第二章:失われているはずの刻印宝珠
「なるほどねえ…」
ディルデュランからリスがここへ住むことになった経緯を聞いたマーシュマロウは、天井に視線を動かすと暫し考え込む。
「俺が分かる範囲だと、リスちゃんは国教の大地神と関係のある所にいたとは思うんだよね」
「大地神…それについては何も思い出せません…」
「ほら、俺に挨拶をした時に両の掌を胸に当ててたじゃん、あれ大地神の司祭や敬虔な信徒がする礼の形なんだよね」
少女はマーシュマロウの言葉に目を丸くする、自身が何気なく取っていた所作に出自に纏わる事があったのにリスが驚いくのは分かるが、それにディルデュランまで驚いていたのには顔をしかめる。森に引きこもってから200年以上経つので仕方が無いとため息を吐くと、マーシュマロウは腕を組む、そうしてここから本題と言った風に真面目な顔をしてリスを見つめた。
「刻印宝珠を恐れるという事でもう一つ分かる事がある。それはつまり、リスちゃんが刻印宝珠の側にある立場であった、という事だ」
「そうか…宝珠について何か嫌な思いをしたのだろうとは思っていたが」
なるほど、と頷いた男にマーシュマロウはあきれ顔で指を突き付ける。
「だけどさ、人が刻印宝珠を使っていたのは一時のことでさ、今はそれを持つものはほぼいないはずなんだよね」
「…そうなのか?」
「あーもう!引きこもってるから分からなくなるんだよ!説明するけど、刻印宝珠のが人に伝わったのは250年前、当時のヒールニール国王と懇意にしていた森人が教えたことが始まりだ。あんたが分かっているのはここまでだよね」
ディルデュランは頷く、彼がここに来た頃すでに宝珠を使っている者がいたのは確かで、森人のだれかが教えたのか…と不快な気持ちでいたのを憶えていた。
「だけども、その後50年の間で死人が多発、「我々が使うにはあまりにも危険だ」という事で、国王が晩年国中の民から刻印宝玉を回収してるんだ」
「この森を禁則地にしたのもその王だ…臆病で慎重な王だとは思ってはいたが…なるほど」
「今でも使っているのは国お抱えの司祭位で、それは赤子の職選をするための選別に使う位…か…だけどあれは子が持つ能力に反応するだけの宝珠だから…命を奪うようなものでないしなあ…」
マーシュマロウは薬草茶の残りを飲み干すと苦い顔をする。
「うーん…おそらく王族の一部と大聖堂のやつらが何かしている…、あんたは気付いてなかったと思うが、ここ100年以上国は豊穣続きでな…俺は不信に思っていたんだよ、大地神の恵みと言えば聞こえがいいが…」
そう、確かに当時の国王は命を削ってしまう刻印宝珠を使うのを諦めさせた。しかし人があんな便利なものを手放すわけがなく、宝珠に刻む刻印によっては大地にも影響を及ぼせると気づいてしまえば、なんとしても利用しようと水面下で研究をした可能性が高かった。
「なるほど…」
ディルデュランは瞼をきつく閉じうつむく。人は耕作地帯を作る為にいともたやすく古くからある森を壊し、自らの利の為にならどんな事もしていく。今でも耳に残っている切り倒されていく木々や、狩られた生き物たちの悲鳴…思わず拳に力が入る。
「ディルデュランさん…大丈夫ですか…」
そんな様子にリスが心配そうに声を掛け、それに我に返った男が瞼を開き少女に視線を返した。
「ああ…すまん」
そうだ、人ならやりかねない、マーシュマロウのいう通りだと思い顔を上げ口を開く。
「そうすると命が尽きかけていたリスは、何らかの刻印宝珠によってそうなった可能性があるな」
「そんな所だろうね、とはいえ俺も予測でしか言えてないからなあ、実際王族や大聖堂が何かしてるって証拠も無いし」
取りあえず聞いた話からだそこまで、とマーシュマロウが肩をすくめ器を丸椅子へと置いたところで会話が止まる、確かに話の筋は通っているがそれが正しいのかは分からない。
「リスちゃんが自分の事を知りたい、というなら俺次にここに来るまでに調べたりできるけど、どうする?」
少女は話をふられたのに動揺するが、申し訳なさそうに目を彷徨わせて返事を返す。
「私の事…ですか…知りたいとは思うのですが」
「うんうん」
「私は外の事を全く知らない生き方をしていたみたいで…記憶を無くしたといっても、室内にあるのの名前がある程度分ったりしていたのですが、外へ出して貰ったら…何もかも知らないものばかり、だから恐らく閉じ込められていたのでは…と…考えていました」
「ええ…」
リスの言葉にマーシュマロウは驚き、このことを予測していたディルデュランは腕を組んで息を吐いた。
「今でこそ少し良くなってはいるが、拾った時は顔色は病的に青白く、足はまともに歩いたことが無いような柔さだった、だから私もそうではないかと思ってはいた」
「これは…闇が深そうだぞ…」
う~んと唸り天井を仰ぐ、伝手を色々と当たって調べるのは良いけれど下手すると消されるやつだな、とマーシュマロウは考えるが、それと同時に刻印宝珠を悪用しているのなら、あちこちに散っている同胞に伝えていっちょ締めとかんと…という気持ちもわいてくる。
「リスちゃん、ここの暮らしは楽しいかい?」
「は…はい!楽しいです!」
花がほころぶような笑顔で日々新しい事を覚える事が楽しくて仕方が無い、と応えられたマーシュマロウは、それにくしゃりとした笑顔を返し、ディルデュランには目くばせをする。
「老大樹様の所へ行こうと思うけど、あんたも行くかい」
「…そろそろ行こうと思っていた所だ」
そう言って二人は頷くと立ちあがり、丸椅子を卓に寄せると薬草へと向き合った。それを放置してここを出るわけにいかないので、まずは急ぎ薬草茶作りを終わらせることにしたのである。それに気づいたリスは慌てて立ち上がり「私もやります!」と声を上げた。
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薬草茶の袋詰め…なんとか終わりました…。
寝台に潜り込むとへとへとだったのかすぐに眠気が襲って来る、ここに来てから眠れないという事は無く、むしろ心地よく疲れて横になったらすぐに夢の中に入ってしまう。隣の部屋ではディルデュランとマーシュマロウが小声で話し込んでいて、光り虫のうす明かりと共に板壁の隙間から漏れてきた。
刻印宝珠と自分の関係については怖かったけど、地図を見せてもらいながらヒールニールの各地でどんな事があったのか、私の知らない土地、場所、人々の暮らしの話は耳に新しい。聞いていて世界には分からない事が沢山あるのだとしみじみと思うし、養い子である私はいつかディルデュランの元から巣立つ時がきたりするのかしら、今はまだここで学ぶことが沢山あるから、外に出たいと思わないけど…。
うとうとしながら私は彼の優しいまなざしと、傷だらけだけど温かい掌を思い浮かべる、それがとても大好きで、やっぱり離れなくないかも…と感じながら眠りに落ちた。




