第一章:こうして生活が始まって行く
お料理を手伝う事ができた…!
私は嬉しい気持ちで葉野菜をちぎる。鮮やかな緑色の葉は茎の部分はパリッとしているが、葉は柔らかいので簡単にちぎる事ができ、料理の事が何も分からない自分でも問題なくでできた。こういう難しくない事からやっていけば、いつかは調理用ナイフを使ったりもできるだろうか、そう思いながら手際よく作業をしているディルデュランの姿をこっそりと見る。あんなに嫌そうだったのに、私の面倒を見ると言ってくれるだけでなく、この先も必要な事を私に教えてくれるのだろう。…やはりこの人は優しい人なのだ。
竈の鍋からは良い匂いがし、刻印宝珠の放つ熱が何とも言えず温かい。何もなくなってしまった私の胸にこれほど染み入るのはなぜなのだろうか。
窓から差し込む陽の光が徐々に赤みを帯び、夕刻が近づいていることを教えてくれる。火を使わないのなら何で明かりを取るのだろうかと思いつつ、私はディルデュランにもう良いと言われるまで葉野菜をちぎり続けた。
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陽が落ちて暗くなり始めたころ、料理の支度を終えたディルデュランは、家の外から中が見えそうなほど粗く編んだ四角い籠を小屋の中へと持ってきた。
「それは何でしょうか?」
分からないものは何でも聞いてくるリスの問いに、彼は籠の上蓋を開けて拳半分程もある大きな黒い甲虫を取り出しリスに見せてくる。
「光り虫だ」
「………!!!」
リスはその大きさに驚き、仰け反る様にして虫と距離を取ったが、男は「大丈夫だ」と言うと、数匹を薄い木の板で作った底の浅い四角い箱の中へ入れて蓋を閉じ、それを天井の梁に下げていた紐へと括り付けた。箱は底面だけが硝子になっており、虫が出す光を通して部屋をほの明るくする。
「夜になると腹側を一晩中光らせるのを利用している」
光り虫は日中陽の当たる場所で草を食べながら活動しているが、雄は夜になるとじっと動かず、橙白色に腹を光らせ雌がその光に誘われて来るのを待つ、という習性があった。
「…光りの精ではだめなのですか」
「光の精は気分屋で光の強さが安定しない。明かりには向いていない」
少女は男の言葉に自分の髪に入り込んでいる光の点滅をちらり見てから、ぎゅっと瞼を閉じ暫し考え込み
「分かりました」
と言うと、なるべく上を見ない様にして恐る恐る姿勢をもとに戻す。
「怖がるような虫ではない」
ディルデュランは空になった虫かごを出入り口の側に置くと手を洗い、竈にかけていた鍋の方へ行くと、その蓋を開け中を覗き込んだ。
弱い熱で小一時間ほど煮込んだスープは、とろりとしていて乳酪の香りが部屋いっぱいに広がり、木匙でかき混ぜれば、やや溶けて角が丸くなった根野菜が美味しそうに煮えているのが見える。一口味見をして塩を少しだけ足すと、竈から平たい匙を使って宝玉を取り出し、熱を止めるまじないを唱えて竈の縁へ置いた。
「リス、木の実を葉野菜の上に乗せろ」
「あ…はっ…はい!」
虫の事は一旦頭から外すことにしたような返事だなと思うが、気を取り直して食事の支度を手伝っているリスは嬉しそうで、その姿にディルデュランは気付かぬ内にほんの少しだけ目元を和ませる。
そうして葉野菜の上に小さな赤い実が乗せられのを見届けると、軽く菜種油を回しかけ、仕上げに削っておいた塩気の強い乾酪を指で摘まみぱらりとりかけた。
スープは用意していた木の椀に一つは半分ほど、もう一つはたっぷりと、卓へ運ぶとそれぞれの席の前に置き、刻んでいた香草を少し散らす。最後に水差しに入れた湯冷ましを器に注ぎ入れて夕食の用意が全て整った。
「食べなさい」
「はい、いただきます」
ディルデュランは昼から気づいていたが、リスは両の掌を重ねる様に胸に当てる仕草をしてから食事を始める。その動作は見たことがある様な気がしているが、恐らくそれは100年単位で前の事になるだろう、思い出せれば少女の出自が少しでも分かると思うが…なかなか難しそうだ、と彼は考えながらスープを口に運んだ。香草が爽やかに香り、森山羊の乳は加熱された分濃厚で、良く煮えた根野菜はほくほくとして柔らかく滋味深い。視線を上げればリスが一生懸命食べているのが見え、なんとも複雑な気持ちになる。
人は嫌いで仕方が無いのは変わってはいない、保護しなくて良いのだったらその方が断然良かったが、森に託された以上抗うのは難しい。ずっと一人で生きてきたのに、急に養い子ができるとは…と思いつつ、男は葉野菜を噛みしめながら少しだけ眉間に皺を寄せた。




