3話
ビルの谷間にある公園。いくつかのベンチは近くにそびえるビルの陰になっている。
公園の片隅に青い煙が渦巻いたかと思うと、分身した青鬼が現れた。
「ここはどこや? さっぱりわからんけど、まあええわ」
木陰になっているベンチに座って、タバコをふかしている男に目を向ける青鬼。
ひょろっと背が高く、作業ズボンにポロシャツ。どちらも少し汚れが目立つ。
男は苛立っているのか片方の足を小刻みに動かしている。
「ちっ」
煙を吐いたその口で、舌打ちをした。
どこも禁煙で、やっと一服できると思って火をつけたら、周りの奴らこっちをじろじろと見やがって。ここも禁煙なのはわかってるんだよ! たばこを吸う奴が悪いみたいな目で見るな! くそ、あの事故のせいで俺の人生が狂っちまった。刑務所に入らずに済んだのはいいが、車の免許は取り消されて、会社はくび、全くついてねえぜ。
「おったおった、さっそく取り憑いて命の火をいただこうっと」
青鬼はそう言いながら男に近づいてゆく。
青鬼には陽子の時と同じように、その男の中にある炎が見えるようだ。
「陽子のやつより炎が黒っぽいなあ、こいつかなり欲深いやっちゃな」
男の中で燃える炎は、濁ったドブ川のような黒っぽい緑色だった。
こいつは死んでもええからな、たっぷり命の火をいただいて、勝手に弱っていってさよならや。
男の隣にちょこんと座り、財布を盗み取るかのように男の体に手を滑り込ませた。
その瞬間、黒いものが横切った。
なにが起こったのか、のばした青鬼の手は、手首から先が吹っ飛んだ。
青鬼はすぐさま後ろへ跳び下がり、男から距離を取ったが、もう目の前にそいつがいた。
炎と同じ、濁ったドブ川色の鬼だ。
あかん、油断してた。もう先客がいてるやないか。
ドブ川色の鬼の手から黒い煙でできた剣が伸びている。その剣を青鬼にためらいなく振りかざす。
青鬼は正面に青い炎を盾に変え、ドブ川色の放つ斬撃に耐えつつ、逃げる策を考えた。
が、盾はあっという間に切り裂かれ、黒い剣の太刀筋が上から一直線に走った。
やばいっ!
と、青鬼が感じたのもつかの間、真っ二つに裂かれた青鬼は青い煙となって風に飛ばされた。
青鬼を切り捨てた鬼は、その場をじっと動かず、目を閉じて辺りを警戒している。
「俺の獲物を狙うやつがいるとはな、どこの馬鹿かとおもったら、そういうことか」
その鬼は2体に分裂などせず、そのままの姿で黒い煙に包まれてゆく。
そのころ、陽子の部屋では青鬼が脂汗で額を濡らし、息を荒くして、
「やばい、あいつが来る!」
「誰が来るって?」
急に慌てだした青鬼に、ベッドでうなだれたままの陽子が気だるそうに目をやった。
「ドブ川やっ! ドブ川の鬼やっ!」
分身があっさりと敗れたことで、すっかり取り乱している青鬼に陽子が、
「なにわけのわからないこと言ってんのよ」
青鬼は陽子に説明する余裕など全くなく、頭の中ではどう逃げるかを考えることで一杯いっぱいだった。
「きたあああ!」
部屋の真ん中に黒い煙が渦巻いたかと思うと、公園でもう一体の青鬼を真っ二つにしたドブ川色の鬼が現れた。
「この女か、時々ちくちくと針で刺すみたいな攻撃をしてきてたのは」
ドブ川色の鬼も陽子の中にある憎しみの炎を見た。炎だけでなく、そこから公園の男に放たれる小さな攻撃にも気付いた。
「ふん、理由は知らないが、あの男に恨みがあるようだな」
「あの男?」
陽子は突然現れた鬼が、自分のことをいっているとわかった。
「ああ、俺が今取り憑いている男さ、事故のせいで人生が狂ったとかで、すっかり自分も狂ってしまった馬鹿な男さ」
あの男はもう駄目だ。あいつから炎を吸えるだけ吸って、俺はもっと野心のある奴に憑きなおすのだ。ああいう小物から大物に乗り換えて、いずれは人間の金持ちの生活を俺の物にする。この女と、青いやつもいただくとするか、弱い炎だが少しは足しになるだろ。
陽子は驚いたように目を大きく開いたかと思うと、ベッドでうなだれていた身体を、弾けるように起こした。
「事故…… お父さんの――」
ドブ川色の鬼は何かを察したのか、
「お前、あの男を殺したいんだな?」
陽子は答えなかった。
それを肯定ととらえた鬼は、
「だったら心配するな。いずれ死ぬ。俺が憑いているからな」
「違う! そうじゃないの!」
陽子は頭を左右に振り、両手で顔を覆い、小さく丸めた背中が震えている。
「死んでほしいなんて本気で思ってない! そう本気で思わない自分が嫌なのっ!」
顔を覆った手の中で叫んだ。
「お父さんをあんなふうにした人を許せないし、本当に憎いけれど、死んでほしいなんて思わないの……」
そのとき、青鬼は陽子の中で燃える炎が、青くどす黒いものから、オレンジ色のきれいな炎になっていくのを見た。
それでかあ、どおりで父親を死なせたやつを恨んでる炎にしては、どこか弱い気がしてたんや。本心やなかったんやなあ。
陽子はそんな青鬼の胸の内が聞こえたかのように、顔をあげ青鬼の目をみた。
目は真っ赤に充血し、赤く染まったほっぺたは涙で濡れている。
「信じられる? 自分の父親を死なせた人を殺したいと思うのが普通じゃない? 私はそう思えないの、これじゃあ私がお父さんを大切に思っていないみたいじゃない」
誰にも相談することができなかった胸の内が、嗚咽しながらも陽子の口から激しく溢れ出す。
「お父さんのこと大好きだったのに…… そう思っていたのに! それが全部嘘みたいじゃないっ! そんなの嫌だから、だから事故を起こした人を心の底から憎むように、――殺したいほど憎むように頑張ってるのよ!」
そのとき、顔を伏せ泣きじゃくる陽子に白鬼が一歩近づく。
「そうではないよ、陽子」
優しく透き通るような、きれいな女性の声だ。
「お、お前、なんや急に」
どぶ川色の鬼を警戒していた青鬼だが、突然白鬼が一歩踏み出したことに驚いた。
「なんだお前、そこにもう一体いたのか、ぼやっと薄い気配で気付かなかったぞ、後でお前も始末してやる」
どぶ川色の鬼は、白鬼に気付いていなかった。
部屋にいるもう一体の鬼に気付けなかった自分の感覚を疑うべきだったが、青鬼を一体倒した後だったこともあり、自分の強さを過信しているようだ。
何かを話そうとする白鬼の存在など微塵も気にかけず、陽子に手を伸ばす。