逆さ虹のラウディ
ここは不思議なことが起こる逆さ虹の森。逆さ虹の森のトップシンガー、ウグイスのディーバが十八番を披露しています。
逆さ虹 逆さ虹
ディーバが大きく息を吸い込んで、ゆったりとそれでいて力強く、歌詞を紡いでいきます。空気と一緒にこの場所自体が吸い込まれてしまったかのように、観客もフリーズしてしまったみたいです。
この森じゃ当たり前だけど
実はとっても珍しいみたい
当たり前のことが特別って
不思議な気分になっちゃうね
当たり前が変わっていると
変わり者って言われちゃう
当たり前にすがっていては
いつまでも前に進めない
大きく一歩踏み出そう
歌い終わって、ディーバがお辞儀をします。すると、まるで催眠術が解けたみたいに、ステージの周りに集まっていた森の仲間たちは一斉に拍手喝采します。それぞれの言葉で、ディーバを褒めたたえました。
ディーバももうごきげん。サービスなんてしないわよ、なんて普段は言っているけれど、今日はアンコールに答えてもう一曲披露します。
そんなこんなで、逆さ虹の森の夜は更けていきます――。
「あれあれ、また花壇が荒らされているよ。」
キツネのパトシーおばさんが困り顔。趣味のガーデニングのための花壇が、今朝来てみたら見るも無残な姿になっていたからです。
「またラウディがやってくれたねえ。まったくあの暴れん坊アライグマの困ったもんだよ。」そんなことを言いながら、土が逃げ出そうとしたみたいになっている花壇を直していきます。
「今度あったらただじゃおかないよ。」なんて恨み節もこぼします。
でも、逆さ虹の森のみんなは知ってます。ホントにラウディに会っても、パトシーおばさんは強くなんて言えないことを。それは暴れん坊だから怖いからではありません。パトシーおばさんが優しいからです。
「よおし、これで完成、っと。キシシシシ。誰かこの下を通ったら驚くぞお。」
リスのワギーは今日もせっせといたずらに精を出しています。誰かに怒られたってどこ吹く風で、へっちゃらへのかっぱです。
「クマのティミッドが通らないかなあ。あの怖がりだったら、反応がおもしろいぞお。」
ワギーはその光景を想像して、もう一度キシシシシと笑いました。そのとき。ガサガサと草を掻き分けて歩いてくる音が聞こえました。ワギーはしめた!という顔をして、誰が来たのかと、音のする方向をじっと見つめます。
「いっけね。ラウディが来やがった。あの暴れん坊に見つかったら何をされるかわからない。三十六計逃げるに如かず!」
音を出した主がわかるやいなや、ワギーは脱兎のごとく逃げ出しました。ウサギはウサギ目、リスはネズミ目リス科の哺乳類のことなので、分類として同じものと扱われることはありません。しかし、目の大きな愛玩動物という点では同じものといえるかもしれません。
もしもここが舞台だったら、ワギーがステージを捌けると同時に、アライグマのラウディが登場しました。
「ああ、ムシャクシャする。パトシーおばさんの花壇を荒らせば収まると思ったけど、まだ足りない。イライラする。」
近くに生えている草を、大きいモーションで引き抜きながら、ラウディはゆっくり進んでいきます。その様子だけ見れば、自分の進路に生えている雑草が邪魔だから抜きながら進んでいるようにも見えますが、実際はそんなにラウディは大きくないので、邪魔になんてなるはずがなくて、ただの八つ当たりでした。
彼らが往来に使っている道を、人間は獣道と呼んでいます。森の中に、不自然に草が生えていない箇所があれば、それが獣道です。大きな動物が通った場所に植物が育たず、いつのまにかみんなの道路となるのです。
「ああ、もう腹が立つ。オンボロ橋でも壊してやろうかな。」そう言いながら、道に転がっている木の枝を目の端に見つけて、ラウディはちょっと強めに踏みしめます。
そのときです。
ポトンとラウディの頭にクルミが落ちてきました。
「いって!」
ラウディはすごく痛がりました。そんなに大きくはないクルミです。誰かに投げてぶつけられたとしても、ちょっと痛いかな、くらいのものでした。でも、怒っていると、どうしても小さなことでも大袈裟に反応してしまいます。針に刺されただけでも、丸太で殴られたと思ってしまうものなのです。今のラウディはまさしくそれでした。
「さては、ワギーのやつの仕業だな。あの悪戯者。きっとどこかで見てて、笑っているに決まっている。どこだ!見つけたら許さないぞ。」
ラウディは一人でもうカンカン。その場にある草を乱暴に切り刻みます。
「ああ、どうしよう。どうしよう。」
クマのティミッドがオドオドしています。ワギーが罠を仕掛けてから、ラウディが引っかかってしまうまでの一部始終を目撃していたのです。なぜティミッドが誰にも見つからず、そんな事件に遭遇できたのか、疑問に思うでしょう。ティミッドはエサを探していました。クマは雑食で、肉も植物も食べますが、臆病なティミッドは動物を捕まえて食べるということができません。どうしても、果物がメインになりますし、ティミッドとしても果物は嫌いではなかったのです。森の仲間に果物を食べているところを見つかると、わあわあとバカにされることが多いのです。そのため、こそこそと木陰に隠れられるような場所に生えている果物を食べることが多いのです。木陰があるということはもちろん彼らの使っている道路ではありません。だから、誰にも見つからなかったのです。
「よわったなあ。出ていけなくなってしまったぞ。」
息を殺して、ラウディの動向を見つめます。それでもティミッドの体は、音を立てないようにクルクルとその場で回っていました。ラウディはひとしきり近くの草を整地してしまうと、さっきまでより大股に本来の目的地を目指すため旅立ちました。
「おぼえていやがれ!おぼえていやがれ!」
ラウディの呪いの言葉はだんだんと遠くなっていきました。ティミッドは声が遠くなるのに引っ張られるように、往路へと出てきました。
「ワギーが心配だ。こっそり追いかけていこう。」気の小さいティミッドですが、森の仲間のピンチには逃げ出しません。喧嘩して、どっちかがけがをしてしまった、なんて後でわかったほうがよっぽど嫌なのです。ラウディが三歩進むと、ティミッドは一歩。ラウディに見つからないことを最優先に。慎重に。ちょっとずつ距離は離れてしまっていますが、道についてはしっかりわかっているので、分かれ道だけどっちにいったかさえわかれば、見失う心配はないのです。
ティミッドはラウディが適当に歩いているのだろうと思っていました。一緒に遊ぶ友だちがいないとき、暇で暇でしょうがないので、しょうがなく散歩するというのは、この森ではみんなやっていることでした。今回のラウディは、まさしくそれだろう、とティミッドは思っていたのです。
「おかしいな。根っこ広場への道だよな。こっちはラウディの家じゃないはずだぞ。」
分かれ道を左に曲がったラウディを見て、ティミッドは首をひねります。
森のみんなが暇なときにすることがもう一つ。家に帰って昼寝をすることです。散歩をしていて嫌なことがあったのですから、あとは家で寝る以外にすることがないと思っていたのです。
ラウディが三歩進むたびに、ティミッドは一歩。そろそろ置いて行かれるかな、と思ったら、二歩に一歩にペースをあげました。ラウディは根っこ広場に着くと、立ち止まりました。しばらく動かないところを見ると、ここが目的地だったようです。
「こんなところに何の用だろう?」
ティミッドが不思議に思うのも無理はありません。ここは逆さ虹の森の中でも一番危険な場所を言われているからです。
「ここで嘘をつくと根っこに捕まってしまう、根っこ広場。」ティミッドはぽつりとつぶやきました。何が怖いのかを口に出すことで、恐怖を軽減することのできるという怖がりだからこその知恵でした。何かわからないから怖いのです。何かわかれば怖くないことが多いのです。夜起きて物音が聞こえるだけなら怖いですが、それが実はテレビの音だと気づけばもう怖くないのと一緒です。
「やいやい。とうとう見つけたぞ。いたずらリスめ!」
ラウディは突然大声をあげ、ティミッドも驚いて大きく跳ね上がりました。それと同時に悲鳴も漏れてしまいました。せっかく、ここまでばれないできたのに、とティミッドは残念ながらラウディのほうを見ます。ラウディはティミッドには気が付かずに、同じ方向をにらみつけていました。
ティミッドもそれにつられてラウディの見つめている方向に目を向けます。そこには、ワギーがいました。
「わあ、ごめんなさい。」ティミッドがワギーを見つけるのとほぼ同時に、ワギーがラウディに向かって謝ります。
「何について怒ってるのかわかってて謝ってるのか。ただ謝ってるだけなら許さないぞ。」ラウディはその場所で腕をブンブン回しています。
「クルミが落ちてくるようになってたイタズラのことだろ。でも、あれって、ふつうに歩いていたらよけられただろ?どうしてそんなに怒ってるんだい?」
「う。あ。えっと。それは。」ワギーの弁明は的を射ていました。動きがゆっくりな動物だったら、通行しきれずにしっぽに落ちてきてしまうように設計されていたのです。ラウディは怒って目立っていた木を踏みつけたまま立ち止まっていました。それがたまたまイタズラのスイッチだったから、クルミが頭の上に落ちてしまったのです。
「うるさいうるさいうるさい。」
ラウディは、クルミが頭の上に落ちてきたときと同じように、バタバタと手を動かして暴れます。
「それにラウディもどこかでイタズラとかしてきてないのかい?」
「俺様がそんなことしてきているわけないだろ!」売り言葉に買い言葉。ラウディは、今朝パトシーおばさんの花壇を荒らしたことを覚えていたのに、つい、そう返してしまいました。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
木が大きく動き、ワギーは必死に木にしがみつきます。
「な、なんだ。」ラウディは音に驚いて、状況をすぐに飲み込めませんでした。
「ラウディ、後ろ!」ワギーが木の動きに慣れて、慌てて叫びました。
「え?うわあああああ。」
ラウディがワギーの言う通りに後ろを見たときには、もう間に合いませんでした。ラウディは根っこに捕まってしまいました。
「助けてえええええ!」ラウディは力の限りの声を出しました。
「どうしよう、どうしよう。」ワギーは木の上で、ティミッドは広場の外の木陰で、困ってしまいました。
「助けてくれえええええ!」ラウディはなおも助けを求めています。ワギーはどうしようもなくて、泣き始めてしまいました。
「怖いなんて言ってられない。今助けるぞ。」
ティミッドが勇気を振り絞って、駆け出しました。クマも走れば結構速いのです。弾丸のように走って、ラウディを襲っている根っこに体当たりしました。
ミシミシミシ。
ティミッドの体当たりの勢いで、根っこにひびが入りました。ティミッドは今度、そのひびに手を入れて、エイと引き離しました。同じことを繰り返して、とうとう根っこの中心に到着しました。
「ラウディ!無事かい?」
ようやく見つけたラウディに、ティミッドは声を掛けましたが、返事はありません。
「ラウディは大丈夫なのかな?」ティミッドが根っこを退治したのを見て、ワギーが木の上から降りてきて、ティミッドの横で心配そうに聞きました。
「わからない。でも気絶してるだけだと思う。ボクはここで様子を見ているから、森のみんなを呼んできてくれないかな?」
「わかった。任せてくれ。」ワギーは大きく返事をして、森の中に消えていきました。
ラウディを中心に、みんなが何重にも輪になって、心配をしています。ラウディの看病をしているのは、ラウディのお母さんと、長老で物知りフクロウのプレスさんです。
「プレスさん、息子は大丈夫なんですか?」
「ううむ。このままだと危ない気がするのう。」
「そんな!」ラウディのお母さんは泣き崩れてしまいました。
「お母さん、お気を確かに。あくまで、このままだと、じゃ。一つだけ方法がある。」
「それはなんですか?」泣いていてしゃべることのできないラウディのお母さんに代わって、ティミッドが質問します。
「ここから北に行ったところに、ドングリ池があるのは知っておるじゃろ?あそこには言い伝えがあるのじゃ。」
「ドングリを投げ込んでお願いをすると願いが叶うっていう伝説ですよね?あれは、おとぎ話じゃないんですか?」
「おとぎ話も元になるお話がないと生まれないものなんじゃよ?それしか方法がないなら試してみるよりないじゃろ。」
「でも、ドングリなんてこの森に生えているんですか?」
ティミッドの質問に、プレスさんも黙ってしまいました。
「それなら、アタシが知っているよ。」
森の仲間たちの中をかきわけて現れたのはパトシーおばさんでした。
「だてに、植物を育ててないよ。植物のことならこの森で一番詳しいかもしれないね。ここから南の森にナラの木が生えているところがあるんだよ。」
「南の森だね。わかったよ。」今度は、ワギーが手を挙げます。
「オイラが一番森の中で足が速いよ。たくさん取ってくるよ。」ぴょんぴょんと跳ね回って、体力に自信があることをアピールします。
「それならボクも一緒に行ってもいいかな?体が大きいから、たくさん持って帰ってこれると思うんだ。」ティミッドも自信なさげに立候補しました。
「ワギーとティミッドなら安心じゃろう。よろしく頼むぞ。その間にワシらはお祈りの準備をしておくことにしよう。」
ワギーとティミッドは南の森に向かいました。向かっている最中になかなか見つからなかったらどうしよう、と話していたのですが、そんな心配は杞憂でした。ナラの木はすぐに見つかり、その下にたくさんのドングリが落ちていました。「どれだけ必要になるかわからないから」と持てるだけ持って、みんなのところに戻りました。
「願いが強いものが代表して、池にドングリを投げ入れよう。」プレスさんがそう言って、
「それなら、お母さんからにしよう。足りなかったら、森のみんなのぶんのドングリがあるよ。」ワギーが賛成します。
それからみんなでドングリ池に移動しました。ラウディは、ティミッドが抱っこして運んであげました。
さて、お祈りの開始です。森のみんなはシーンとして、ラウディのお母さんがドングリを投げるのを待ちます。
ポチャン。
普段は絶対に聞こえないような小さな音ですが、今は雷のように、みんなの耳に聞こえました。
「どうか、ラウディが元気になりますように。」ラウディのお母さんが手を合わせて、お願いを開始します。森のみんなも真似して、お願いを始めます。プレスさんも、ワギーも、ティミッドも、パトシーおばさんも、ディーバも、ほかのみんなも心は一つでした。
お祈りの途中で雨が降り出しましたが、誰もそんなことを気にしていません。
「ん、んー。」ラウディは寝ぼけたような声をあげました。
「気が付いたぞ。」最初に気付いたのはワギーでした。みんなでワッと、ラウディに駆け寄ります。いつのまにか雨も止んでいました。
「みんなどうしたの?オイラ、根っこに捕まってからの記憶がないや。そのかわり、変な夢を見てたんだ。ティミッドがオイラのことを助けてくれたり、お母さんが自分のために一生懸命心配してくれたり。」
「ラウディよ。それは夢ではないんじゃよ。気絶していた間、みんなお前を心配してたんじゃよ。」プレスさんが優しく言います。
「オイラを……?この暴れん坊のオイラを、みんなが心配してくれたっていうのかい?」
「そのとおりだよ。」ティミッドが自分の気持ちをこれでもかとこめて伝えました。
「へへへ。オイラ、誰からも大切とされてないと思って、いっつも暴れてたんだ。ごめんなさい。これからはみんなのこと、もっと大切にするよ。」
「ふふふ。それがいいわね。そうだ。ラウディのために私の歌を披露するわ。」
「オイラのために、うれしいな。」ラウディは照れて笑って、森のみんながドンチャンと騒ぎ始めました。
逆さ虹 逆さ虹
この森じゃ当たり前だけど
実はとっても珍しいみたい
当たり前のことが特別って
不思議な気分になっちゃうね
当たり前が変わっていると
変わり者って言われちゃう
当たり前にすがっていては
いつまでも前に進めない
大きく一歩踏み出そう
小さな頑張り屋 ラウディの物語
ディーバは最後の一行を付け足して、この歌は完成しました。
ドングリ池には、逆さ虹を反射して、真虹が映っています。