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夏の空~The Summer~

作者: s2

蝉がひたすらに吠えていた。

みんみん、みんみんと壊れたラジオみたいにひたすら繰り返し繰り返して......そうしてちょっと音が止んだかと思ったらその三秒後くらいにはまた鳴き始めるんだ。


そんな他愛もないことを考えながら翠緑色に揺れる樫の木の葉の下で、僕は見渡す限りの田園風景を目に入れて、ふと何かを考え出す。


そうやってひたすらどうでもいいことを考えていれば、突然なんとも生ぬるい夏風が頬をさらりと撫でてきたので、僕は思わず少しばかり顔をしかめてしまう。それとほぼ同刻だったろうか。唐突に僕の目の前に黒い影が差し込まれ、それが強く僕の体の方へとしつこく差し込んできた陽光を遮った。


「みーちゃん、こんなところで何してるの?」

僕に対して言ったのだろう猫みたいなあだ名。澄んだ風鈴みたいに凛としてはいるもののまだ幼さが混じった声、所々風で波打つ白いワンピーススカートの一片。

こんな三拍子が揃っているような子を、誰かなんて分かっていた。正直この子がここに来るなんて想定外だったけど、それとなく僕は彼女の疑問に対して返事をする。


「"椿"、見ればわかるだろ?考え事してたんだ、もうすぐ夏休みも終わるしさ」

僕がそう言い終われば、椿はそっか、とどことなく寂しげな声調で言葉を呟いた。

そういった微妙な空気のまま十秒ほど経てば、僕はようやく自分が何を言ったのか考えが及んだ。


そうか、もうすぐ夏休みが終わるんだ。

長かった、夏休みが....。






六年前の小学校五年生の夏、僕は両親が久し振りに父方の実家へと家族で泊まりに行くということで、僕の住んでいたそこそこに便利のいい地方都市から高速道路をいくつも乗り換えながら二県向こうにある小さな町へと向かった。


あまり父方の実家に行くまでのことは覚えてはいないが、一つ言えることは高速道路を走る車内の中がひたすらに暇だったということだ。

当時ハマっていたテレビゲームのゲームソフトもなければ、運悪く携帯ゲーム機も家に置き忘れた。生憎僕は野球やサッカーなんかはそれほどしないインドアな子供だったので、当然ゲーム以外に暇つぶしすることなど父の持参した古臭い漫画を読むくらいしかやることがなかったのだ。


ハードボイルドに条件やルールがあればそれを全て遵守しているよう主人公のオッサンがお得意の臭いセリフを吐きながらアフリカの奥地やらニューヨークでカーチェイスしたりだとかソ連のクレムリンに忍び込むだとかいうような(もっとも、僕が車内で読んでた時はすでにソ連は崩壊してたが)ハリウッド映画の百番煎じみたいな漫画は、残念ながら僕の心には微塵も響かなかった。


でも、そんな漫画の中で、むさ苦しい主人公が怯えきってガタガタ震える新参の後輩スパイに対してこんなことを言っていたのだけは明確に覚えてる。

お前はヒーローだ、ヒーローは決して逃げない、そうだろう?

鼻で笑うレベルの子供騙しみたいなセリフだったけど、それでも僕は文章と絵の羅列にしかなかった暇つぶしの道具の中で、唯一記憶に残っていたのが、ソレだった。


  漫画をよんでしばらくして僕は車内で眠りこけてしまっていた。

そして母の声で起きたときには、青々しかった夏空はすっかりと茜色の夕焼け空に変わってしまっていて、でもみんみんうるさく叫ぶセミの鳴き声だけはかわりなく響きわたっていた。


 そこからの日々はあまり覚えていない・・・と言うよりかは、ただひたすら祖父の家で寝転がりながらテレビを見ていただけだったからに違いはない。


 でも僕が田舎に来てから1週間ほどたったとき、いつもみたいに僕がごろごろテレビを見ていたら、唐突にぴんぽんと鈴みたいなインターフォンが鳴り響いたことは今でも忘れたことはない。

 その時、祖父母は農作業、父母もそれに同行していて、あいにく僕一人だけが家で留守番をしていた。

当時の僕は人見知りだったこともあるけど、同時にものすごい上がり症だったので、びくびくしながら玄関に行って、震える手で扉を開けると、そこには僕と同年代くらいで、まるで夏の青空みたいにきれいな青色のワンピースを着て、可愛らしく微笑んでいる少女が立っていた。


 たどたどしく僕が彼女に用件を聞くと、どうやら少女は昨日僕が田舎に来る前に祖父母に野菜をもらっていたらしく、そのお礼をしにきたということだった。

 同年代なのにすごくしっかりした子だな、と思ったのと同時に祖父母は家に今いないから僕があとで伝えておくと言う風に言って扉を閉めようとしたとき、突然ひょいっと彼女は玄関のなかに半身を乗り出してきて、僕にこういった。


「私の名前は樺宮椿かばみやつばき!君の名前は?」

 お日様みたいな笑顔をしながら、彼女・・・椿は僕に名前を聞いてきた。

僕は唐突なことで心臓をドキドキさせながらも、なんとか一呼吸おいて言葉を返す。


「ぼ。僕の名前は山田三花やまだみか!」

 僕の名前は、今でも思うくらいに女の子みたいな名前をしている。当然、僕はそれで同級生にいじられたこともあり、少なくとも恥ずべき名前であると当時の僕はひたすらに思い込んでいた。

 でも彼女はその名前に笑うこともバカにするそぶりも見せず、ただ一言僕にこういった。

”私の名前とお揃いだね”と。


 そのときの僕にはどこがお揃いだとか理解すらできなかった。

でも、そのときの僕の心にあったのは、緊張やいやだという気持ちじゃなくて、暖かいような、どこか優しい気持ちだったことだけは確かだろう。


 そしてその翌日、僕はなんだかテレビを見たい気分でもなくなっていたので、ふと気だるくなるほど暑苦しい外へと出ていた。

 今まで外なんかにでもしなかった僕が急に外へ散歩しにいったことをみた祖父母や父母はさぞや驚いたことだろうし、正直僕も何でこんな暑い中に出ているのかよくわからなかった。


 でも、ただ昨日のあの子にまた会えるだろうか、と言うような気持ちを抱いて外に出たことは、少なからず事実ではあった。

 もっとも、僕もあの子・・。椿に会えるはずもないと思いながら、とぼとぼと汗をかきながらダサいI CAN DO ITと書かれているTシャツを揺らしながら、葉桜の並木が立ち並んだ川沿いを歩いていると、ふと見覚えのある声がした。


 その声は僕が今もっとも会いたいと思っていた少女の声であり、僕は急いで後ろに振り替えると、そこには昨日とは違う、うぐいす色のワンピースを着た椿が立っていた。

  

「三花くん、こんなところでなにしてるの?」

「あ、えっっと、どの・・・散歩と言うか、なんと言うか」


「ふーん、えへへ。じゃあよかったら一緒に遊ばない?私ちょうどいい遊び場所知ってるんだ!」

「え、あ、えっと、うん、あ、遊ぼ!」


 そこから僕はほぼ毎日、椿と共に田舎中のありとあらゆるところを遊び回っていった。

おにごっこだったりかくれんぼだったり、なぜか椿は僕より虫が大丈夫で雑木林に虫取りに行ったりだとか、そんな中で確かだったのは、夏休みがとても楽しいものになったと言うことだった。そのときの僕にとっての夏休みは、すくなくとも家でゲームをやるよりも、ごろごろしながらテレビを見たり漫画を見るよりも、ずっと楽しかった。





 でも、そんな楽しかった夏休みも、もう終わりを迎える。

ふと目の前で寂しそうにうつむく椿に、僕はどう言葉をかけていいのかわからない。


 でも、このまま声をかけなければ、もう二度と椿に会えない気がした。

僕は、僕にとって、この夏休みを過去の記憶だけで終わらせたくはなかった。

「あ、み、みーちゃん!そろそろ私帰らなきゃ」


「つ、椿!」

「みーちゃん?」


「あのさ。えっと、僕がこんなこと言うべきじゃないかもしれないけど」

「僕は子の夏休み、椿のお陰で本当に楽しかったし、僕だってまだいっぱい、大人になっても椿と遊びたい。だ、だから」

 その時僕自身、何をいってるのかわからないくらいに頭が沸騰していたし、顔もたぶんリンゴみたいに真っ赤だったと思う。でも、それでも僕は僕なりに、椿に伝えたいことがあった。


「だから、椿。また、会おう。また会って、次はもっと、もっと一杯遊ぼう」

「うん、みーちゃん。また、会えるよね。そうだよね、また会えるよね!」

 そういった椿の顔は涙で濡れていた。

でも、たぶん僕の顔は椿より涙に濡れていて、たぶん見るに耐えないものだったと思う。

 でも、それでも伝えられたいことを伝えた。

それだけで、それだけで、僕にとっても、そして恐らく椿にとっても、とても大事なものだったと思うんだ。


 夏休みの終わる前日の夕方、いつもうるさく鳴いていたセミの声はもうなくて、そこにはただかなしげに鳴くひぐらしの声だけが田園にこだましていた。


 父母が祖父母に帰りの挨拶をしているなか、椿だけがいない。

当然だろう、こんな夕方だ。むしろ来ている方がおかしい。


 僕はそうやって自分に言い聞かせて、ひたすらに込み上げてくる嗚咽おえつを押し込めて、目頭があつくなり、涙が出てこようとするのをめちゃくちゃに耐える。

 父母と祖父母は僕が椿とよく遊んでいたことをよく知っていたし、たぶん僕が今必死になっていることを理解していたんだろう。でもなにも言わず、ただ僕にたいして微笑んでくれ、そしてそれから三十分ほどたってから、別れの挨拶を祖父母と終えたのか、父から先に車へ乗り込んでから、僕はそれから矢継ぎ早に父の車へと乗り込んだ。



 エンジンの低音が車内に響く。

ホイールが回り、タイヤが走るときの振動が腹に響く。


 あぁ、これでおわりか。

僕はそう思い、ふと流れ落ちていた涙の塩辛い味をそのままに、夕焼けに染まりひぐらしの哭く田舎の風景を車窓から眺める。いつも走り回っていたその風景。でもそこには・・・・ただ一人。椿の姿だけがなかった。


 うっ、うっというような嗚咽がこぼれ始めた。

泣いていたんだろう。泣き虫な僕はよく泣いていたけれど、でもその嗚咽と一緒にこぼれ落ちる涙は今までの涙と比べものにならないくらいにしょっぱくて、そしてとても悲しい味をしていた。


 すると、父がふと前を向いたまま、僕にかわいらしいクローバー柄の手紙らしきものの入っている便箋を渡してきた。

涙の痕らしきもののあるその便箋に書かれているのはたった三文字。樺宮椿という名前だった。





 そして高校2年生の春。

地方都市と言う感じの山や海と街の入り交じった風景をただ無心に机から”俺”は眺めていた。 


 椿との夏休みから六年。俺の人見知りはすっかりなおっていて、そして過度に引きこもることはもうなくなった。 友人もできて、楽しくはないけれどそれなりの人生を送ることができているのは確かだろう。


 だけど、心にぽっかりと空いたその穴。

他愛ない話を友人とするなかで、夕暮れの帰り道を歩むなかで、ただその中に椿だけがいない。

椿だけがいないんだ。ただ、それだけなのに、俺はその穴を塞ぐことができない。


「えー、ホームルームを始めるが、その前にこの2年1組に転校生が着たので、まずその紹介からだな。それじゃあ、入ってきていいぞ」

 急に騒がしくなるクラス。

隣の席の友人である鈴木は、俺に転校生は美女だろうかと聞いてくる。しったこっちゃないが、当たり障りのない返答をして、俺は風景の写る窓の方へと視線を戻す。


「それじゃあ、挨拶を」

 足音が軽い。

恐らく女なのだろう。顔も整っているのか黄色い声が教室を反響する。


「皆さん、始めまして。私は古穂女学院から転校してきました」

 ソプラノボイスで、まるで夏空みたいに爽やかだけれど、可憐な声が教室中に響く。

だが、その声は、まるで。


 俺は急いで、窓から視線をはずし、そして教壇の方へと視線を定めようとして。

鈴木は俺を小声ですこしからかってくるが、俺はそれに反論しようとも思わなかった。


 そうだ、そこに黒板を背にして、立っているあの子は。

「樺宮椿と言います。これからよろしくお願いします」


 音が消える。

揺れる濡烏色ぬれからすいろの長髪を揺らしながらお辞儀をした椿は、一拍おいてから担任の指示で、おそらく自らの机を指定されたのだろう。徐々に俺の座っている机の方へと歩み寄ってきて、そして俺を通りすぎると、どうやら俺の後ろの席に座ったようだ。


 そしてふと音が戻る。

そうだ、俺が椿を覚えていても、彼女が覚えているとは限らない。六年前だ、六年前の事なんか覚えているはずがない。


 そういってため息のようなものを吐けば、改めて窓に視線を向けようとした時、突然ぐぃっと誰かにこめかみを掴まれ、強制的に後ろに振り向く形になる。突然のそれに文句を言おうとしたそのとき、ふと気付く。俺のこめかみを持ち、振り向かせ、そして現在進行形で太陽みたいな満面の笑顔を見せている張本人は。


「みーちゃん、やっと会えたね」

 





 みーちゃん。見おくりに行けなくてごめんなさい。

でも、お手紙は書けたから、これをみーちゃんの見おくりのかわりにします。お手紙じゃつたえきれないかもしれないけど、がんばります。


 まず、わたしは本当はここの人じゃありません。私は赤ちゃんのころから体がよわくて、空気のわるい都会からおとうさんおかあさんと、夏休みのときだけ、ここのおうちにきていました。


 小学校に入ってからずっとここに来ていたけど、夏休みのあいだはともだちともあそべなくて、とてもさびしかったです。でも、みーちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんはとてもやさしくて、わたしのかぜとかが早くなおるようにいつもお野菜やくだものをくれたり、たけとんぼやこまを教えてくれました。


 はじめてみーちゃんと会ったときは、さびしそうな子だとおもってました。

でも、みーちゃんとあそんでいくうちに、すごくたのしくて、ぜんぜんさびしいなんておもわなくなりました。


 だから、明日でわたしはみーちゃんとおわかれするのがすごくいやです。

でも、みーちゃんとおやくそくしたから。また会うってきめたから。


 だから、いつかみーちゃんとわたしがおとなになっても、また、あそぼうね。

 樺宮椿より






 春の夕焼けは夏と比べると暗さがある。

だけど、夏みたいに暑くないし、なにより夏の終わりの空みたいなもの悲しさはない。


「ねえ。みーちゃん」

「ん、どうした?」

 椿はどうやらこの街にまるごと引っ越してきたらしく、家も俺の家とはそれほど離れていないようなので、現にこうやって二人で帰り道を歩いている。


「僕って言うのやめたんだね」

「そりゃ子供っぽいし、高校生が僕っていうのもあれだろ?」

「そうかなあ。私は僕っていうみーちゃんもいいと思うけどな」

 そういって俺より先を歩いていた椿はふと、くるりと俺の方向へと体ごと振り向かせると、笑顔で明るく言葉を俺に掛けた。


「ね、みーちゃん。私、六年前の手紙に書いてないことあったんだ」

 立ち止まってそう言う椿に、俺は疑問を抱き、そしてこう言葉を返した。

「病気が治ったっていうことか?」


「アハハ、それも確かにあるけどね。そうだなぁ」

 そういって椿は俺に顔を近づけ、そして俺の唇に自らの桜色の唇を静かに重ね、そして五秒ほどしてゆっくりとその唇を離した。


「んっ・・・ふふ、これでわかった?」

 そして笑顔を咲かせた椿に対して、唇にまだ残っている柔らかい感触をそのままに、突然のことで硬直していた俺は、久しぶりの緊張と顔の熱くなる感覚に言葉を震わせる。


「ぇえっと。つ、つまり?」



「私はみーちゃんの事が好きってこと!」

  そう言っている椿を見て、ふと俺もあることに気がついた。

あの時、椿に再会を誓ったときの、あの気持ちの正体に。

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