5話
たっぷり泣いて、落ち着きを取り戻した陽子と、陽子の隣で神妙にしている青鬼。
それと相変わらず無表情な白鬼の3人が、ベッドの横に置かれた小さなテーブルを囲んでいる。
それぞれの前には陽子が用意した、温かい紅茶がある。白鬼は表情を変えず、ゆっくりと紅茶を飲み、満足したように頷いてみせた。
「お口に合えばいいんですけど…」
鬼に紅茶はどうかと思ったが、何を出せばいいかわからず、いつも飲んでる紅茶を用意した陽子。助けてもらった恩義を感じているのか、白鬼には敬語を使っている。
「とても気に入りました」
表情からはわからないが、気に入った様子の白鬼。
陽子の隣には、正座をして、じっと下を見て微動たりしない青鬼がいる。
「あんたも飲みなさいよ、怒ってなんかいないから」
少なくとも青鬼が、自分のためになることをしようとしたのではなく、どちらかというと自分を利用しようとしたことに薄々気付いている陽子だが、それを特に咎める気はない。
青鬼はそんな陽子の言葉が、耳には聞こえているが脳には届かない様子である。
目の前には分身とはいえ、自分を一太刀で切り裂いたドブ川色の鬼を、いとも簡単に消し去った白鬼が、こともあろうに紅茶を飲んでいるのだ。
この状況、青鬼にとって、わけが分からないのと、生きた心地もしない。
「さて、落ち着きましたか?」
ティーカップを置いた白鬼が、陽子に優しい声で気遣う。
「はい、なんだかものすごくスッキリしたのと、嘘みたいに元気になった気がします」
そのことを不思議そうに、自分の気のせいなのかもしれないけれど、という表情で答えた。
「それはよかったです、あなたは、人を憎まなければという、自分の本当の気持ちとは相反した気持ちを無理やり強くしたことで、もう一人の陽子が形作られようとしていました」
「もう一人の私?」
「そうです、身体はひとつですが、もう一人の陽子が良くない炎を燃やすことで、心が分断されて乱れていたのです」
白鬼は人間の陽子にもわかるように、陽子に起きていたことを説明し始めた。
「もう一人の陽子は、お父さんへの愛情を憎しみや復讐心の大きさで表現しようとしたあまり、遠くにいるある男を小さな力ですが攻撃をしていました」
「攻撃? 私が?」
もう一人の自分とはいえ、そんな妖怪じみたことをしていたのかと、にわかには信じられなかったが、ドブ川色の鬼がちくちくと針で刺すみたいな攻撃をしてきていた、と言っていたのを思い出した。
「男を殺したいという思いを強めることによって、それは念となり、小さいながらも攻撃をするまでになっていたのです」
白鬼はティーカップを取り、ひとくち紅茶を飲んで、心地よさそうに、
「ふう」
と息を吐いた。どうやら気に入ったのは本当らしい。
「そのように心が分断したため、本来の陽子ともう一人の陽子の間には隙間がうまれていました、その隙間に入り込み、もう一人の陽子と契約し、陽子を自分のものにしようとして近づいてきたのが、そこの青いものです」
突然名指しされた青鬼の口もとはわなわなと震え、額からは脂汗が吹き出し、正座した膝に置いた手も小刻みに震えている。逃げたいが逃げられない、まな板の上の鯉とはまさにこの状況である。もはや、なにも考えることができなくなっていた。
「あんた、私を乗っ取ろうとか思っていたわけ?」
怒っているのではなく、青鬼に確かめるように、問いかけた。
「ひゃ…… ひゃい」
その場の重圧、といっても青鬼を包む空気だけが重すぎて声が出せないが、なんとか返事を絞り出した。
「もう大丈夫ですよ、今の陽子は一人です、自分の本当の気持ちを声に出して、大声で泣くことで、形作られようとしていたもう一人の方は消えました、隙間のないあなたを操ることができるものなどいませんから、安心なさい」
ドブ川色の鬼に操られたのも、心にできた隙間が原因であると教えた。
「あのとき私、死にたいって言ってた……」
確かにあのときはそう思った。操られることで本当は思ってもいないことが、自分の本心のように思えていたのは間違いない。
陽子は、あのままだと本当に自害したであろう自分を想像して身震いし、横で畏まっている青鬼をちらりと見て、視線を白鬼に移す。
陽子の気持ちを察した白鬼は、
「そのものは大丈夫ですよ、もう陽子に害をなすようなことはできないでしょう」
害をなすようなことはできない。この言葉の意味を必死で考えているのは、青鬼の方だった。
もうあかん。今からあの白い手で握りつぶされてお陀仏や。苦しそうやったなあ、嫌やなあ、もうちょっと楽にでけへんかなあ。
すっかり逃げることも、生きることも諦めた青鬼は、なるべく楽に消し去って欲しいと願い始めていた。
白鬼は意気消沈している青鬼に向きなおり、
「さて、帰りますよ」
青鬼は、放心した顔で白鬼を見た。
陽子が何かを制止するかのように、白鬼に向けて手をのばす仕草をした。
「あの……」
「心配いりません、このものを消したりはしません、しばらく私に仕えさせます」
白鬼は陽子の気持ちを読み取り、その不安を拭った。
青鬼は自分の耳を疑うようにまじまじと白鬼を見つめる。
「よいですね」
丁寧な言葉ながら、青鬼の首元を押さえつけるように言った。
青鬼は助かったという安堵の気持ちと、この後どんな処遇が待っているのかという不安が入り混じった表情で、
「――はい」
夕焼けの色も濃くなってきて、夜の帳が下りようという頃合いだ。母親が買い物から戻り、1階から2階の部屋にいる陽子に声をかけた。
母に届くようにドアの方へ向かって返事をし、部屋に視線を戻す。
もう、そこには二人ともいなかった。
陽子は今日一番の笑顔でテーブルに残されたティーカップをちらりと見て、さっと立ち上がると部屋を出た。
「ああ、お腹空いたあ」
母親に聞こえるようにそう言うと、階段を軽やかに降りていった。
物語を完結まで読んでいただき、本当にありがとうございます。この場を借りてお願いがございます。
ブックマークならびに広告下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけますと、次回作への意欲が湧き上がります。
私はあなた様の応援が三度の飯より好きです。
よろしくお願いします!
鳥居 結