第二章:曇り空と森の奥
次の日の朝、夜明けとともにディルデュランとマーシュマロウは、日が暮れる前に戻ると馬と大きな角鹿に乗って出掛けてしまった。
私も老大樹様の所に行くのかと思っていたから、留守番と聞いて泣きそう。
「まだリスには無理だ」
と言われたので、しんなり落ち込む私でしたが、驢馬さんたちが私の側に来て「ヒーホーヒーホー」とないて首の所を撫でさせてくれたり、森山羊たちも今日は遠くまで行かず、森の際の草を食んでくれてるし、子山羊が時々走って来て遊ぼうと私の長衣の裾をひっぱるから、畑の辺りを回ったりして寂しくはないのですが…一緒に動き回ったら疲れてしまった。
大樹の根っこに座りため息を吐くと、その度に光の粒も髪からぽろりと零れ落ちて、私の肩の上で「元気を出して」と跳ねるのが見えるけれども、気持ちはとても憂鬱。
「逞しくなりたい…早く一緒に森に行けたらいいのに…」
二人とも足がとてもしっかりしていて、平気で何時間も乗馬したり歩いたりできるそうで、そこまでなるのに私はどれ位かかるのかと遠い目をしてしまう。空を見上げれば曇り空、まるで今の私の気持ちの様だった。
独りで食べるお昼はきっと味気ないだろう、お昼はパンに乳酪と果実を煮詰めたものを挟んで外で食べないと。理由は分からないけど、そうでもしないと心が折れてしまいそうで、きっと記憶を失う前の私も寂しい思いをしていたからでは…?と少し考えた。だって誰かと一緒に食べる食事は美味しくて、温かいもので胸が一杯になるのに、それを思い出せない事ってあるのだろうか…。
「午後からは組み紐の練習しないと…」
ディルデュランからそう言われていたので、のろのろとお昼を作りに立ち上がり、私が寝ている間に焼いていてくれてた平たいパンを半分に切って、乳酪と果実を煮詰めたものを挟んで布に包むと、湯冷ましを入れた器を持ってまた外に出る。
「寂しいです…」
そう言ってもそもそとお昼を食べていたら、驢馬たちがまた近寄って来てパンを欲しそうにしてたので、私はとそれを驢馬たちと分けて食べることにした。
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「一緒に連れていければ良かったんだが…」
ディルデュランは置いて行かれるのに、しおしおになったリスの姿を思い出して肩を落とす。いつかは老大樹の元へ連れて行くつもりではいたが今の段階では無理な話で、そこまで行くには馬や鹿の足でも数時間ががり、角鹿に乗る技術が必要だった。
「獣道しかないもんね、もっと体が丈夫にならないと危ないよ」
「その通りだ」
薄い光が差し込む中、二人は喋りながら大角と馬の背に揺られ、木々と岩の隙間を縫うように進む。大角は慣れたものですいすいと前へ進むが、馬の方は時々足を取られそうになる所を、そこはマーシュマロウがうまい事誘導して進んでいた。
「…あんた人嫌いだったのにね、リスちゃんは大事にしてるんじゃん」
「リスは…もう人ではなくなってしまった。………もし…出自が分かったとしても、ここへ捨て置かれる位だ、幸せな生き方では無さそうなのがな」
先を行くディルデュランの顔は見えないが、焦げ茶色のローブの背中が少し丸まっている、ここに至るまで彼なりに悩んだのだろうとマーシュマロウは察し言葉を繋ぐ。
「じゃあ、あんたが幸せにすればいいじゃん」
「私が?」
ディルデュランがなぜという目をして振り返った。色々と人嫌いを拗らせて孤独を選んだ男が、せっせとあの小さな少女の世話をする姿は正直面白いと思っていたが、今の返事を聞いて思ったより真面目に考えてやらないとこれは駄目だ、とマーシュマロウは真顔になってしまう。
「うん?他に誰が?」
「……………………」
「固まるなよ~無理にとは言わないけどさあ~リスちゃんはあんたと一緒にいて毎日楽しいって言ってたじゃん」
「…リスはまだ子供だ、ふざけた事を言うな」
そこから前を向いてだんまりになってしまったディルデュランの背中に、マーシュマロウは木の実をぶつけて、
「寿命長くなったんだから気にせず待てばいいじゃんよ」
と言ったところで話をやめる。
別に喧嘩するつもりはなく、寂しい人生をやめてほしかっただけではあるが、彼が言った様にリスの寿命が長くなっているなら、ゆっくりで良いのかとも思う。マーシュマロウは頑固な古なじみに「仕方ないなあ」と思いつつ慣れない場所を歩く馬の手綱を操った。
そうして森を奥へ進んで、曇ってはいるが時間にして太陽がてっぺんに差し掛かるころ、二人は1本の巨大な針葉樹が見えてくる場所へと差し掛かかり、そこで一旦馬を休めることにする。
「老大樹の元へ来るのは50年ぶりかなあ…」
マーシュマロウが干した果物をかじりながら呟く。
「私は20年に一度は挨拶に来ていたが、伺うために来るのは森を閉じた時以来だ」
ディルデュランも同じように干した果物をかじり、小川の水を飲んでいた大角の背を撫でる。
もう少し行けば森が開け、男の住む丸太小屋の大樹より遥かに大きい樹が現れる。太古の森と呼ばれる場所には、必ずその地一帯を統べる特別な大木が存在していて、今から向かう老大樹もその一本。
それは一本でありながら木々の全体であり、大地に根差し不動でありながら、はるか遠くの木々の知るところを知り、それを語る力を持つ特別な樹であった。
「番人大樹に詳しく聞ければ良いのだが、あの樹はまだうまく話せんからな」
「まあ、あと1000年生きないとねー」
固まった背中を伸ばしてマーシュマロウが深呼吸すれば、清らかな森の空気はやはり懐かしく、今は無き故郷を思い出さずにはいられなかった。そうやって暫し休んでいると、
「さて、もう少しだ」
と、ディルデュランに声を掛けられ後ろを振り返る、すでに大角に跨っているその姿に、日が暮れるまでに帰ると言ってたから急いでるなあ…と苦笑しつつ、マーシュマロウは「はいよー」と返事を返して、自身も馬にまたがり二人は老大樹の足元に向かい足を進めたのだった。




