寂しさはいずれ独占につながる。豊かさは自然と分け与えられる:アイラ
カタカタカタとタイプライターを軽快に叩く音が響く。
部屋とバルコニーを隔てる大窓を開けているためか、春の柔らかな風と豊かな匂いがアイラを撫でる。
特にアイラは耳がいい。鼻もいい。
そのため、春の謳はもちろんのこと、数十もの草花、虫、動物の匂いすらも嗅ぎ取れてしまう。今は魔力精密操作の訓練のために身体強化を展開しているので余計だ。
それはアイラにとって、嬉しいものだった。
――フ~フフ、フフンル~! タタタッと、野兎駆けて。
――ラ~ラララ! トィトゥッと、小鳥がさえずる。
――舞い散る蝶は着飾るように花にしなだれ、淡く柔く微笑む春風。
――舞い踊る大鳥は誇るように空に抱かれ、淡く柔く息吹く春風。
――あっちで母さん、花冠。
――こっちで父さん、昼寝。
――ふっと白の昇り竜が嘶いて、お日様が一休み。
シャランっと美しい鈴が響くが如く、その可愛らしい歌声は澄んでいて。
シャランっと美しい金が擦り合うが如く、その美麗な声音は柔らかく。
周囲に漂う魔力でさえも意志を持ってしまったと思うほど、舞踏する。キラキラと輝きだす。
「……一年でここまでか」
と、魔力やら姿かたちやらを隠蔽してバルコニーに隠れていたクラリスが、その様子を見て、感嘆を上げる。嬉しそうに金の瞳が細められる。蜂蜜色の髪が春風で舞い上がった。
それで気が付いたようだ。
「く、クラリス様」
アイラははッと歌うのをやめ、クラリスの方を見た。先ほどまでタイプライターで文字を打ち込んでいた手も止まった。
「……もう少し隠れておるべきだったかの」
「い、いえ。もっと早く姿を表してくれた方がよかったです」
アイラは頬を赤く染め、下を向く。どうやら、歌を聞かれたのが恥ずかしかったらしい。
「そう恥ずかしがるんではない。お主の歌は素敵だぞ」
「い、いえ。滅相も」
アイラがブンブンっと顔を横に振る。
クラリスはうん? と首を傾げる。
クラリスはアイラに自己評価を見誤るなと口酸っぱく教えてきた。過剰も過少も駄目。正確に自分を評価しなさいと。
もちろん、たった一年でそれが完全に身に付いたとは思えない。しかしながら、だからといってこう強く否定することはないと思うのだが……
そう思ったとき、
――咲き誇る彩。アナタに捧げます。
――舞い散る彩。アナタに差し出します。
――皓皓たる空は高く亭々と聳え立ち。
――ああ、今、祈ります。
――ああ、今、謳います。
――遥かなるアナタ、私を灯し続けるアナタ。
――明日に未来に希望を与え給う。
ガチャリとアイラの自室の扉が開くの同時に、清き歌姫であり魅する歌姫の如き歌を奏でた存在が現れた。
「あ、クラリス様。こちらにいらしたのですね。それとアイラ様、少し休憩しては如何でしょうか?」
お茶にするためか、ティーセットと茶菓子をワゴンに載せたリーナが微笑む。
クラリスは驚嘆する。
「お、お主。凄いではないか!」
「ひゃ、ちょっ、クラリス様っ!」
詰め寄るクラリスにリーナはドギマギする。慣れたとはいえ、クラリスのその美貌は精霊すらも魅了してしまうほどだ。特にその黄金の瞳など、間近で見てしまえば誰でも見惚れてしまう。
「クラリス様、離れてくださいっ!」
「す、すまぬ」
グイッとリーナに押され離れたクラリスは、頭を下げつつ尋ねる。
「お主は、その歌を習った事はあるのか?」
「いえ。歌うのは好きですけど、特に誰かに指導してもらった事はありません。それに恥ずかしくて人に聞かせるものでもありませんし。アイラ様がせがむことが多いので、人前で歌うのはその時だけですね」
「……なるほど。儂は初めて聞いたが、アイラは小さい頃からこれを聞いておったのか」
「はい。リーナに比べれば私なぞまだまだです」
アイラがふすんっと自慢するように頷く。好きなのだろう。
「はい? アイラ様のお歌はとても綺麗ですよ? 宮廷歌人の人も褒めてましたし、私よりも上手いと――」
「それはない」
「はい。ないですね」
「え?」
リーナがキョトンとする。
それを見てクラリスは大きく溜息を吐いた。
「お茶の前にリーナ。こっちへ来なさい」
「へ? 何でしょうか、クラリス様」
手招きされ、リーナはクラリスの近くによる。すると、クラリスがリーナの手を掴み、それから、
「舌噛まぬように気を付けるのだ」
「へ、ひゃ~~!」
スルリとリーナをお姫様抱っこしたクラリスは、タッと軽妙に駆けてバルコニーへと出る。飛び降りる。
「では、自覚させてくるので、少し待っておれ」
「クラリス様、どこに――」
「街だ!」
そしてリーナを抱きかかえたクラリスは、風を蹴って王城を飛び出し、城下町へと消えていった。
クラリスの即決即行には慣れているアイラは、相変わらずだな、と思いながら少しだけ唇を尖がらせた。
どうせなら自分も行きたかったな、と。
いや、それよりも。
「……独り占めはもう無理よね」
リーナの歌が好きで、好きすぎた故にアイラはリーナの歌を独り占めしてきた。あまり人前で歌わないようにさりげなく行動していた。
けど、ここ最近になってその独占欲ともいうべきか、それが薄れていった。
なんで薄れたかと思えば、
「温かい」
寂しさが和らいだから。体の隅々までを優しく包み込む充実感や安心感が一年前に比べて増えたから。
それは、リーナと再び関係を作り深めたから。クラリスと出会ったから。
それだけじゃない。
家族とも一年前よりも接するようになり、それは深く広くなっていた。
使用人とも接するようになった。今まではリーナただ一人だったが、今は数人のメイドや執事、護衛騎士などとも言葉と関係を交わしていた。
それに貴族。
まだまだ未熟で足りないことだらけだけれども、利害だけでない関係を僅かばかりに作ることもできた。同年代とも少しだけ仲良くなれた。
そして、
「ツクル様」
アイラがポツリと呟いた。
タイプライターを見る。そこにはビッシリと書き記された文字があった。濃密で均一な魔力が籠ったインクで記された手紙だった。
この一年で、ツクルに貰ったものは数えきれないし、計り知れない。
小さな宝物から、一生に一度としかないと思えてしまう程の宝物までたくさんもらった。
アイラはタイプライターを撫でる。
「いつか、あなた様に直接感謝を伝えられる日が」
今のアイラの目標の一つ。夢の一つ。
この先、幾年かかってもアイラは自らと紡いだ大切な人の力で、王族ではない自分を確立し、そして契りの妖精の器にならなかった暁に。
「アナタに会いに行きます」
今はまだその時ではないと。自分にはその資格がないと。
大事に抱きしめ、祈る。
されど、爛々と瞳を燃やし、行動する。
「フフッ」
そう強く請い願ったアイラは、グググっと背伸びした後、右手でタイプライターに載せていた手紙を手に取る。
片手で丁寧に折り、〝念動〟を使って棚から封筒と蝋を取り出す。
丁寧に折った手紙を柔らかなフローラルの匂いが微かにする封筒に入れる。
無詠唱で小さな種火を作り出し、〝念動〟で浮かしている蝋を温める。蝋がポタリポタリと垂れ、封筒を閉じるのを魔力を視る目と匂い、音で確認しながら、タイプライターの隣に置いてあった璽を右手でとる。
その璽は、王族とは全く関係のないアイラ個人の刻印が刻まれており、クラリスに特注した品である。そこには銀を象徴する満月と妖精の翅、そしてそれらを囲む結び込まれた糸が描かれていた。
封蝋がある程度溜まった頃合いを見計らい、アイラはその璽を刻印し、封印した。
そしてちょうどその時、
「うぅぅ」
「すまぬ、待たせたの」
手から耳まで全てを真っ赤にしたリーナと呆れるような様子のクラリスがバルコニーに降り立った。
「どうでしたか?」
「大盛況だったぞ。それはもう道行く人は全員立ち止まり、小鳥たちでさえもそのさえずりを控えるほどだの。最後なんて城下町そのものがリーナのステージと言わんばかりだったの。全てが静まり、リーナの歌だけが響き渡る」
「……そうですか」
やっぱり行きたかったなぁ、と唇を尖がらせたアイラは、「あんな、あんなにたくさんの人が……」と座り込み嬉し恥ずかししているリーナへ〝念動〟で車いすを走らせる。
そして、リーナの隣で止まり、
「リーナは本当に凄いのよ。私の一番最初のヒーローで世界で一番自慢のお姉ちゃんなの。その歌を独り占めできなくなったのはちょっと嫌だけど……うん、リーナの歌は本当に素敵なんだから。恥ずかしがらないで」
「……アイラ様」
頬を真っ赤に染め、恥ずかしがりながらもそういったアイラに、リーナの涙腺は緩みまくり、ダバーッと涙が流れる。
「アイラ様。私、私!」
「リーナっ、ちょっと落ち着いてっ!」
リーナに抱きつかれたアイラは慌てる。
そんな様子を見ながら、
「そういえば、あと数か月でアヤツがこっちに来るのか」
クラリスは悪だくみとも似ていて、けれど子供の如き純粋な微笑みを浮かべていた。
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