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第二章:森山羊の乳と平たいパン

第二章始まりました。

生い茂る木々の隙間を縫って差しこむ薄い朝日の中、今日の分の森山羊の乳を搾りにいっていたリスが、素焼きの壺を抱え丸太小屋の中に入って来た。

「ディルデュランさん、森山羊達を放してきました」

そう言いながら扉を閉じ、ディルデュランの元へ歩いていく。背中まである胡桃色の柔らかい髪は、幅広の組み紐を首の後ろから額の上あたりへ巻いて結び、邪魔にならないよう軽く纏められてはいるが、後ろに流した髪の中には相変わらず白い瞬き…光の精が住みついているのが見える。髪が落ちないように編み込みにでもすれば良いとディルデュランは提案したことがあるが、リスの髪の間を気に入っている光の精たちの抗議にあって下ろしたままだ。

あれから少女は良く食べ良く寝て、外で陽に当たり動くようになったら驚くほど健康的になり、肌は白いままであったが血色が良くなったため、虚弱そうな見た目では無くなりつつある。そんな姿に男は少し頬を緩めリスへ声を掛けた。

「子山羊たちに変わりないか」

「はい、元気にお乳を飲んでました、とっても可愛いです」

季節の変わり目になると森山羊は子を産む。ディルデュランと暮らす森山羊たちは、大樹の樹洞を利用した寝場所があるおかげで夜は安全に過ごすことができており、獣に狙われやすい小さな命は今の所すくすくと育っている。リスは警戒心の強い森山羊からも嫌がられず、わりと早めに乳しぼりの仕方を覚える事ができた。

男は少女から壺を受け取り、竈の隅に置いた足つきの小鍋に乳を移すと、その下に置いた小さい刻印宝珠で乳を温め、残りは壺の口を油紙と紐できっちり蓋をして保冷庫へとしまった。

中季が終わり日々暖かくなってきているとはいえ、アレンデの北部にあるこの地では朝晩はまだ肌寒く、リスは鼻の頭と手先がほんのりと赤くなっている。だいぶ健康的になってきたとはいえ、冷え切ったら風邪をひくかもしれないと男は思い、丸椅子を動かして少女を竈の側に座らせて、朝食用にと時間がかからない香草入りの平たいパンを作る準備に取り掛かる。

酵母を使わないそのパンは、大きな鉢に小麦の粉へ塩と水、溶かした乳酪を入れ粉気が無くなるまで混ぜて捏ねたら軽く纏め、濡れた布巾をかぶせて暖かい所で少し休ませる。その後用意していた薄い木板に粉をふったら、そこへ生地を落としもう一度軽く練る。そうして出来上がった生地を平たく手で丸く伸ばしたら油を引いた平鍋に敷き、何か所か指で生地に窪みをつけて表面に乳酪を塗る。最後に甘くほろ苦い香りのする細長い葉の香草を散らして鍋に蓋をしたら、竈に大きな刻印宝珠を、鍋蓋の上には中くらいのものを置いておけば上下から熱が入る為、パンはあっという間に香ばしく焼きあがった。

リスは体が温まると椅子から立ち上がり、パンを焼いている間にかたずけられた卓の上へ、戸棚から食事に必要な食器を出して並べる。リスは力仕事以外の細々とした家事をどんどん覚えているが、なぜか刻印宝珠の取り扱いが得意では無く、以前水の刻印宝珠を掌に乗せたら、体をこわばらせ動けなくなってしまった事があった。本人曰く、見ている分には大丈夫なのだが、触れると恐怖に駆られるようで、それ以来触れさせない様にはしている。何か刻印宝珠について嫌な思いをしていたのだろうか、それとも刻印宝珠の使い方を教える際に、まじない言葉を使って自らの命を少し流す必要がある、と説明したからだろうか…。この話をした時、リスの表情が無くなり顔色を悪くしていた。長命の森人にとってわずかの命を使う事など大したことでは無かったが…そう言っても人であったリスには受け入れにくい事だったのかもしれない。

そう考えながらディルデュランは平鍋に入ったパンを自分とリスの分とで切り分けると、温めた乳を小さな器に注ぎ、それに樹液を煮詰めて作った糖蜜を小匙で入れてかき混ぜた。

「食べなさい」

「はい、いただきます」

このやり取りも何度目だろう、朝から美味しそうに食事をするリスの姿を見るのが当たり前になりつつあるのに、男はなんだかな…と視線を泳がせたのだった。


/*/


焼きたてのパン、おいしいです…!

私は香ばしくふかふかしたパンを頬張りつつ、竈の上に置かれた刻印宝珠をちらりと見る。あれが使える様になればやれることが増えるのに、と思うのだけど、手に取るとなぜか恐ろしくて体が震えた。きっと失われた記憶に関わる事があるのだろうと思うのだけど、恐ろしいばかりで何も思い出せない。

刻印宝玉は命を流すまじない言葉を使う事で、刻印通りに熱を発したり水を溜めたりできる。それは森と共存し傷めることを避けてきた森人の知恵の結晶で、遠い昔から利用されて来たものだという。

「人が大きなものを使ったのなら早々に命を失いかねないが、寿命が長い森人にとってはこの程度の大きさのものを使っても大したことも無い」

と説明されたけれど、それでも怖ろしさは消えなかった。

そんな風に怖がる私を落ち着かせようと思ったのか、ディルデュランは困ったように視線を彷徨わせながら、

「リスは…光の精たちとの命の交換で、寿命が相当延びた。これくらい使っても問題は起こらない」

と突然告げてきたのにはとても驚いたのだけど…あの時は色々と理解が追い付かなかったので、

「今はどうしたら良いか分かりません」

と返事を返して、それ以降刻印宝珠には触れない様にしてきたし、彼もその件には気を使ってくれているようだった。

寿命が延びている事は混乱しつつもなんとか飲み込んだけど、どうして刻印宝珠が怖ろしいんだろう…それを知りたいような、知りたくないような…。

私はパンを飲み込むと、もやもやした気持ちをどうにかしたくて、温かくて甘い乳の入った器に手に取り、そっと口を付けた。

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