人は思わず身を竦める。
「老大樹殿…相変わらずお声が大きい!」
50年ぶりに声を聞いたマーシュマロウは顔を上げると両手で耳を塞ぐ、直接聞こえるのだから塞いでも仕方が無いのだが、ついそうしてしまっていた。
『ほ…ほ…ほ…』
笑うと幹から瘡蓋の様に樹皮がぽろぽろ落ち、跪く二人の足元へこつん、こつんと転がって来る。
『まあ…どこかへ…座って…話は…ディルデュランの…養い子の…ことね…』
ここまで急いで来た二人は疲れていたので、ありがたく座るのによさげな岩を見つけて腰をおろした。ディルデュランは改めて老大樹を見上げて姿勢を正す。
「やはり、知っておられましたか」
『うん…知ってるよ…あの子を捨てた者…大司祭…と…口にしていた…と…森の入口の…若い大樹…が…言ってた…それを聞きに…来たの…よね…」
「はい」
『あの子…まだ…しゃべれないもん…ね…ほ…ほ…ほ…』
また笑って樹皮が落ちて来る、当たると結構痛いのもあるので、マーシュマロウは器用に体を動かして避けているが、老大樹は構わず枝をさわさわと動かしながら話し続ける。
『そうそう…リス…ね…あの子は…聖女…だねえ…でも…どうしたの…あんな風に…なっちゃって…可哀そうに』
不思議そうにしてるいる老大樹の言葉に二人は顔を見合わせる、聖女とあれば国教と関りがある事はこれで間違い無くなった。
『聖女は…大地神と…仲良しになれる…特別な子たち…あちこちに…いて…各地を…巡り…豊作を…願って…お祈り…するのがお仕事…そうね…最近見かけない…お祈り…やめちゃった…?』
老大樹の最近は数百年単位、ディルデュランはマーシュマロウが話してくれた事を思い返し腕を組む。
「老大樹どの、もしかしたらヒールニールの国教…大聖堂と王族の間で刻印宝珠と聖女を悪用した何かが行われているかもしれません」
『なる…ほど…ふむ…』
空気が強くざわめく、老大樹は幹を軋ませ何かを考えている風に枝を揺らしたので、二人は黙って次の言葉を待つことにした。
老大樹は自分の届く範囲の木々に繋がり、感じる範囲の異変を探る。アレンデの辺りまで意識を伸ばせば、南に向かうほど、地力が不自然にむらなく上がっているのが分かり、違和感を覚えた所で意識を根元に座る二人へと戻す。
『遠く…の…方…なんか…変…ね…地の力が…不自然…に…強く…なってるね…」
「そうか…なんとなく掴めてきた」
マーシュマロウは話を聞いて、やはり自分が思っていたことをやらなくては…と表情を曇らせ立ち上がる。
「ありがとうございます老大樹どの、これは森人が片付けなくてはいけない問題みたいです」
ディルデュランも頭を振りながら立ち上がる。聖女であったリスを捨てたのは国教の大司教、不自然な地力の上昇と刻印宝珠との関係性を探れば、間違いなく闇深いものになるだろう。
「リスになんと言えば…」
足元を埋める苔を見つめ男は呟く。頭に少女の屈託の無い笑顔が浮かぶが、命を奪いかけた原因が、森人が広めた刻印宝珠であるのが濃厚になった今、リスがどう思うだろうと暗い気持ちになる。マーシュマロウを見れば彼も同じように苦い顔していた。
『二人が…広めた…分けでない…よね』
「それはそうだが…」
優しく諭すように語る老大樹へ、ディルデュランは申し訳なさそうにし、マーシュマロウが「えー」と頭をぽりぽりと掻いているのに、老大樹はパラパラと樹皮を落とす。
「いてっ!痛いって!」
『ほ…ほ…ほ…そうね…ハーツイーズ…を…探しな…さい…この辺には…いないけど…あの子は…きっと…人の…側にいる…」
「ハーツイーズ?」
老大樹は『ハーツイーズ』という名を出してから暫し考えた後、最近見かけなくなった、人に刻印宝珠を教えた…と話した子を思い浮かべながら枝を揺らし語り掛ける。
『どんな…子…だったかな…おしゃべり…な…女の子…だった…かな…』
「ヒントそれだけえ?」
マーシュマロウが両手を上にあげて叫ぶが、特殊な感覚だけで生きている樹木は、森人や人の見た目を視覚的にとらえている訳でなく、根元にいる二人の事も命の輝きでしか認識していないので、見た目に関しては何も言えなかった。
『ほ…ほ…ほ…』
そうして老大樹は穏やかに笑うだけで、それ以上言葉を返すことは無く、二人は顔を見合わせこれ以上何も出てこないなと頷くと、老大樹へ礼を尽くして別れを言い、大角と馬を連れて急ぎ帰路へとついたのだった。




