Ep11 黒髪の執事
「ふぅ、気が重いですね……」
門から玄関までの足取りが重い――。
いずれ、今夜のパーティーの出来事は両親の耳にも入ります。その時の反応を想像した私は心が掻き乱されて頭が痛くなっていました。
「あっ、グレイスお嬢さまぁ、おかえりなさいまし。お帰りが遅いのでエリーカはもう心配で心配で……」
セリスが玄関を開けると、赤い髪とそばかすが特徴的なエリーカは私に駆け寄り涙目で訴えました。
彼女は侍女の中で唯一、私よりも歳が若いので妹のような感じで、親しくしていました。少し抜けているところもありますが、素直な彼女を見ていると重い気持ちが少し楽になります。
それにしても、涙目のエリーカの顔を見ると少し申し訳ない気持ちになりますね……。
「ごめんね。エリーカ、貴女に心配をかけるつもりはなかったのよ」
私はエリーカの頭を撫でて謝りました。
「グレイスお嬢さまぁ、エリーカは子供じゃありませんですの。誤魔化されませんからねー」
頬を膨らませたエリーカでしたが、表情は綻んでいました。
「まったく、君は何のためにお嬢様と共に居たのだ? エリーカが戻ってきてからどれだけ時間が過ぎたと思っている?」
執事のアシュクロフトがセリスに詰め寄りました。
綺麗な黒髪に黒い瞳で目元に泣きぼくろのある中性的な顔立ちの彼は近所の女性からも人気がありますが、厳格な性格で大雑把な性格のセリスとは馬が合いません。
「ウチがついてるんだから、大丈夫に決ってんだろ?」
「君だから心配なのだ。私が今日のパーティーでの出来事を知らないでいると思っているのか?」
アシュクロフトはセリスに顔を近づけて文句を言いました。
まさか、もう、彼の耳まで入っているのですか?
私は目を丸くしてアシュクロフトを見ました。
「申し訳ございません、お嬢様。最近のお嬢様の様子がおかしく、どうしても心配でして……。エリーカの話を聞き、もしやパーティー会場で何かあったのではと思いまして、ひと走りして城で事情を知ってそうな者に話を聞きました」
アシュクロフトは涼し気な表情で私に謝罪し、事情を知った経緯を話しました。
城まで10キロ以上あるのですが……。それを、一瞬で往復するなんて、相変わらず彼は体力がありますね……。
「では、お父様やお母様には……」
「いいえ、旦那様方にはまだ話しておりません。しかし、私が話さずとも伝わるのは時間の問題かと存じます――」
彼は首を振って否定しました。とても心配しているのか、顔が幾分暗く見えます。
両親に、あえて話さないでいてくれた――。彼なりの気遣いなのだと、私は感じました。
「気を遣ってくれてありがとう。覚悟は出来てるわ。平気だから、アシュクロフトはそんな顔しなくて良いのよ」
私はアシュクロフトの顔を見ながらニコリと笑いました。
「セリス、エリーカ、着替えたいから手伝って頂戴。ごめんなさい、私はもう休ませて貰うわ」
「お嬢……」
「かしこまりましたの。お嬢さまぁ」
そして、セリスとエリーカを連れて自分の部屋に歩みを進めようとしました。
「――少しだけお待ちください。お嬢様、話を保留にされたと聞いておりますが、まさか皇太子殿下を相手に争いを起こすつもりではないですよね?」
アシュクロフトの私を見る目はまっすぐでした。
彼とは私が幼少の頃からの付き合いです。
彼がまだ執事見習いだった頃から私は兄のように慕っていました。
いつの日も私のことを見守って、時には親よりも厳しく叱ったりということもありました。
厳しさの中に優しさがある。それがアシュクロフトという男の人間性なのです。
「――心配しなくてもいいわ。私の問題だから。大丈夫よ」
私は絞り出すように声を出しました。この家に何かあれば、セリスもアシュクロフトもエリーカも他の使用人達も路頭に迷ってしまいます。
私の自分勝手な感情で自分中心に動いて、家や彼らに迷惑をかけて良いものなのか――。
色んな感情が私の頭の中で暴れ回り、それでも黒い炎のように燃える感情は抑えられない。
私は彼の目を見ながら謝罪したい衝動を必死に抑えました。
「ふっ……。皇太子殿下は間違われましたね」
アシュクロフトは頷きながら一言、声を出しました。
「えっ」
彼のいきなりの発言に私は変な声が出ました。
「いえ、我らがお嬢様を本気で怒らせたのかと思いまして。――お嬢様、私が時には厳しいことを申し上げたのは、貴女に“信念”を貫き通す“強さ”を持っていただきたかったからです。目を見れば解ります。お嬢様は初めて“自分の為”に戦おうとしておられます。私どものことは心配に及びません。その程度で日和るような者にはアルティメシア家の使用人は務まりませんから――」
アシュクロフトは目を見るだけで、私の覚悟が読めたようです。
はぁ、まだまだ私は彼には敵いませんね……。
味方になってくれる人がいる。それを知るだけで、心の重荷が軽くなります――。
まるで、大きな荷物を運ぶのを手伝ってもらうように――。