一人目の勇者は二人を助け、二人目の勇者は守り……:アイラ
少し長くなりました
「貴女は……」
初めて視た人の貌には目も鼻も口もなかった。
アイラは呆然としながら、目の前の黒髪の少女を見やる。
背丈からして、アイラの一つか二つ年下だろうか。民族服と思しき見たこともない衣服に身を包んでいる。落ち着いた色合いの服は、けれど見ただけで一級品と分かる。
また初めて髪を見たけれど、それでも鈴を下げた髪飾りでまとめられた黒髪の艶めきなどをみれば、彼女が高い身分のものだと分かった。
そして彼女は自分に似ていた。身にまとう、いやその身に宿す魔力の雰囲気が。
とても親近感を抱いた。
彼女がゆっくりと立ち上がりながらアイラを見た。
「だいじょう……っ、足が怪我をっ!」
慌てて駆け寄ってきた彼女にアイラは首を横に振る。
「大丈夫ですよ。これは元からです」
「っ、すみません」
「気にしないでください」
アイラはにっこりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。
「あなたこそ、怪我はないかしら?」
「は、はい! それで……あなたは」
相変らず目も鼻も口も、貌にあるはずのパーツが一つもないから表情は分からない。しかも、感情を映す魔力もハッキリとは視えない。
けれど、その不安と焦りに震えた声音にアイラは背筋が伸びる気がした。
柔らかく安心させる様に微笑みながら、アイラは右手でちょこんとスカートを摘まんで、カーテシーをする。
「初めまして、アイラ・S・エレガントと申します。アイラ、と呼んでください。貴女のお名前は?」
「……静。龍神静と申します」
黒髪の少女、静が名乗ったのと同時に。
『探せぇ!! 見つけろぉお!!』
「ぇ……」
「っ」
おどろおどろしい瘴気と共に、ラート町の中心からおぞましい叫び声が聞こえた。
例の存在だ。
それは目の形をした小さな瘴気の塊を空に沢山放ち、アイラたちを探す。
静がガタガタと震えて小さな声を漏らすのを聴いて、アイラは静の手を掴む。
(あの船にはリーナやクラリス様もいた。船員も。なのに、皆の気配が感じられない)
船員はともかく、リーナやクラリスがこの記憶の世界にいれば直ぐにアイラを見つけるだろう。
二人にはそれだけの実力もある。信頼も。
だから、逆にいえば二人はここにいないか、もしくはこれないところにいる。そして目の前の静は、あの時船には乗っていなかった。
考えるに、あの瘴気の存在がアイラと静だけをここに呼んだのではないかと思う。それがなんとなく正解な気がする。
ならば、何故?
それは当然、あの瘴気の存在が口にしていた『贄』。
つまり、あれはアイラたちを欲している。探している。
だから、逃げなければならない。この小さな女の子は絶対に守らないといけない。
アイラは掴んだ静の手を引っ張り、走り出す。
「静様。こちらに――」
けれど、力が抜けたのかガクンと膝から崩れ落ちる。
「あ、アイラ様。大丈夫ですかっ?」
「っ、どうしてっ」
先ほどまでは片足で走れていた。現実ではありえないけれど、記憶の世界のここでなら可能だったはずだ。
今もあの時の記憶を強く想いだしている。できないはずはないのだ。
なのに、アイラはもう走れない。先ほどまで感じていた万能感は消え、ただただ冷たい現実がひたひたと足を蝕む。
そしてアイラは気が付く。
周囲の景色が変わっていることに。
確かにこの場はあの時見たラート街だ。
けれど、それとは別にところどころに木々が生えていた。そしてそれはゆっくりと領域を広げ、直ぐに街は森に飲みこまれてしまう。
(そうです、ここは私だけの場所ではないっ)
あくまでここはあの瘴気の存在の記憶の世界。
先ほどはそれを利用して、アイラの記憶で世界を上書きしていただけ。それはアイラだからできたわけではない。誰だってできることだ。
なら、この世界は静の影響も受ける。片足がない人は走れないという常識ももちろん。
けれど、アイラは直ぐに思考を切り替えた。
軽く手を振り、人が乗れるほどの細長い岩を魔法で創り出す。
「さぁ、この岩に乗ってください!」
「えっ」
混乱している静を岩で作った魔力の手で掴み、細長い岩の上に座らせた。そして自分も這うようにその岩に昇り、静を抱きしめるように座った。
「しっかり掴まっていてください。舌は噛まないようにっ」
〝念動〟と土魔法で岩を浮かせつつ、風魔法で岩に噴射点を作って、その場から離れようとして。
「あ、アイラ様っ! 待ってください!」
静が周囲に結界を張ったことで、それは叶わなくなった。
無詠唱で強力な結界を張った静に驚きつつ、アイラはできるだけ優しい声音を心掛けて尋ねる。
「静様。何か、あるのですね?」
「……申し訳ありません。けれど、わたしはあの子を、サクラの手を握らなきゃいけないのです。あの子は絶対に一人にはできないのです」
静はラート街の中心を見やる。
アイラから見ればその目は見えないが、けれど確かにあるのであろう静の目には強い覚悟があることがアイラには分かった。ここで逃げようと言っても、静は聞かないだろう。
アイラは冷静に尋ねる。
「大切な人なのですか?」
「……はい。わたしの、大切な親友です。だからこそ、守りたかった。あの子の守るためなら、妖魔王とだって契約した。守るべき民の命すらも天秤にのせたっ」
静の声音に深い怨みが宿っていく。
「けれど、間違っていた。妖魔王は結局、約束を破った。当然です。人を人とも思わない化け物が約束を守るわけがない。わたしは騙され、サクラもあの姿になってしまった。わたしが終わらせないと――」
「静様」
「っ」
酷く苦しく哀しく自分を怨んでいく静をアイラは優しく抱きしめた。
この子にそんな辛い思いはさせてはいけないと、強く思う。
アイラは強く優しく微笑んで尋ねる。
「静様。貴女はサクラ様を助けたいですか?」
「………………はい」
静は迷いながら、それでもアイラの微笑みに気圧されるように頷いた。心からの叫びでもあった。
だからアイラは頷いた。
「分かりました。なら、私がどうにかします」
「え」
あの時から、アイラの脳裏にはいつも彼がいる。
彼ならたぶん、こうする。
昏い悲しい気持ちとか思い出はちょっと脇において、ただただ目の前に困っている人がいれば希望を見せてくれる。必ず助けてくれる。
優しくて、抜けていて、ちょっと傲慢な彼。
たぶん、アイラが思い描く彼は、本当の彼ではないのかもしれない。理想で幻想なのだろう。
そもそも、アイラはそこまで彼と関わっていない。手紙でやりとりはしていたものの、話した時間はほんの僅か。
だけれども、その僅かな時であれだけ自分の心を救ってくれたのだ。
だから、彼ならきっと目の前で困っている女の子を、静を助ける。想像もできないことをして有無を言わさず、ハッピーエンドにするだろう。
それだけは絶対だ。
だから、アイラもそうする。
『見つけたぁああああ!!』
空に浮かんでいた瘴気の目が一斉にアイラたちを見下ろす。そして目からおぞましい瘴気の弾丸を放つ。
すべての魔力を見通すアイラは直感的に理解する。
(触れたら、駄目ね。アレは魂そのものを縛るもの)
無数に放たれる瘴気の弾丸に少し眉をひそめつつ、アイラは魔力を練り上げる。
「飛ばします」
「えっ」
乗っている岩の後方に風魔法で噴射点を作り、アイラは風を放った。
すれば、岩は豪速で直進する。
「ひゃあああああああああ!!」
もう周りはラート街ではない。全てが虚ろな空間。
物凄い速さで翔る岩に乗る静の悲鳴を聞きながら、アイラは空から降り注ぐ瘴気の弾丸を一つ一つ正確に把握する。
行く手を阻む様に、瘴気が集中的に降り注ぐ。
「舌を噛まないように、我慢していてくださいっ」
「んにゃっ!?」
岩の横にも風の噴射点を作り、アイラは急カーブする。同時に小さな〝無障〟をいくつも展開して、追尾してくる瘴気の弾丸を防いでいく。
それを見て、というよりは舌を噛んだ傷みでようやく混乱から我に返った静は、すっと雰囲気を変えてシャンと鈴の音を響かせる。
瞬間、薄桃色の花弁が現れてアイラ達を守るように渦巻き、瘴気の弾丸を防いでいく。
アイラはその薄桃色の花弁から感じる力にとても惹かれるものを感じながら、ぎゅっと唇を噛みしめて少し遠くに見えるサクラを正眼に捉えた。
「静様。少しだけサクラ様の意識を逸らすことはできますか?」
「……できます。やりますっ」
「よろしい。なら、このままサクラ様に突っ込みます。安心してください。必ず貴女も、そしてサクラ様も助けますから」
アイラがぎゅっと静を抱きしめて力強くそういえば。
「……ありがとうございます。アイラお姉さま」
「え。お姉さま?」
「あ、ち、違うのです。これは、なんか勝手に口が……」
静はワタワタと手を動かして、慌てる。
その様子にアイラは小さく吹き出した。
「お姉さま。ええ、私がお姉さま……悪くないです」
末娘なので誰かに姉と呼ばれることがなく、案外アイラはその呼び方を気に入った。
また、今静を守り助けようとする気持ちは、妹を助けようとする姉の気持ちなのではないのかとも思った。
アイラはニッと笑い、それからその身に宿す魔力を湯水のごとく注ぎながら、更に加速する。
それは既に音の速さにすら迫っていた。
「っ、ぼ、僕を守れッ!!」
瘴気の存在――サクラは音の速さで突っ込んでくるアイラたちに驚き、慌てて目の前に瘴気の壁を生成する。
「邪魔です」
アイラが凜と言えば、途方もないほど膨大な魔力が瘴気を押しつぶす。
そしてアイラと静はサクラに向かって岩から飛び出して。
「サクラ!! もう貴女を一人にはしません!! だから、お願い! 私の手を握って!」
「っ……ぼ、僕は皆を食べて、一緒に……ボクは、違う。そうじゃないんだ……ただ、シズカがいれば」
意識が混濁したかのように、暴れるサクラに静は手を伸ばし。
「……視えました。アルさんたち。力を貸して」
「アルル!」
「リュネ!」
「ケン!」
そしてアイラは胸元から顔を出したアルたちから神聖魔力を借りて、右手に小さな魔力のナイフを創り出して、サクラを切り裂いた。
瞬間。
「サクラッ!!」
切り裂かれたサクラは、おどろおどろしい瘴気の塊と薄桃色の和服に身を包む少女の姿に別れた。
静が少女を強く抱きしめる。
(やはり、サクラ様は瘴気の化け物に憑りつかれていたのね)
生き物は必ず圧縮された魔力の塊、核みたいなものを宿している。
アイラはそれが魂ではないかと想像しているのだが、一番最初にサクラを見た時、その核には瘴気以外の別の魔力が僅かにだけ混じっていることに気が付いた。
普通はそんなことはない。
だからこそ、アイラはそれが気になり、サクラの核を注意深く観察した。
そうすれば、サクラの核は二つの核が交じり合ってできたものだと分かった。
一つはサクラ本人の核。
そしてもう一つは。
「……以前、クラリス様から聞いた覚えがあります。瘴気を生み出すことのできる魔物……魔王を」
魔王の核。
「アルさんたち。もう一度力を貸してください」
アイラは魔力を練り上げて、その魔王の核を消滅させようとして。
『返せぇえええええええ!! 僕の器ぁああああ!!』
「ッッ」
魔王の核が突如として膨れ上がり、巨木となる。
アイラは慌てて練り下ていた魔力を光線として放つが、巨木の一部を削るだけにとどまり。
「静様っ!」
「っ」
瘴気の巨木はサクラを抱きしめる静に瘴気の枝を振り下ろす。
それはとても早く、先ほど魔法を放ってしまったこともあってアイラの魔法の展開速度では間に合わない。当然、駆け寄ることもできない。
(どうすれ――ッ!)
焦ったアイラは、しかし胸元のアルたちを目端にとらえた。ある約束を思い出す。
そしてその名を呼んだ。
「ユリシア様ッ!」
すれば。
「よくやく暴れられるわ!!」
雷と炎をうねらせながらユリシアが現れ、瘴気の巨木を切り裂き、静たちを守ったのだった。
いつも読んで下さりありがとうございます。
面白い、また少しでも続きが気になると思いましたら、ブックマークやポイント評価を何卒お願いします。モチベーションアップにつながります。
また、感想があると励みになります。