第5話 罠
よろしくお願いいたします
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「待てやぁ!」
敦斗は男を追い掛けていた。
男はゴミ箱やら立てかけてある看板やらを倒しながら、狭い路地を逃げている。
その中の幾つかが危うく、敦斗にぶつかりそうになる。
「っぶねぇな!クソったれが、埒があかねぇ!」
敦斗の全身から透明なモヤのようなモノ──センスが立ち上った。
「能力!破王の罠!」
敦斗の声と共に、逃げる男の足元に敦斗のセンスが集まり、巨大なトラバサミへと姿を変えた。
敦斗が合掌のように両手をパチンと閉じると、それは勢いよく男に噛みついた。
「痛っ!」
男は足を取られ、その場に倒れ込んだ。
「ハアハア……手間掛けさせやがって、暴行の現行犯な。署まで来てもらうぞ」
近付く敦斗に男は右手を向けた。
その手は、黒く濁ったセンスを纏っていた。
「黒いセンスだと……?」
目に見えない何かが、敦斗を数メートル後方へ吹っ飛ばした。
男を捕らえていたトラバサミが消え、男は足を引き摺りながら再び逃げ出した。
「っ痛ぅ……射程外か……公務執行妨害も追加だなぁ、こりゃ」
敦斗は腕を擦りながら立ち上がり、男を追った。
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私は、すぐさま巽巡査長に連絡を入れた。
ものの数分で駆けつけた巽巡査長と影近君に状況を説明すると、襲われた男性の処置をお願いした。
「その男を追うのでしょう?影近にも追わせますか?」
「いや、私だけで十分だと思います。何処に向かったか探せるのは私の得意分野ですし、わざわざ2人の力を借りる程ではありませんよ」
「分かりました。テルさん達には私から連絡しておきます。逃げた男は能力者です。気を付けてください」
「ありがとうございます、巽巡査長。引き続きパトロールの方、よろしくお願いします」
私は巽巡査長に敬礼をすると、敦斗が消えた方へ向かった。
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敦斗は、男を追い掛け雑居ビルの屋上に上がっていた。
「ハァハァ……おらァ、逃げ場は無ぇぞ!」
男は戸惑いながら、辺りを見回した。
敦斗の全身からセンスが立ち上り、男の足元にも敦斗のセンスが漂う。
男は濁ったセンスを身体に纏わせた。インプロと呼ばれるセンスを身体に留め、身体能力上昇を図る技術だ。
拳を軽く握ると、 両腕を顔の前に上げた。右脚を1歩下げ、左側を敦斗に見せるよう構えを取る。膝を軽く曲げ、まるでリズムを取るように、身体を前後に揺らし始めた。
ボクシングのオーソドックスなフォームだ。
敦斗を睨む男の目は虚ろだった。
「やろうってんのか!こちとら世界の殺し屋相手にやってたんじゃコラァ!!」
敦斗は多少頭に血が上っていた。
敦斗もインプロになると、戦闘態勢に入った。
右脚を後ろに下げ、前後肩幅程度に開き、半身を取る。身体の重心をやや後方に傾けるのは、敵が武器を持っていた場合に躱す余裕を生む為だ。肩の前に上げた左腕は、顔面への攻撃を防ぎつつ、対象と視線の間に中指の第2関節を持ってくる事で、能力展開の際の照準器の役割を果たしていた。顔の前にある左手と直ぐに合掌できるよう顎の下に持ってきている右手は、袖口に仕込んである無線機で状況報告をするのに都合がいい。貫手にも拳にも切り替えが効くよう、卵を持つように両手を優しく握る。右目を閉じ、光による攻撃に対応出来るようにする。
外事課時代に戦闘訓練を教わっていた先輩から、基本の型を教えて貰い、自分の能力や癖から自然に身に付いた構え、これが敦斗の戦闘態勢である。
男が殴りかかってきた。
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「巽さん、なんで逃げた男が能力者だと分かったんですか?」
巽雪治は大隈照児への電話を切ると、壁際に寝かせてある被害者を一瞥すると、説明を始めた。
「彼の体を見ろ、よく鍛えられている。 さらに、さっき確認した身分証から彼の能力は皮膚を硬化させるモノだと分かってる。防御系の彼が、数人掛りならまだしも1対1でこんなに一方的にやられるとは考えにくい。他にも、さっき応急処置をした時、彼から酒や薬物の匂いが一切しなかった。つまり、彼は素面だったわけだ。後ろから殴られた痕も無い。真っ向からぶん殴られたんだ。能力者が能力を使って襲ったと考えるのが自然だ。そうじゃなきゃ、身長180体重90はあるこの大男をボコボコに出来るほどの実力者か、あるいはその両方を合わせ持ってるかだな」
影近壱織は「なるほど」と感心したと同時に気付いた。
「じゃあ逆巻警部の1人で行ったら不味いじゃないですか!」
「壱織ィ、お前まだ凶締班ナメてるだろ」
ニヤリと笑う巽に影近は首を傾げた。
「いいか壱織、彼ら凶締班はな、今でこそ警察の何でも屋なんて言われてるがな、本来は超凶悪犯罪を取り締まる部署なんだよ。逆巻さんや敦斗君は、相手が悪であればあるほど本領を発揮するんだ。そういう人達を集めたのが凶締班だ。暴漢1人逮捕できないようじゃ凶締班じゃないよ」
救急車のサイレンが近付いてきた。
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「……こいつ……やべぇな……」
身体と呼吸のリズムに合わせ、拳を振るう。男の戦い方はシンプルなボクシングスタイルであった。身体を小さく前後に揺らし、つま先立ちでステップを踏むように脚をさばく。特殊な技術や変わった技は一切無く、ただ、敦斗の動きに合わせ拳を放つだけであった。その単純な強さが敦斗を追い込んでいく。
全く敵わないという訳では無い。外事課では戦闘を極力避けるように動く為、戦闘=イレギュラーであり、戦う相手は特殊な戦闘術や格闘術を駆使して来る事が多かった。
例えば、日本の空手や自衛隊格闘術、ロシアのシステマ、イスラエルのクラヴ・マガといったメジャーな戦闘術なんかを体得している警護兵に対しては、無駄な戦闘を避ける為、回避するか不意打ちによる一撃必殺で仕留めるのだ。その為、敦斗はこういったシンプルな戦闘スタイルに慣れていなかった。
敦斗は男の猛攻を防ぎながら、あるいは躱しながら、トラバサミで男の足元を狙っていく。
男はトラバサミが閉じるよりも早く身体を動かし、距離を詰めてくる。
「こりゃあさっきの男には相当な恨み持ってんな。素手でこんだけ強いのに角棒でタコ殴りだもんな」
「クソマッポがガタガタ抜かしてんじゃねぇぞ!」
男は声を荒らげ、拳を振るった。
格闘技を齧っている者であれば、殆どがこの男の美しい構えと戦い方に感嘆するだろう。
敦斗は、この、目の虚ろな男の素性を知らないが、ボクシングに対して真っ直ぐ誠実に向き合い、練習を重ねてきた事は戦いながら理解していた。
しかし、口から出る罵詈雑言や思考が、戦い方と全くもって合っていないのだ。ハリガネムシに操られているカマキリのように身体と精神がずれているようだった。
「っ痛ぅ……」
男の拳が敦斗の左腕にクリーンヒットした。敦斗が少し怯んだ隙を着き、男は怒涛のコンビネーションを浴びせた。
「うぐっ…………オラァ!」
敦斗も負けじと蹴りを放つ。しかし、その蹴りは男の身体には届いておらず、その間には、何か見えないモノが存在していた。
「破王の罠!」
敦斗は目の前にトラバサミを展開し、勢いよくそれを閉じた。男は敦斗から距離を取った。
男は息を深く吐くと、全身から濁ったような色のセンスを更に放出させた。
刹那、男の後方から突風が吹き荒れ、男を加速させた。
一瞬で敦斗の懐に入り込み、レバーに1発、顎に1発拳を入れた。敦斗は大きく仰け反ったが、倒れはしなかった。
「分かったぞ!お前の、その能力は空気の玉だ。風船のように膜の貼った空気の玉を作り出す。空気の玉は緩衝材の役割を果たしたり、玉の中に空気を貯め続ける事で圧力が上がり、割った瞬間に風が起こしたりできるんだ!」
「分かったからどうした?俺が逃げる結果は変わらねぇ!」
「逃がさねぇぞ。能力!破王の罠!」
声と共に、屋上のほぼ全体を覆うような巨大なトラバサミが現れた。敦斗が身体の前に手を伸ばし両手をパチンと閉じると、トラバサミも勢いよく閉じ始めた。
「てめぇの能力はもう見てんだよポリ公がよぉ!泡沫の富豪!」
男を包むように空気の玉が現れた。それは、風船のようにどんどんと膨らみ、トラバサミの刃に触れるとパンと音を立てて割れた。割れた箇所から中の空気が勢いよく漏れだし、男を上空へ吹っ飛ばした。
「しまっ……!」
「じゃあなぁ!クソ野郎!」
男は放物線を描きながら、ビルの下に落下していった。
トラバサミを解除し、慌ててビルの下を覗く。
男は能力の空気の玉で落下の衝撃を抑え、そのまま走り去っていった。
「緩衝材にもなる……か……くそっ!」
敦斗は古びた手すりを叩き、階段へと走った。
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よし、始めるか。私は誰だ?
「私は逆巻幹葉、警察官だ」
さて、私は何をしなければいけないんだ?
「男を襲った暴漢を逮捕しなければな」
犯人はどっちに向かった?
「路地の奥、駅の反対側だ」
てことは……
「使われてない雑居ビルが立ち並ぶ裏路地の方に逃げたって事だな」
敦斗が追い掛けてったな。あいつの事だから能力を使って追うはずだ。地面から現れるトラバサミは、相手に“下への恐怖感”を与える。私が追われてるなら……
「まぁ、上に逃げるだろうな。上に逃げるなら雑居ビルだ」
と言っても犯人が逃げた方向はそのビルが多数ある。どのビルだ?
「ビルの内部は分からないからビルの中に入りたくはない。追い詰められちまうからな」
じゃあ、どうする?
「外の非常階段だ。下から上までのルートが見える外の非常階段を使うだろう。逃げやすい広い路地沿いに非常階段が付いてるビルを選ぶはず」
だが、路地沿いに非常階段が付いてるビルまで絞れてもまだあるぞ?更にどう絞り込んでいく?
「……いや、十分だ。もう分かった。私が向かうべき場所は……前川ビルだ」
ありがとうございました
次もよろしくお願いいたします