バッグ・グラウスのサインはまだ貰えていない:and return to everyday life
一面に広がった田んぼ。若い稲が風に揺れ、柔らかく青々とした匂いが鼻をくすぐる。
ヒバリの鳴き声が耳に届き、俺は足を止めた。
車いすに乗っていたアイラが口を開く。
「美しいところね」
「……そうだね」
その言葉に嘘はなかった。
だから、アイラは何が美しいと思ったのだろう。その魔力しか視れない瞳はどんな景色を映しているのだろう。
はたまた、景色ではなく、視覚以外の感覚が捉えたそれを美しいと言ったのだろうか。
少し、気になった。
アイラが何を美しいと思うのか気になるのは、好奇心故か、もしくは。
考え始めると思考の坩堝に落ちてしまいそうで、だから俺はただただ頷くことしかできなかった。
アイラはチラリと後ろを振り返って俺を一瞥し、少し間をおいてからポツリと呟いた。
「ハティアお姉さまは何をしたかったのかしら……?」
「……たぶん、色々だよ。色々」
自称魔王を祓い目を覚ました時には、ハティア殿下は姿を消していた。
代わりに置手紙がおいてあり、一足先にエレガント王国に戻っているという旨が記されていた。
だから、詳しい事情はまだ分かっていない。
けれど、目を覚ました直ぐ後に、ロイス父さんとアテナ母さんのそれぞれから生まれたての大魔境と魔王を倒したという知らせが届いた。
ついでに、ロイス父さんからは追加として、それらを企てた〝魔の救済〟という組織を壊滅させたとも。
そしてそれを為したのは、エドガー兄さんとグラフト王国の第二王子だったらしい。
エドガー兄さんの今回の家出の目的は、〝魔の救済〟の壊滅だったとか何とか。詳しいことはまだ分かっていないらしい。
また、ロイス父さんとアテナ母さんの知らせによれば、姿を直接確認はしていないが、ハティア殿下とバックグラウスの痕跡があちこちにあったらしい。
つまり、ハティア殿下も暗躍していたというわけだ。
なんのために、と問われれば、〝魔の救済〟の企てを阻止するためだったと考えるのが自然なのだが、なんとなくそれだけではない気がする。
言葉を交わした回数はそうないけれど、彼女は多角的に動く人なのだと思う。つまるところ、一つの行動で複数の目的を達成する人だ。
正直、今回の件の全容も把握できていないので、結論は出せない。というか、考えるのも面倒だ。
なので、国に帰ってから調査やら何やらを終わらせて全てを把握しているであろうロイス父さんたちに聞けばいい。餅は餅屋である。
そう面倒なことは丸投げだ、と思っていたら、アイラが悔しそうに右手を握りしめた。
「……私がもっと強ければ」
「アイラは強くなりたいの?」
「……どうでしょう。けれど、強ければ、ユリシア様が力を失うことも、彼女たちが傷つくことも、そしてセオ様がその……」
アイラがチラリと申し訳なさそうに俺の顔を見やった。
俺の顔は狐だった。
いや、比喩でもなく、普通にチベットスナギツネの顔なのだ。
神獣の加護を使って魔術人形を作ったのが悪かったらしい。
クラリスさんがいうにはちょっとした呪いで、数日は狐の顔だそうだ。
そのせいもあってか、ご飯は食べづらいし、匂いがきつく感じるし、ちょっとした人の声も煩く感じてしまう。
困ったことが多い。
特に一番困ったのは。
「……アイラ。その触ってるよ」
「あっ! す、すみません!」
無意識にアイラが顔を撫でてくること。顔のモフモフがいいとか、なんとか。ともかく、色々と困っている。
けれど。
「確かに強かったら、よかった。俺も今回の件でもっとうまく立ち回れたと思ったりもするよ。アイラたちが自称魔王に飲みこまれる前にアイツを倒せていたら、静とサクラを呪っていた力を簡単に祓えていたら。まぁ、力があったほうがよかったよ」
「セオ様……」
俺の言葉はそっくりそのまま、アイラの本音でもあるのだろう。自分が強ければ、もっとよかったと。
「だけど、俺は強くなるのは面倒なんだ。こう、辛いのは苦手というか」
「……へ?」
「いや、ね。いつもマキーナルトの訓練とか参加する……正確にいえば参加させられるんだけど、ほんと疲れるし、痛いし、辛いんだ。俺はそんな気持ちになってまで、強くなりたいとは思えない」
結局、強さは、力はそれなりに痛い思いをしないと身につかない。突然、降ってわいた〝何か〟があったところで、それが何かの解決になるわけでもない。
一応多少は苦労はしているので、その〝何か〟はちょっとしたチートといえるくらいにはなっているけれど。
赤ちゃんの時に魔力操作と魔力増幅の訓練しててよかったぁ……と思うくらいである。
なんか、あのときって頭のネジぶっ飛んでたんだよね。たぶん、暇すぎたのが問題だったんだろうけれど。
ともかく、今だととあんな訓練はあまりできない。
まぁ、やる気がなくてもロイス父さんたちが強制でやらせてくるのだが。
俺の発言を聞いて目を真ん丸にしたアイラに、俺は苦笑した。
「アイラがどう思っているかは分からないけれど、俺は面倒くさがりで駄目な人なんだ」
「そんなわけはっ……」
「そうなんだ。今回の件だって、お米が食べたいのとバッグ・グラウスのサインが欲しいと思ってここに来ただけだし」
性分として、真剣に物事を考えることに向いていないのだ。のんびりと、自分勝手にしたいと思ってしまう、性分なのだ。
「だけど、そんな俺でも家族には、友達には、周りにいる人には笑っていて欲しい。なるべく、不幸に悩んでほしくないと思う」
今回の件を不幸だと考えたアイラは悩んでしまった。あまり笑ってくれない。
ちょっとそれが悲しい。
「だから、俺はモノを作るんだ。俺が強くならなくてもいい。誰かが俺の代わりにそういう不幸を取り除いてくれるために、モノを作ったり、なるべく世の中に為になる知識や知恵を究めたりする。アイラに義手を作ったりしているのも、そうだ。俺のために、俺が楽するために、そうしている」
今まで色々と取り繕ってはいたけれど、俺の行動原理の本質はたぶん、ここだ。
楽するために、楽しむために、生きている。苦労しないで、生きたい。知らない誰かに嫌なことを解決してもらいたい。
情けないところを見せているようで、小っ恥ずかしいけれど、俺はアイラに微笑んだ。
「ね、俺は面倒くさがりで駄目な人でしょ?」
「セオ様……」
アイラは戸惑ったように、悩む様に、眉を下げた。
それから少し考える仕草をしたあと、へにゃりと笑った。
「セオ様。私も、たぶん駄目な人なのよ」
「へ?」
「だって、私は今回、エレガント王国ために、ハティアお姉さまを探すためにヒネ王国に来たわけではないの。ただ、私でも、国の役に立てると……セオ様に自慢できる功績が欲しくて、ヒネ王国との開国交渉に来たのよ」
それに、と秘密を告げるように言った。
「私もバッグ・グラウス様のサインが欲しかったの」
「なら、似た者同士だね」
くすり、と俺たちは笑った。
アイラが笑ってくれた。
「セオ様、ありがとう。少し迷いが晴れたわ」
「俺は何もしてないよ」
「ううん。そんなことはない。もう返しきれないくらい、たっくさんしてくれる」
……なんか、恥ずかしいな。本当に何もしていないんだけど。
「こほん。それより、アイラ。いこうか」
「……そうね」
今日はアイラがエレガント王国第三王女として、ヒネ王国の姫たる静と会談する日。
二人で城下町を練り歩き、ヒネ王国とエレガント王国の国交樹立のヒネ王国の国民に周知させるのだ。
ただ、その前にアイラに田園風景を見せたくて、俺はこっそりアイラを城から連れ出したのだ。
俺がこの国に来て涙を流した景色を見せたくて。
アイラが俺と同じ景色を見れないとは知っていながら連れてきたのは、ただのエゴなのだろうけれども。
「セオ様」
アイラが俺の手を握った。
「今度ここに来たときはセオ様に私が見ていた景色を見せたいの。だから、国に帰ったら以前言っていた私の眼の研究をしましょう。私のために、セオ様に苦労してもらうわ」
「そうだね。俺も俺が見ている景色を見せたいから、アイラに苦労してもらうよ」
収穫祭の時の約束をまだ果たせていなかった。
だからもう一度俺たちは約束して、田園をあとにした。
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