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クリスマスのウェイター

作者: 栗崎新

 大人になるにつれて、人はクリスマスプレゼントを貰う側からあげる側に移り変わるものだと俺は思っていた。幼稚園児の頃親父が、狸寝入りをしている俺の枕元に包装紙の箱を置いた時、俺は驚かなかった。これが仕事の一つなんだな、と納得しただけだった。


 二十七歳、市役所職員、未婚。俺はプレゼントをあげる側に移っている。だが、少し違う。あげる側には移った。あげているのは俺ではない。








  † 十二月 第一週 †







 しおりを適当なページに挟め、俺は本を鞄にしまう。同僚の女の子がなかば強引に勧めてきたものだ。人気俳優が書いたという触れ込みで話題になった小説だったが、中身がついてきていないように感じ、途中で読むのをやめた。本職を真面目にやってればよかったのに、とファンでもないのに思わず同情する。

 電車がゆらゆらと揺れる。座席の下に設置されている暖房のおかげで車内は暖かい。ポツポツと空席ができるほどに車内は空いていた。顔を上げ向かいを見る。街灯がスポットライトのように辺りを照らし、夜独特の明るさがあった。街路樹もライトアップされている。いつも以上にきらびやかな街並みだ。その景色は途切れることなく続いていく。電車が駅に近づく。

 人がごった返している改札をくぐり、俺は駅の出口から伸びている歩道橋を進む。ある焼肉店を目指していた。同僚が合コンの会場に指定したところで、そこで関田かんだ由美子ゆみこと接触する。俺は鞄から伝票を取り出し、今一度名前を確認した。約十センチ四方の青紫のクリップボードに挟まっている伝票には 『 関田由美子 』 の名前がある。下半分にはメモ欄のような黒枠があり、そこには黒文字が水面に浮いているインクの如く揺れている。 『 同僚の誘いに乗り、会場で接触しろ 』 今朝このクリップボードと紙が枕元に置いてあった時には、すでにこの文字が浮かんでいた。


 焼肉店の前に着く。毎月のように値下げのニュースで盛り上がっている全国チェーンの店で、安っぽさは否めない。店先にクリスマスツリーが飾ってある。その前で 「 これ欲しい 」 とねだる子供を親がなだめていた。サンタさんにお願いしましょうね、と母親が言うと、男の子は 「 サンタなんているわけないじゃん、フホウシンニュウはハンザイだよ 」 と反論した。

 どうだろうな。俺は内心で苦笑しながら自動ドアをくぐる。


 いらっしゃいませ、と駆け寄ってきた店員に同僚の名前を伝える。案内された座敷にはすでに男二人、女三人がいた。どうやら俺が最後らしい。遅れを詫びるわけでもないが、やや控えめに入った。関田由美子はどれだ、と俺は女三人を見やる。じゃあ始めまーす、とゴングが鳴る。





                    ††




 「 関田さん 」

 合コンは進み、それぞれの自由時間となったところで、俺はすかさず関田由美子に声を掛けた。後ろできつく結んだ黒髪と縁なし丸眼鏡は彼女の真面目な性格が表れているようだった。ハウスメーカーで事務処理をしているという。二十五歳にしては童顔の彼女は、カクテルを少し口に含むとすぐに頬が赤くなった。高校生が飲酒をしているようにも見える。

 とりあえず俺は 「 すいません、こんな安っぽい焼肉屋で 」 と詫びることにした。 同僚が勝手に指定した店だから、特に俺が謝る理由はない。しかし彼女に近づくためにはこうするのがいいと思ったのだ。いえ、こういうのが気が楽ですから、と彼女が言う。気を遣っているのではなく、心底そう思っているのだろうな、と俺は分析する。

 「 白井しらいさん、でいいんですよね 」 彼女が確認するように言った。自己紹介ではかなりアピールしたつもりだったが、それほど印象に残らなかったのだろうか。ここで関田由美子と何かしらの接点を持たなければ、これからの事に支障をきたすかもじれない。若干の焦りを押し隠し 「 合ってますよ 」 と精一杯優しい声を出す。

 「 白井さんって、誕生日いつですか 」

 彼女が質問してくる。特に大きな意味はないのだろう、と俺は正直に答えた。すると彼女が、いいなあ、と羨望が混じった声を出したので俺は 「 どうしたの 」 と聞いてみる。

 「 私の誕生日ってクリスマスなんですよ 」

 なるほど、と俺は思わず呟いた。要するに、クリスマスと誕生日の祝いが一緒に済んでしまうという事が気に入らないらしい。気持ちはわからなくもないが、そういう経験がない以上わからないに近い。

 「 でも今更この年になって、プレゼントを二つ欲しいだなんて思いませんけどね 」 諦めたように彼女が言う。

 「 じゃあ一つは欲しい? 」

 「 一つ半くらいは欲しいですよねー 」 彼女が上品に笑う。

 そうか、と俺は言いながら次に自分が発する台詞を準備する。俺の副業はこの言葉から始まると言ってもいい。

 「 じゃあ、クリスマスプレゼントは何が欲しいの? 」

 彼女がえっ、と拍子抜けした声を出した。この副業をやっていなかったら、こんな事は言っていない。もうこれを始めてから十数年が経つ。中学か、もしくは高校の頃が最初だっただろうか。






                   ††






 起きろ、という声がした。かなり野太い声だった。俺は寝ぼけていたのだろう、親父が起こしに来たと勘違いし布団から飛び起きた。

 布団から体半分を起こし横を見上げる。全身黒のスーツでビシッと決めている大男が目に入った。胸板が厚く、ガタイはよすぎるほどだ。スキンヘッドだったのでこの大男が親父でないことは明らかだった。目覚まし時計を倒しながら慌てて後ずさる。ひんやりとした十二月上旬の朝だった。

 「 白井しらいひかる 」 男が無表情で俺の名前を呼ぶ。声に抑揚がない。卒業式などで教諭が生徒の名前を読み上げる声のほうがよっぽど温かみがある。そしてこの男は 「 お前はウチと雇用契約を結ぶことになった 」 と低い声で宣言した。

 この男は何者なのか、なぜここにいるのか、さらに言えば、なぜ浮いているのか、と俺は混乱の真っ只中に投げ出されたのを覚えている。男の革靴と畳の間には十センチ程の空間が空いている。俺の様子を知ってか知らずか、男の言葉は続いた。 「 お前はウェイターとしてクリスマスを盛り上げる仕事をしてもらう 」

 聞いた事のある言葉ばかりだが、男の言いたいことがわからない。俺は 『 ウェイター 』 や 『 クリスマス 』 と言う単語から、とっさにレストランやホテルで行われるパーティーを想像したが、男が俺の考えを読むかの如く 「 違う 」 と低く唸った。一瞬ドキッとなる。男が 「 これだ 」 と紙を挟んだクリップボードを手渡してくる。

 「 お前はその伝票に書いてある人間の所に行き、クリスマスに何を欲するかを聞いて、お前はそれを参考にする。そしてその人間の 『 これからの人生で大きく影響を与えるモノ 』 を伝票に書き、提出する。締め切りはクリスマスのイブだ。そしてクリスマスにプレゼントがその人間に配達される。それで仕事終了だ。給与は、与えたプレゼントがどのくらいその人間に影響を与えたかによって総務の独断で決定する。詳しい事はその伝票を見ろ 」 男がクリップボードに挟まっている紙の注意書きを指差す。

 伝票に目を向けたが、読む気にはなれなかった。お前は誰だ? どうやってここに入った? 自分が置かれている状況が把握できない。

 「 俺の事を知らないからと言って、お前の不利益にはならないから安心しろ。侵入方法なら人間と同じだ 」 男が窓を指差す。 「 鍵が開けっ放しになっていた 」

 俺は一瞬ポカンとなったが、調子を取り戻そうとムキになる。 「 あんた何なんだよ、サンタのつもりか 」 と威勢良く言った。さっきから話についていこうとするが、なかなか追いつけない。追いつけ、追い越せ。

 男は面倒臭そうな顔をしたが、真面目に答えることにしたらしい。

 「 そう捉えても問題はない。ただ、私はサンタクロースそのものではない。人間が呼ぶそれは、いわばそういうシステムの総称。お前みたいなウェイターがプレゼントを決める。配達班がプレゼントを配達する。これがサンタクロースというシステムの流れで、私はそれに付随した業務を行うだけ 」

 「 わけがわからない 」

 「 少し現実を見せたほうがいいか 」

 男は人間離れした巨大な左手をぎゅっと閉じ、十秒ほど経ったのち手の平を上にしてゆっくりと開いた。そこには細長いチケットのような紙があった。それが自分がひいきにしている歌手のコンサートチケットだとは、すぐにわかった。男が 「 欲しいか? 」 とニヤリとする。俺は思わず首を縦に振った。

 「 お前はこういう業務の一翼を担ってもらうわけだ。プレゼントはこっちで用意するから、ウェイターは人間の願望を聞いてプレゼントを注文する 」 男が左手に拳を作り、チケットを握りつぶした。 「 あ 」 と俺は間抜けな声を出す。 「 それは、もらえないのか 」

 「 欲しければ働け 」

 「 なにを偉そうに 」 俺は最大限恨めしそうに言った。

 「 お前は選ばれたのだからもっと喜べ 」

 「 なんで選ばれたんだ 」

 「 ウチの幹部連中が選択権を保持している。どうやって選ばれているかは私もわからない。ただこれだけは言える。そいつらは人間のことが理解できてない。だから人間にウェイターをやらせる。人間に必要なモノがわかるのは、人間だけ 」

 俺は頬をつねりながら、どうしようか、と伝票を見つめる。伝票には氏名欄があり、そこには友達の氏名が印字されていた。その横には 『 配達物 』 という欄があり、こっちは空白だった。下半分には黒い枠で囲まれた箇所がある。

 「 そこの枠はメッセージ欄だ。通信班が各ウェイターに指示を送る。プレゼントの受取人との接触を促すのがほとんどだがな 」

 メッセージ欄には、電話を確認しろ、との文言がゆらゆらと揺れている。一体どうなっているんだ、と文字に触れてみるが、紙の感触があるだけだった。

 「 一年目はリハーサルを兼ねた腕試し。プレゼントの受取人も、お前が良く知る相手に設定されているはず 」

 「 拒否はできないのか 」 そう言いながらも俺は目をこすりながら、伝票の注意書きを読み始める。得体の知れないものに対する好奇心が押し寄せてくるのを感じた。

 「 拒否してる暇があるなら行動しろ 」

 何様のつもりだ、と伝票から顔を上げると、もうそこに男はいない。








                 ††







 友達が欲しがっていたゲームソフトを伝票に書いた。それが最初だ。

 クリスマス。抽選に当たった、と喜ぶ友達とそのゲームを楽しんでいると、急に財布が重くなる。明らかに硬貨が増えていた。その硬貨入れの中に 「 給与 ウェイター職 」 との小さな紙が入っている。以後友達がこのゲームソフトで遊ぶたびに俺の懐は重くなったが、友達がこのソフトを売却してしまうとそれっきり給与は入らなくなった。五千円に満たない一年目の給与だった。

 二年目、三年目とこなすうちにだんだんとやみつきになっていった。その中でわかったこともある。まず、プレゼントはいろいろな形で配達される。抽選の景品だったり、他人のプレゼントに紛れ込ませたり。偶然に近い形で届くパターンが多い。どうやっているかはわからないが、配達されるのは間違いない。

 もう一つ。受取人、つまりプレゼントを贈る相手のことを知る。これが高給取りの秘訣で、十数年間ウェイターの仕事をやってきた俺が出した結論だった。

 だから関田由美子が 「 この歳になってプレゼントなんて 」 と遠慮しても俺は引き下がらない。なにかあるでしょ、と彼女の本音を聞きだそうと頑張る。

 「 月並みなものなら 」 彼女の口がついに開いた。なに? と先を促す。

 「 才能とか、頭脳とか、そういうものなら。誰だって一度は欲しいものですよね。無理ですけど 」 

 俺は内心で肩をすくめる。残念ながら、 『 才能 』 とか 『 頭脳 』 、 『 命 』 といった実体のないものは注文できない。伝票に明記されている。そういうものは自分で磨けということだろうか。ちなみに 『 現金 』 も禁止になっている。人間社会の根源で、バランスが崩れるから、らしい。わかるような、わからないような、曖昧な説明だった。根拠がどこにあるのかはわからない。

 すみません、こんなものしか思いつかなくて、と彼女が申し訳なさそうに、また恥ずかしそうに言う。いや、面白い考えだな。面白くもなかったが、俺はそう答えた。

 今までいろんな人間の願望、欲望、希望を聞いてきたが、その中で一番多かったのは 『 金 』ではなく 『 才能 』 だったと思う。もう少し才能があったら、と夢見心地で語る人間がいっぱいいた。そのたびに俺は哀れんだふりをし、目を瞑ってきた。

 「 なんの才能? 」 と一応聞いてみる。

 「 まあ、そうですね、その、私事務なんで文才、とか、 」

 彼女がしどろもどろに言う。報告書や指示書などの文書をうまく書きたい、というのであれば、それは文才とはちょっとニュアンスが違う気もする。だが、もしかしたら彼女は広告作成などを担当しているのかもしれない。うまい宣伝文句を考えるには、それなりのセンスが必要だろう。そう勝手に納得し、なるほど、と頷く。

 ラストオーダーになります、と若い男性店員がやってきた。残り時間一杯だ。


 俺は考える。


 彼女のクリスマスを盛り上げるために、的確な注文をする。それがウェイターである俺の役割だ。そのためには、もう少し彼女を知る必要がある。そのためには時間がいる。幸いクリスマスまでにはまだ数週間あった。

 俺は彼女と携帯電話の番号を交換し、休日の予定を聞き出している。








     † 十二月 第二週 †







 俺の前には、ショーウインドウがあり、そこにひょうたんの形をしたつぼがどっしりと、貫禄を見せつけるように置いてある。他にも見渡せば、剥げかけた掛け軸や目、鼻、口が一本線で描かれているこけしなどが飾ってある。室内は展示品を照らしているライトがあるのみで、薄暗い。

 俺と関田由美子は美術館で時間を過ごしていた。彼女の出身大学が主催する考古学関連の展示会が開かれているそうで、時折大学の友達と思われる人から声をかけられることがあった。

 俺はひとまず関田由美子の恋人として振舞うことにした。関田由美子も同じ考えだったのだろうか。誰かと会うたびに 「 彼に迷惑かけちゃ駄目よ 」 であるとか「 お幸せに 」 などと茶化されたが、当の本人はまんざらでもない様子だった。照れて顔が真っ赤になる様子はやはり高校生に見える。


 「 関田君 」

 突然後ろから声がした。振り向くと、もじゃもじゃ頭の中年男だった。よれよれのスーツ姿だ。着ているだけで年老いて見えそうなみすぼらしいスーツだったが、温厚な馬面からは内面の若さや知的なエネルギーを感じさせる。もしかすると、と思ったのも束の間、関田由美子が 「 教授じゃないですか 」 と声を上げる。

 「 久しぶりだね 」 教授が関田由美子に挨拶をすると、俺にも頭を下げてくる。 「 どうも、小坂こさかです。歴史や宗教学なんかを教えております 」

 「 白井といいます 」 俺も頭を下げる。

 「 美人になったね、関田君 」 小坂が関田由美子に向き直って言う。歯が浮くような台詞だったが、気取った様子はない。

 「 教授もお元気そうで 」

 「 ま、そこそこね 」 小坂が微笑む。そこで思い出したように 「 そういえば君はまだ書いてるのかい 」 と言った。

 「 ええ、まあ、その、そうですね 」 関田由美子の歯切れが悪くなる。

 「 どこかの賞に応募してみた? 」

 「 いえ、それは 」

 「 君はそういうのいけると思うんだけどなあ 」

 「 別にいいんですよ。ただの趣味ですから 」 彼女は、どこかバツが悪そうだ。

 先ぱーい、と声が響く。関田由美子がすみません、と言い友人の所へ歩いていった。

 小坂が今度は俺の方に興味を持ったのか、話しかけてくる。

 「 もう彼女とはかなり経つのかな? 」 小坂は俺の事を恋人と認識したのか、そう言った。

 「 いえ、まだ数週間です 」 正確には一週間くらいだが、少々のサバ読みは問題ないだろう。 「 先程お話していた事は一体なんでしょうか 」 と聞くのを忘れない。

 「 知らないのかい? 彼女、趣味で小説を書いてるんだよ 」 小坂が懐かしむように続ける。 「 私も何度か読ませてもらったことがある。なかなかいいモノ持ってると思うんだけど、当の本人が腰を上げなくて。文学賞に応募してみたら、って言っても、無理ですよ、の応酬でね。さっきの様子だとあまり変わってないかな 」 小坂が溜息をつく。

 俺は一週間前の合コンを思い浮かべる。 「 文才が欲しい 」 とはこの事を言っていたのだろうか。目の前の霧が少し晴れたような気がしたが、まだもやは完全には消えなかった。

 「 ま、彼女のことよろしく頼むよ 」

 小坂が、それじゃ、と片手を上げる。と同時に、脇に挟んでいた何かが落ちた。小坂が慌ててしゃがみこむより先に、俺の目が落ちた物を捉える。それを見た時、俺は小坂との距離が急に近くなったのを感じた。小坂がそれを拾い上げ、そそくさと立ち去ろうとしているところを呼び止める。 「 すいません、ちょっといいですか 」

 「 どうかしましたか 」

 「 仲間ですね 」

 俺はジャケットの内ポケットから伝票を取り出す。これを持っているという事は、その人はまず間違いなくウェイターだ。二、三年に一度、俺は他のウェイターと鉢合わせすることがある。

 小坂は俺の伝票を見ると、パッと花開くように生き生きした顔になった。十歳は若返ったような無邪気な笑顔だ。

 「 なんだ、君もだったのか! 相手は誰なんだい? 」

 「 彼女です 」

 「 そうか、私なんか研究室の女子学生でね、何与えたらいいかなんて、てんでわからないよ。本人は就職先が欲しいだなんて言ってるけど、それは無理だしねえ 」

 「 実体がないものはNGですよね 」

 「 まあ、例外もないことはないけどね 」

 例外? と目を瞬いていると、アナウンスが聞こえてきた。小坂を呼んでいる。

 「 悪い、ちょっと行かなきゃならないようだ。この展示会は私が取り仕切ってるもんでね 」

 例外ってなんですか、と問いただす間もなく小坂が立ち去ろうとする。相当急いでいるようで、もう話は聞けそうにない。仕方なく携帯電話のアドレスを交換することにした。

 「 私は結構長くウェイターをやってるから、わからない事があれば遠慮なくね 」

 小坂が早口でそう言い残し、小走りで去っていく。例外とはなんだろうか。いろいろ考えてみるが、目の前の美術品が眠気を誘ってくるだけだった。ひとまず関田由美子を探そうと、俺は足を動かす。







      † 十二月第三週 †






 

 親しき仲には礼儀なし、なのだろうか。俺は、関田由美子との親密さに驚く。


 「 これ危ないんじゃないか 」

 自分の背丈ほどもある本棚を眺めながら、俺は関田由美子に尋ねた。棚の奥から二重三重に本が重ねられている。本棚の中に本棚があるような状態だ。賢い収納術、と言えば聞こえはいいが、小さな地震でも本がどどっと雪崩のように落ちてくるような感じはある。壁に固定してあるから大丈夫よ、と彼女は本棚とその後ろの壁に取り付けられたチェーンに目を向けた。確かにチェーンを使い、本棚を後ろの壁に固定してある。どこか頼りない。

 関田由美子の一人暮らしの部屋は、荒れていた。居間は七、八畳くらいだが、床に敷いてあるカーペット一面に小説や雑誌、伝記などが散乱しているせいで狭く感じられる。それらを整理する気は少しはあるようで、所々に同じサイズの本が四、五冊ずつ積み上げられていた。

 部屋の隅に真新しいデジタルテレビ、その隣に本棚、中央には実家から持ってきたという茶色のテーブルとこたつがあった。梯子を登るとロフトがあり、そこに布団が敷いてある。もう深夜に近かったので窓際のカーテンは閉めきってあった。


 「 やっぱり収納ケースみたいなものがあったほうがいいですよね 」

 「 そうだな 」 俺は頭の片隅に収納ケースと入力する。これも彼女が欲しいものの一つだろう。だが、伝票に書くには不適切だと俺は即座に決め付ける。

 欲しいモノと必要なモノ。この二つにずれがあることに気づいたのは最近のことだ。あくまで伝票に書くのは、その人に影響を与えるモノ、言いかえればその人に必要なモノ、とも考えられる。欲しいモノではない。今回がいい例だ。収納ケースがやってきても、彼女は喜ぶかもしれない。だが本を収納して、部屋が少しだけ綺麗になって、それで終わりだ。その場かぎりの喜びを与えるモノが一番給与が低い。よって伝票に書く類ではない。


 「 そういえばこの前の美術館の時に小坂教授から聞いたよ。小説書いてるんだってな 」 今日、彼女の部屋に来た目的の半分はこれと言ってもいい。俺は小説から始まり、ビジネス書や広報などなんでも読む。読みたくないものも読む性分だ。だから彼女の小説が面白くなかろうと、読みづらいものであろうと、読めないものであろうと、読む。絶対に、読んでやる。

 「 そんなこと話してたんですか。下手ですから、とても見せられるものじゃないですよ。それに恥ずかしいですから 」

 予想通りの答えが返ってくる。恥ずかしいから見せられない。俺は用意していた言葉を口にする。

 「 自分の裸は見せられるのに? 」

 それとこれとは、と関田由美子は言い訳を小出しに吐き出す。ロフトに敷いてある布団の上で、俺と関田由美子は体に何も身に付けていない。 「 体は許して小説は許さないって、なんか変な感じだなあ 」 と白々しい追い討ちをかける。

 「 もしかして白井さん、それ言う為にこんなこと 」

 「 いや、誘ってきたのはそっちだろう 」

 そうでした、と彼女の顔が赤くなる。どうやらそこの記憶はあるらしい。

 家に着くと俺と彼女は、お互いにアルコールを飲みながら他愛ない話で談笑していた。次第に彼女の目が虚ろになり、効き目が出てきたな、と俺は何事もないように見ていた。彼女がぐっすり眠り込んでいる隙に小説をこっそり拝見しようという計画だった。が、そうはならなかった。俯いた彼女が急に衣服を脱ぎ出したのだ。ゆっくりと、しかし確実に彼女の素肌が露わになっていった。全然効いてないじゃないか、と睡眠薬を恨んでいる間も、彼女は無言で下着も脱いでいく。最後に丸眼鏡を外した彼女はこちらに顔を向ける。そこには、童顔で高校生の雰囲気は微塵もなくなっていた。こんな顔ができるのか、と俺は驚嘆するしかない。いつの間にか俺も服を脱ぎ始めていた。



 「 そんなに見たいですか 」 彼女がシーツで体を覆いながら、言う。最後の抵抗を試みているようだった。

 「 ぜひ、見たいな 」

 なるべく意地悪に見えないよう、俺は真剣な口調と真剣な眼差しを作り、彼女に送った。今は関田由美子の裸体よりも、小説の方が幾分気になる。

 彼女は観念したのか、ぶつくさ文句を言いながらシーツを脱ぎ捨て、梯子を降りていく。服を着ようよ、と彼女の下着と服を手渡すが、もうどうでもいいようで、せっせと降りていく。






                  ††






 あぐらを掻いてテーブルの原稿をむさぼるように読み尽くす。横で関田由美子が不安そうにこちらの様子を窺っていたが、最後のほうは原稿に釘付けになり、彼女の存在を忘れかけたほどだ。


 簡単に言えば、彼女の小説はなかなか様になっていて面白かった。高校の特進学級の生徒達が、国際政治の腐敗に不満を持ち始める。我慢の限界に達した生徒達は世界征服を成し遂げるため、各国に戦争を仕掛けるというSF小説で、数週間前に同僚の女の子から借りた小説よりずっと読み応えがあった。素人が言ってもあまり説得力はないだろうが、少なくとも文学賞に応募してみる価値は充分にあると思った。

 「 賞に応募したりしないの? 」

 「 どうせ無理ですよ 」

 「 試しに 」

 「 試しに応募するものじゃないですよ 」 彼女が頑なに拒否をする。

 俺はもったいないと思った。ウェイターとして出会った人間の中には、何かに挑戦し、そして失敗し、 「 才能がない 」 と愚痴を吐く奴が幾人もいた。そういう人に比べれば、まだ希望があるような気がするのだ。これは十数年ウェイターをやっている勘だ。


 そして勘が働いたついでなのか、そこで一つ思いついた。


 俺の中でプレゼントの候補が一つ上がったのだ。だが、果たして受理されるだろうか。


 「 実体がないものはNGですよね 」

 「 まあ、例外もないことはないけどね 」


 あの時のやり取りを思い出す。実体がない、 『 例外 』 のプレゼントの目星がついたような気がして、そして彼女にとって、それが一番刺激を与えるプレゼントになるような、そんな感じがするのだ。確認のため小坂と話がしたい。頭の中でスケジュールを確認する。


 考え込んでいると 「 それより 」 と彼女が話題を変えてくる。すると、彼女が裸のまま俺の懐に飛び込んできた。後ろに倒れそうになるが、なんとか踏みとどまる。

 「 白井さん、前に 『 クリスマスプレゼント何が欲しい 』 って言いましたよね 」 彼女が俺の首に手を回し、顔を近づける。彼女は目がトロンとして、口も半開きだった。少しどぎまぎしながら俺は 「 確かに言った 」 と答える。

 「 私、欲しいものあります 」 彼女は囁くように言うと、俺を押し倒した。バランスを崩した俺は仰向けになる。すぐに双方の唇が重なった。いつの間にこんな仲になったのだろう、とその急速な発展に戸惑うが、悪い気はしなかった。

 ふと思う。

 この積極性がもっと積極的に外面に出れば、彼女の人生も大きく変わるに違いない。俺が注文する品は、果たしてそれを促してくれるだろうか。


 体中に快感が駆け巡り、同時に彼女の温もりが全身に伝わってくる。もう何も考えられなくなった。









      † Eve のイヴ †








 俺は彼女のアパートの駐車場に車を止め、トランクからよいしょ、とダンボール箱を一つ降ろした。その表面に雪のかけらが落ちて、滲んでいく。

 ちらほらと降っていた。積もるほどの勢いはない。夜の闇に溶ける雪はなかなか幻想的だ。周りは静かな住宅街で、これがまた聖夜の雰囲気を作っている。今日は聖夜ではないが。とにかく、いつまでもこの空気に浸っているわけにはいかない。

 事を終わらせなくてはならない。俺はコートから伝票とペンを取り出す。雪が伝票の上にポツポツと落ちて滲んだが、その跡がすぐに消え去る。 『 締め切り、明日夜十一時 』 という文字が下の黒枠にゆらゆらと動いていた。

 俺は配達物の欄にペン先を置く。頭の中で最終確認を行う。




                  ††




 俺の考えを説明すると、小坂は、よく気づいたね、と感心するような声を上げた。 「 君の推測は大当たりだよ 」

 「 彼女に相応しいものだと思うのですが 」

 「 そうだね。未知数だとは思うけど、悪くない 」



                  ††



 俺は今までウェイターとしてさまざまな人間と接してきた。その中には、何かに挑戦し、そして失敗し、 「 才能がない 」 と愚痴を吐く奴が幾人もいた。

 彼女はまだ何も挑戦してはいない。才能があるのかないのか素人にはわかるはずもなく、またあったとしても必ず成功するとは限らないのが、才能を必要とする世界の厳しいところなのだろう。だが、彼女はまだ何も挑戦してはいない。このプレゼントが彼女の重い腰を上げるきっかけにならないだろうか。彼女の積極性を引き出すきっかけにならないだろうか。それに、小説のネタにもなりそうな気がする。


 俺は伝票の配達物の欄に 『 ウェイターの資格 』 と書き込む。資格や免許などは実体がないから普通は受理されない。だが、小坂によるとこれだけは違うらしい。ご都合主義、と小坂は苦笑していた。本当にサンタか、とお互いに笑いあった。

 書き終えると俺は右手でスナップをつけて伝票を軽く宙に放り投げる。伝票は空気に溶け込むようにスッと消えた。どうやら受理されたらしい。

 彼女はこれからどうなるのか。挑戦、失敗し、玉砕した人々を見て、臆病風に吹かれるのか。自分も玉砕覚悟でやってみようと、決意を固めるのか。

 前者だな、と俺は思う。俺が彼女なら、前者だな。


 だが、できれば彼女自身は後者であってほしい。気づけば、損得勘定抜きで願っている自分がいた。

 

 さてと、と一息ついた俺は足元のダンボールを担ぎアパートに入っていく。ダンボールの中は本の収納ケースだ。インテリアとしても使えそうなものでそれなりに値は張ったが、買うことにした。彼女は言っていた。 「 私の誕生日ってクリスマスなんですよ 」


 今年は彼女に誕生日とクリスマス、両方のプレゼントが贈られることになる。彼女が欲しいモノと彼女に必要なモノだ。なにを偉そうに、と過去の自分が生意気に語りかけてきそうな気がした。


 二十七歳、市役所職員、未婚。俺はクリスマスプレゼントをあげる側に移っている。

 ファンタジーっぽく書いてみました。ファンタジーっぽさが欠いております。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言]  いや~面白かったです。  テンポの良い展開で、話にぐいぐい引き込まれていきました。細かい構成もよく考えられているようで、全く無理や無駄がないです。素晴らしい。
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