貴方は優しい逃避行さえくれた:アイラ
「……アイラ? どうしてここに?」
「っ、セオ様っ!?」
海岸に流されたアイラは、突如として岩の影から現れたセオに驚く。
セオはゆっくりとアイラに近づく。
「服もボロボロで、傷だらけだ。何があったんだ?」
心配するように優しくアイラに声をかけたセオに。
「……誰ですか、貴方は」
アイラは睨みをもって応答する。
(……魔力は一緒。けど、絶対にセオ様じゃない)
その眼が捉える魔力はずっと脳裏から焼きついて離れないセオの魔力だった。
けれど、声音も口調も雰囲気も。呼吸の仕方や歩き方まで。
彼の柔らかく、少し抜けた部分が薄くなり、まるでどこかの王子様のような凛々しさがそれらにはあった。
つまり、目の前の存在はセオに似た誰かだった。小さな違和感が沢山あった。
「…………どうしてかな? 君の記憶の通りのはずなのに」
「……そう」
セオ……いや、セオを偽る何かの言葉にアイラはきゅっと口を結ぶ。
つまるところ、今、目の前の存在から感じる違和感は全て、アイラの記憶が生み出した幻想のようなもの。
その幻想に心当たりがあって、羞恥心と嫌気がアイラの心をチクチクと指す。穴があったら入りたい気分だ。
(……って、こんなことを考えている場合じゃないわ!)
目の前の存在は偽物だと見破られたにも関わらず、そう慌てた様子はなかった。
「まぁいいや。ともかく、君には僕の贄になってもらうよ。ここまで来てもらったんだからね」
「ッ!」
目の前の存在から心胆を寒からしめるほどの邪悪な気配が溢れ出た。それは瘴気だった。
手を形どったその瘴気はジリジリとアイラに近づく。
冷静さなどなかった。ただただ、恐怖がアイラの胸中をしめる。
アイラは咄嗟の思いでその場から逃げ出そうとするが。
「きゃっ」
しかし、アイラは走れない。片足だけで立っていた彼女は直ぐに転んだ。
「あ、あ……」
ガチガチと震える。頭が真っ白になる。
ああ、もう駄目だと思ったとき。
「アル!」
「リュネ!!」
「ケン!!」
「ッッ!!?? どうして貴様らがここにッ!?」
アルたちがアイラの胸元から飛び出した。目の前の存在は酷く動揺した声をあげた。
「っぁ……」
その声音にアイラは我に返った。
「アルル! ル!」
「リュ!」
「ケケン!」
「……そうね。ありがとう」
アルたちの優しく、それでいて勇ましい声音に恐怖心に支配されていたアイラはようやく冷静さを取り戻した。
まだ目の前の存在は怖い。
けれど、怖がって何もできない自分が嫌だと、強く思えた。その余裕がアイラの心に生まれた。
そうして心の余裕ができると、今まで見えなかったものが見えてくる。
(……ここはどこ?)
自分は突然の嵐に巻き込まれて海岸まで流されたのだと思った。聞こえてくる波音や潮の匂いがそれを強調させた。
けれど、違う。
思えば自分の身体は、着ているドレスが濡れていなかったことに疑問を思うべきだった。
ここは海辺ではない。
そう強く確信すれば、魔力を視る瞳は真実を映し出してくれる。
音も風も匂いも。虚ろで何もない空間だと。まるで目の前の存在の魔力のように、孤独な空間。
そしてアイラは直感的に確信する。
「……ここは貴方の記憶の中なのですね」
「……そうさ。そうだよ。君たちの心も、その肉体も僕の中にある。誰からも僕からは逃げられない」
だから、と続ける。
「大人しく僕に――」
「いいえ。貴方は私を支配できていない。私に触れなければならないのが何よりの証拠。なら」
ここは記憶の世界だ。
先ほど海岸に感じたのは、自分がそう思い込んだから。嵐に攫われて流されたのだから、海岸にいるのだろうという、記憶と予想が生み出した幻想を視ただけ。
そして今、アイラが心を許せる相手に化けるがために、目の前の存在は自分の思い込みに引っ張られている。
(私と彼の間に巨大な壁を……いや、駄目だわ。そんな巨大な壁は記憶にない。あくまで記憶の世界なのよ。だから、思い出が起点なのっ)
目の前の存在を倒せるとは思えない。むしろ、一刻も早く彼から離れるのが重要だとアイラは考えた。彼に触れられないように。それだけを目標にするべきだ。
だから、思い出を探す。
逃げる、隠れる、そういった強く印象に残っている思い出を。
記憶の世界なのだ。思い出が強ければ強いほど、それは確かさを増す。
そして、アイラは思い出した。
「……あれは楽しかったわね」
ふっ、と口元を緩めた。
「何故、こんなに人がッ!? 僕はこんな場所、欲してないぞ!」
瞬間、喧騒に包まれた。
多くの人がいた。多種多様な種族の人たちが陽気に笑い、お酒を飲み、談笑にふけり、ダンスをしていた。
夜空の下、灯に照らされたそこは、街だった。
魔力しか視えないアイラの記憶から再現されたものであるがゆえに、実際の街と少し違う。
けれど、そこは紛れもなくセオが暮らすラート町。いつぞや、祭りの風景。
そしてアイラは走り出した。
「っ、待て」
「ふふ、ふふふ!」
今、アイラは義足をつけていない。
けれど、あの時はつけていた。
心が踊った初めてのダンスが終わったあと。
ロイスに見つかって、慌てて逃げ出したあの祭り。
走るのに慣れていないアイラを気遣いながら、それでも焦った様子でアイラの手を引くセオ。
彼の手はとても温かく、そして力強くアイラを握りしめて、引っ張ってくれた。
ここは記憶の世界。思い出の世界。現実よりも、思い出が優先される。
だから、アイラは片足だけでも走れる。
実際にはいないけれど、確か目の前を走るセオを感じながら、アイラは行き交う人たちの間を縫いながら、駆ける。
吸って吐く息は荒く、胸は苦しく、されど恐怖心の一つすらない強く優しい思い出を。
アイラは走って走って走った。邪悪な存在すら置き去りにして。
そして。
「きゃあっ」
「きゃ」
ぶつかった。
尻もちをついたアイラは、昂っていた心を少しだけ落ち着かせてゆっくりと顔をあげて、ぶつかった方を視た。
「え」
黒髪の少女がアイラの瞳に映った。
魔力の色ではない、初めて見た形容しがたい、そう、これが普通の色。形。普通の人が視ている人そのもの。
直感的にそう強く確信できる。
そう、アイラの瞳には人が映った。
初めて人の貌を見た。
目も鼻も口もなかった。
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