多くの人が遠い私の知らない人の死を悼む。けれど、美しいのだろう:a funeral
蒼穹に輝く空の下で、喪服を着た人たちが囲うサークル内にだけ降り始めた霧雨の雨脚は、次第に勢いを増していく。
そしてそれは最終的に豪雨と思えるほどに強くなった。
それでも空は清々するほどに晴れ渡っていて、太陽が燦々と輝いていた。
雨雲は、ない。
空高く、虚空から大量の水だけが雨となって降り注いだのだ。
そして、その雨が喪服のサークルから黄金に実る小麦畑にまで広がろうとした瞬間。
「さて、僕たちは僕たちのできることをしますか」
「ええ。私たちができるのはこれくらいだものね」
「弔いです」
魔力を練り上げていたロイス父さんとアテナ母さん、レモンが、そう言った瞬間、小麦畑を覆うように水の膜が出来上がった。
小麦畑へ降り注ぐ豪雨は、その水の膜に触れると取り込まれ、昇り龍のごとく天へと向かって放出される。
そして天高く放出された水は、川となり、青空を泳いでいた。
太陽の光がその青空を泳ぐ川に反射され、水の膜が覆う小麦畑はもちろん、喪服が作り出すサークルをまるで、祝福であるかのように照らす。
ロイス父さんとアテナ母さん、レモンの魔法と能力によって、それが作られた。
と、
「……ロイス父さん。雨自体を防がないの?」
広がり続ける豪雨は城壁の上にいる俺たちにもたどり着き、強い雨が着ていた合羽を打ち付ける。
寒くなるし、合羽を着ているとはいえ、豪雨。濡れてしまう。
そう思って、同じく雨に打たれながら広がる豪雨に合わせて水の膜を広げていたロイス父さんに尋ねれば、ロイス父さんは静かに首を横に振った。
「僕たちは防がないよ。合羽だけで十分。あ、けど、セオにまで強制する気はないから」
激しい雨音の中、静かに、けれど凜と響くロイス父さんの声音に、俺は妙な心持となった。
そうして、自然と喪服のサークルの方へ目を向け、身体強化の要領で視力だけを強化する。
皆、黒の合羽を着ていて、中には合羽のフードを被らなかったり、合羽自体を着ていない人もいた。
皆、ずぶ濡れになっていたけれど、誰一人として傘をさしたり、魔法で濡れないようにしようとはしていなかった。
俺は静かに首を横に振った。
「……いいや」
「そう」
ロイス父さんが静かに頷いた。
豪雨は、まるで誰かの悲しみだ。悲痛で、それでも祈りのような優しい雨だ。祝福なのかもしれない。
実際、そうなのだろう。
だって、
「シトゥラさんに精霊がいたんだね」
喪服のサークルの中心。視力強化をしてようやく分かった。
中心に水の棺あって、そこに老人がいた。
その老人はシトゥラ。人族で、歳は九十近く。とても長生きだ。
っというか、アダド森林からの魔物の脅威に侵されていた十数年以上前のマキーナルト領を考えれば、人族でその年まで生きていたのは奇跡の他ない。
そしてそんなシトゥラさんが入った水の棺の前で、祈るように膝をつき、手を額に当てる美しい少女がいた。
腰まで流れる水の髪に、真っ白のワンピース。流石に瞳の色までは分からないが、たぶん水の様に透き通った色なのだろう。
そう思わせる雰囲気を放っていた。魔力を持っていた。
むしろ、なんで、今まで気が付かなかったのか不思議に思うほど、神秘的な雰囲気を持っていた。
だから、たぶん、精霊なんだ。彼女は。
そう思って呟けば、
「違うわ。セオ」
アテナ母さんが否定した。
「ヒュエトスは、彼女は、雫の精霊の子。世界でたった一人しかいない、雫の妖人族で、シトゥラさんの妻よ」
「え?」
俺は目を丸くする。
妖人族は、妖精と人の間にできた子が祖となった種族だ。特性も寿命も千差万別。数が少ない種族。
だから、たった一人しかいないっていうのは、驚きではあるけれども、そこまで驚くことではない。
むしろ、この雨雲もなしに虚空から降り注ぐ雨や、今日だけやけにジメジメしていたのにも大体納得いった。雫の精霊の子ってことは、水を司っているのだから。
それよりも、シトゥラさんに妻がいたことを初めて知った。
「……なんで教えてくれなかったの?」
「ミズチとあなたにつながりがあるから、ヒュエトスは控えたのよ。それに、そもそもセオはシトゥラさんと、一度しか顔を合わせてないでしょ」
「……まぁ」
シトゥラさんは元来、土いじりが好きだったらしく、自然と農業の仕事を手伝うようになったとか。
そしてアランと同等のポジションについていた。
まぁ、そもそも、本人は自分の歳もあって、そんなポジションなんぞ望んでいなかったらしいが。
ただ、マキーナルト領の農業は、農家に各々生産させるのではなく、マキーナルト子爵家の領地経営の事業の一つとして、直轄の部署を作り、そこで人を雇って生産させていた。
そちらの方が生産も安定するし、色々と都合がよかった。
しかしそうすると、雇ってもないシトゥラさんが農業を手伝うのは、あまりよろしくないし、そもそも長くこの地で生きてきたこともあって、多くの人から尊敬されていた。
だから、ロイス父さんが本人の希望も鑑みて、現場における最高責任者としてのポジションを用意して、就いてもらったらしい。
責任者としての役職は望んでいなかったが、それでもシトゥラさんはその仕事に真摯に取り込んでいたらしい。
誰よりも朝早く起きて、現場で仕事に従事していた。
マキーナルト領は、アダド森林とバラサリア山脈を除けば、ほとんどが農地で、その農地もとても広い。大人の足で歩いて三日以上は普通にかかるくらいには端から端まで広い。
だから、ところどころに村ほどの規模の農業拠点があった。
シトゥラさんはその農業拠点を常に移動し回っていたから、タイミングの問題もあって顔を合わせることがなかったのだ。
……知らないのだ。俺は、何も。
今日、たぶん、ラート街の住人の多くが集まっていた。冒険者もかなりいる。
だから、シトゥラさんは多くの人に知られていたんだろう。慕われていて、親しかったんだろう。
豪雨に濡れてまで集まるのだ。静かに祈っているのだ。
けど、俺は表面的なことしか知らない。
俺が会いに行けば、もっと話す機会はあったのだろう。ここにいないエドガー兄さんやユリシア姉さん、ライン兄さんは沢山話したのだろう。
だから、たぶん、俺は哀しい気持ちにはなれない。
シトゥラさんが小麦の収穫中に亡くなったことも、無念だったであろうと想像することはできるが、思いやることはできない。祈ることもできない。
……少し、嫌になる。
だけど、綺麗だったのだ。
この光景が。
多くの人が祈り、雨に祝福され、水の龍が大空を舞うこの光景が、とても美しいと思った。優しいと思えた。
俺は静かにロイス父さんに尋ねる。
「ねぇ、シトゥラさんは何が好きだったの?」
「…………シロツメクサだったかな。水の蝶も好きだったようだよ」
「分かった」
ロイス父さんは俺の質問の意図を読んだのか、少し考え込んだあと、そう答えた。
俺はロイス父さんに礼を言った後、瞑目した。
意外と、こういう魔法を使うのは久しぶりかもしれない。ブラウは爆発系とか、派手な魔法が好きだし。
そう思いながら、俺は魔力を練り上げる。
ロイス父さんは駄目だと言わなかった。アテナ母さんやレモンも止めなかった。
だから、俺は自分の周囲に数百を超える魔術陣を創り上げた。シトゥラさんが眠る水の棺を中心に巨大な水色の魔術陣を創り上げた。
魔術は秘匿しろとは言われているけれども、今日だけはみんな多めに見てくれるだろう。黙ってくれるだろう。
だから、俺の全魔力を注いで、魔術を行使する。
水の棺から、クローバーが芽吹く。それは喪服のサークルの全てに萌え、そして白の可愛らしい花が咲き誇った。
また、それは水の草花となって、水の膜に広がっていく。小麦畑に反射し、柔らかい黄金に輝いていく。
祈りであれ。みんな、惜しみ悲しんでいるけれども、祈っているのだ。
シトゥラさんの今までを讃えているのだ。感謝しているのかもしれない。
だから、祝福であってほしい。不謹慎と言われるかもだけど、綺麗であって欲しい。
だから、空を泳ぐ水の龍から、無数の水の蝶が舞い降りてきた。
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