第一章:二人歩く
それからの私はと言うと、ディルデュランに一つずつ家の事を教えてもらい、体への負担の少ない家事をしながら、あとは食べて、寝て、陽に当たるという日々を送る。
その間に私の足に合わせた履物を作ってもらったのだけど、ディルデュランは私の足を紐を使い測りながら、履物に使う森山羊の皮は、何かの折に命を落としたものだけから取れる貴重な素材で、それを樹皮などを使った液に漬け込んで、なめし革へと加工すると色々ものに使える。と話してくれた。
そうして数日掛けて手縫いで仕立ててくれた履物は脛までを覆う長さで、履いて余ったところを折り、足首から脛の上までを紐で縛れば、緩みが無くなってとても歩きやすかった。
「大事な革を使わせてしまいすみません、ありがとうございます、大事に使います」
何から何までお世話になって申し訳ないと思いつつ、私は感謝の気持ちをなるべく丁寧に彼に伝える。大したことがまだできないので、お世話していただいたときに言うのだが、その度に苦いものを食べたような顔をされるので、私変な事言ってないよね…?と心の中で首をかしげた。
/*/
「良い天気!わあ…なんて気持ちが良いのでしょう」
大げさな…と思いながらディルデュランは、大樹と森の隙間にできた空を見上げ背伸びをしている少女を見る。2週間程リスには家の中で過ごしてもらっていたが、体の方が落ち着いてきたのと、仕立てていた履物が出来上がったのを機に、少女を本格的に外に出すことにした。
この森には大きく3つの季節があり、雪が降る『寒季』過ごしやすい『暖季』そしてその間の『中季』があった。今は中季の終わりであと少しで暖季に移り変わる時期といったところである。周りを見渡せば草木の柔らかな緑が森を彩り、光や水、風も季節の移り変わりを喜び歌う様にさわさわと音を響かせ、少女の髪に住みついている光の精も瞬き胡桃色の柔らかい髪を明るくさせる。
「音が…歌の様です…」
「そうだな」
「はい、沢山の小さな音が重なって聞こえます」
耳を澄ますリスの髪と長衣の裾をすり抜ける様に風が通り、森が少女を歓迎している様に優しく揺らした。硝子越しでない陽の光を浴びたリスは幾分健康的になったように見える。何着か仕立てていた長衣の布の色も良かったのかもしれない、淡い赤は白い肌に温かみを添えていた。
ディルデュランは森山羊の毛で織った布を、趣味と実益を兼ねて様々な草木染にしていたが、自分では着ない色は持て余したり、季節の変わり目に訪れる同族の行商人へ売ったりしていた。これからはリスに合う色は残す様にし、本人に裁縫も教えようと考えながら腕を組む。飲み込みは早くないのだが憶えたいという意気込みがあるのは好ましい、とは思う。
人と暮らすなんてどうなることかとディルデュランは思っていたが、少女は人が失いつつある清廉な心と光りの精の命をもつせいか、男に邪魔と思われない稀有な存在となっていた。
「今日は小屋の周りを歩く、疲れたらすぐ言え」
ディルデュランは森の空気を楽しんでいるリスに声を掛ける。
「はい」
少女は陽に輝いている様にも見える明るい茶の瞳を彼に向け、心から嬉しそうな顔を男に向ける。本当に裏表のない娘だ…と思いながら組んでいた腕をほどいて左の手をリスに差し出す。それに驚いたのかリスは目を丸くしたが、
「ありがとうございます…」
と言い、おずおずと右手を伸ばすとディルデュランの掌に小さな掌を重ねた。
「歩くのに慣れれば必要なくなる」
戸惑いを見せる少女へ淡々と言葉を返し、その手を軽く握り歩き出す。自然の地形を利用したこの土地は平坦ではない、歩きなれていない者が考えなしに動けば足を取られるだろう。そう、それだけだ。
「早く歩きなれますね!」
リスも男の言葉にうんうんと頷いて、左の手を胸の前に出して拳を握って見せる。それに「その調子だ」と頷いてディルデュランは顔を上げた。
まず小屋から一番離れた畑までゆっくり歩き、折り返しながらここにある物を説明しようと考える。外ですることはまずはそこからで、教えることは沢山あるが急いではならない。まだ話してはいないが光の精の命を貰ったリスの寿命は長い、人でありながら人でないものになってしまっているだろう。あの選択が正しいのか分からなかったが、森がそうしろと言い自分はそれに従った。だからこそ、その責任も果たすべきであるとディルデュランは思う。
考え込む男の目の端に光の精の瞬きが見える、視線だけで見ると辺りをきょろきょろと見ているリスの頭のてっぺんしか見えないが、その周りを光の粒が跳ねディルデュランの長衣にもぶつかって弾ける。それがまるで「よかったね」と言っている様で、男は小さなため息を一つ落とした。
死の森の隠者と出がらしとなってしまった聖女は、手を取りながらゆっくりゆっくりと小川の脇の小道を歩く。長閑に草を食んでいた森山羊たちが、二人を見つけると「メエ~」と鳴いた。
第一章 完




